●SAKURA U 1●
※このお話はSAKURAの内海さくら嬢と、佐為の入段当時若手ナンバー1だった窪田さんの話です。
「内海さんおはよう」
「あ…おはようございます、窪田さん。今日はよろしくお願いします」
「うん、よろしくー」
高校3年生の夏休み。
私は千葉で行われた囲碁フェスティバルで、大盤解説の聞き手の仕事を任された。
解説を担当するのがこの窪田八段、24歳。
タイトル戦で挑戦者にも何度もなったことのある、若手の中でも実力者の一人だ。
おまけに気さくで話しやすくて、カッコよくて頭の回転も早い、良いとこずくめの彼。
私が惹かれないわけがなかった。
でも――私はすぐにその気持ちを封印した。
どうせムダだからだ。
好きになってもムダ。
意味なし。
だって私の経験上……囲碁の強い人には決まって既に恋人がいるからだ。
私の入る隙はない。
だからこういう人と一緒に仕事が出来る――もうそれだけで満足だった。
「お疲れ様でしたー」
無事初めての聞き手の仕事を終えた私。
窪田さんに改めてお礼を言った。
「あの…何度もフォローありがとうございました!」
「どういたしまして。結構解説も楽しいもんだろ?」
「そうですね…」
手伝いに入った棋士全員で、イベント後に打ち上げに行った。
そこでも窪田さんと偶然隣の席になる。
彼は親切に気を使って、色々話しかけてくれた。
「え?内海さん海王高なんだ?」
「あ、はい」
「じゃあ進藤君と同じ?」
「はい…同じクラスです。西条五段も。補講とかの都合で、何かもう棋士は一クラスにまとめられてるみたいで…」
「なるほどねー。進藤君て学校ではどんな感じ?」
「そうですね……ずっと王子扱いでしたけど、最近はキングに進化しましたね」
「はは、タイトル取っちゃったからねー。すごいよ彼は本当に…」
「来月から名人にも挑戦しますしね…」
「確実に最年少名人狙ってるよな」
「でも窪田さんだって、あと一勝じゃないですか。頑張って下さいね」
「うん…そうだな」
窪田八段は現在芹澤碁聖との碁聖戦挑戦手合、五番勝負の真っ最中だ。
今のところ2勝1敗。
あと一勝すればこの窪田八段もタイトルを獲得する。
ちょっと自信なさそうに見えるけど……
「進藤君がタイトル取れたのは、やっぱり緒方さんの支えがあったからみたいですよ。窪田さんも彼女さんに支えてもらって頑張って下さいね…」
「……」
急にズーンと落ち込む窪田さん。
「……痛いとこついてくるね、内海さんて」
「え?」
「…別れたんだよね、一ヶ月くらい前に」
――え?
「そうなんですか…?」
「うん、フラれた」
この窪田さんをフる人が世の中にいるなんて信じられなかった。
私には理解出来ない。
「ちょっと…碁に集中し過ぎて、放っとき過ぎたみたいで…」
「でも集中するのは当たり前ですよね?一ヶ月前なんていったら五番勝負始まってますよね?そんな時に別れ話をするなんて非常識だと思います」
「碁打ちからしたらその感覚なんだろうけどね…」
「……」
一般の人と付き合っていたんだろう。
しかも私達の仕事に理解のない人と……
「俺も進藤君を見習って、今度付き合う人は女流にしようかな…」
「……」
女流……窪田さんの言うそれに、私は含まれるのだろうか。
女流の中でもやっぱり、塔矢名人に何度も挑戦している緒方さんくらい強い女流じゃないとダメなんだろうか。
私は入段してもう4年目になる。
なのにまだ二段……
私みたいな弱い女流じゃ、きっと窪田さんには釣り合わない……
「そうですね、窪田さんを支えてくれる女流の人もきっといますよ…」
「うん…そうだな。いたらいいな…」
「……」
なんて弱気なんだろう。
窪田さんだったらきっと選り取り見取りなのに。
自分の魅力に気付いてないんだろうか?
「窪田さん、私の前でそんな弱気な発言はやめてください…」
「え?」
「私に狙われちゃいますよ?口説かれちゃいますよ?」
「…俺も口説いてるつもりなんだけど?」
「……え?」
え?
え?
ええ?!
「か…からかわないで下さい!」
「別にからかってないけど。だって俺、内海さんのこと前から可愛いなって思ってたし…」
「…え?」
「実は一緒に解説入るって聞いた時から楽しみにしてたし」
「え……」
「今横に座ってるのももちろん下心あるからだし」
「……」
「どうかな?俺じゃダメ?やっぱ進藤君くらいにならなきゃダメかな…?」
「……本気にしちゃいますよ?」
「俺も本気だよ。この後、二人だけで二次会行きませんか?」
「……」
打ち上げがお開きになった後、本当に今度は二人きりで二次会に行った。
もちろん私はまだ18だから、場所はお酒が飲めるところじゃなくて、単なるオシャレなカフェ。
ほぼ個室になってるその場所で、私は改めて窪田さんに、
「俺と付き合ってくれませんか?」
と交際を求められた。
もちろん私の返事は決まっている。
「はい…」
と私は顔を真っ赤にして応えた――
「頑張って下さいね。窪田さんなら絶対大丈夫です!」
「うん、行ってくる」
一週間後、碁聖戦第四局が行われる金沢に窪田さんは出発した。
新幹線のホームまで付き添って、最後の最後まで私はエールを送った。
彼が帰って来たのは2日後。
私は同じようにホームで出迎えて、「おめでとう!」と祝福のキスを贈った――
それから二年後。
彼はまた大きなチャンスを迎えていた。
棋聖戦七番勝負、第七局。
勝っても負けても今日で決着が着く。
私は会場である新潟まで応援にやってきた。
こそっと覗いた大盤解説。
何と解説を担当していたのは――進藤君だった。
(相変わらずカッコいいなぁ…)
既に三冠、世間的には進藤名人と呼ばれている彼は……私の初恋の人。
あなたに失恋したあの日、私は思ったんだよ。
私もいつか……私だけを思い続けてくれるような、そんな人に出会いたいと――
進藤君の横に映されている対局場のモニター。
私が出会ったその人が真剣な顔で碁盤を睨んでいた。
(頑張って…!!)
二日目も夜7時までもつれ込んだ激闘の末――彼は勝利した。
検討や取材を終えてようやく自室に戻って来た彼。
部屋の前で待つ私に気付いた途端、
「さくら!」
と走って駆け寄ってきてくれて――ぎゅっと抱き締めあった。
「おめでとう…大君」
「うん……すっげぇ嬉しい……」
「本当におめでとう……」
「ありが…とう……」
彼は泣いていた。
私がいてくれたから、最後まで折れずに粘れた、私のお陰だよって彼は言った。
そんなことない、大君が頑張ったからだよ。
これからもずっと応援するからね。
ずっとあなたの傍で、あなただけを――
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