●YOUR HOUSE, YOUR ROOM 1●


あれは名人戦一次予選の前日。

二年四ヶ月ぶりにようやく明日、キミと戦える―。

それが待ち遠しすぎて――僕は居ても立ってもいられなかった。

気づいたら放課後、葉瀬中の門の前にまで来てしまっていた。

「あれ?あの制服海王じゃん?」

来る度に注目の的となるこの制服。

仕方ないから門から少し離れたこの公園の前で、進藤を待つことにした。

帰るには必ずここを通るはず―。

キミは明日ちゃんと来るよね?

今度こそ打てるんだよね?

それだけを聞くために―。


「もうそろそろかな…」

そう思ったのとちょうど同じ頃――


「ヒカルっ!」


と呼ぶ可愛い声が聞こえた。


進藤か?!


慌てて振り返った先には、期待通り、進藤の姿があった。

聞かなくちゃ…!

キミは明日…―


「……」


――だけど、僕の視界に入ってきたのは、進藤とさっきの声の持ち主。

藤崎さん…だっけ?

何度か見た覚えがある。

二人が仲良く歩いている姿だった。

とても僕が割って入れる雰囲気じゃない…。

目で二人を追ったまま、呆然と立ち尽くしてしまった。

そろそろ僕の姿が彼らの視界に入る頃、慌てて公園の入口の塀に隠れた。

別に隠れる必要はなかったんだけど…なんとなく。

「あかり、これから一局打たねぇ?」


…!


久々に耳にしたキミの声。

藤崎さんに対局を申し込むキミの声。

胸が信じられないほど痛んだ気がした。

僕があれほど望んだ対局を、彼女はあっさり手に入れてしまうんだね。

進藤に「打とう」なんて僕は一度も言われたことがない。

いつも僕の方が言ってばかりだ。


「オマエとは打たないぜ」


今でも忘れられないキミの言葉。

誘ってもいつもいつもいつも断られる。

それを彼女は――

「んじゃオレん家行こうぜ」


……!


それを聞いた瞬間、思わず耳を塞いでしまった。

聞きたくない言葉。

さっき以上に聞きたくなかった言葉!

胸が張り裂けるかと思った。

家に、部屋に、彼女を誘うキミ。

別にキミに対局以外に他意はないんだろうけど―。

これから仲のいい男女二人が、個室で、何時間も、一緒にいるのかと思うと――。


…変なのは僕だ。

何てイヤらしい想像をしてるんだろう。

情けすぎて涙が出てきた…。

涙…が…。


…何で?


どうしてこんなに涙が出るんだ?

頬まで垂れた暖かな液体を拭いながら、立ち上がった。


「進藤…」


僕の前をとうに通り過ぎて、仲良く歩いている二人の姿を見で追ってしまった。

優しそうなキミの表情。

彼女の前だったら安心出来るって…落ち着けるって、顔に書いてあるね。

僕には一度も向けられたことのない表情だ。

僕が思い出すキミは、いつも真剣で…必死で…まるで睨んでいるかのような険しい表情ばかり。

僕には…一生あんな表情は向けてくれないのかな…。

向けてほしい―

キミに笑ってほしい―

もっとキミと打ちたい―

もっと…会いたい―

それが初めてキミへの思いに気付いた瞬間だった―



僕は…進藤が好きなのかもしれない――





「半目…か」

待ちに待った夢の対局が終局した。

結果は黒65目、白65目半。

僕の半目勝ちだ。

「隣で検討しようぜ」

「あぁ」

満足の行く碁を打てた僕の脚は久々に浮きだっていた。

やっぱりキミは最高だね。

キミは僕の生涯のライバルだ。

この対局で改めて確信したよ。

これからまたこんな対局を何十局、何百局と打っていこう。



「なぁ、またオマエん家の碁会所に行ってもいいか?」

「え?」

検討の後、一緒に駅に向かっている途中で、進藤が突然言い出した。

「オマエたいていあすこに居んだろ?昔言ってたじゃん」

「あぁ…そうだね。用事のない時はたいてい囲碁サロンに居ることが多いかな」

「明日も居る?オレ、もっとオマエと打ちたいんだけど…」

一瞬世界がバラ色に変わったような気がした。

キミ…今…僕と…打ちたいって…。

打ちたいって言った?!

「う、うん。じゃあ明日、学校終わり次第行くことにするよ」

「やった!オレも終わったら速攻飛んでくな!」

そう言われた瞬間、心臓が飛び出るかと思った。

何…今の笑顔…。

あんな笑顔を向けられたの始めてだ。

どうしよう…。

すごく心臓がドキドキいってる。

鼓動が早すぎる。

顔が熱い。

進藤に気付かれてないよね…?

彼への思いに気付いたばかりの僕は、まだそれが恥ずかしくて、知られたくない気がした。


「腹減ったなー。なぁ、ラーメン食いに行かねぇ?」

「え?」

「この近くにも結構ウマいとこあるんだ。な、いいだろ?」

「う、うん…」

「じゃあこっち―」



え…?



「やっ…!」


パシッ


手をいきなり掴まれたことに驚いて、思わず払ってしまった。

や、やっちゃった。

どうしよう…。

進藤が目を丸くして僕の方を見てる。

絶対変に思われてる…!

「あ、ごめん。つい―」

進藤の方が謝ってきた。

「い、いや…僕の方こそ―」

ますます顔の温度が上がっていってるのが分かる。

こんなの…意識してるってバレバレじゃないか!


「――塔矢」

「え?」

「オマエって…彼氏とか、いんの?」

「は?」

顔をあげると、横目で気まずそうに僕の方を見てる進藤の姿があった。

「いるのか?いないのか?」

「え……、いない…けど」

「ふぅん…」

何かを納得したように、視線を僕から外した。

何んでそんなこと聞くんだろう…。

あまりに免疫がなさすぎたから、確認したかったのかな…。

普通の女の子は手を掴まれたぐらいで動揺しないって―。

そりゃキミは幼馴染みとはいえ…軽々しく女の子を部屋に招いたりしてるからね…。

こんな警戒心の強い奴初めて見た、とでも思ってるんだろう…。

どうせ僕は今まで碁ばかりで、恋愛に関しては免疫も経験もないですよ!だ。

人を好きになったのだってこれが初めてだよ!

「…塔矢、今付き合ってる奴いないんだったらさ…オレと付き合わねぇ?」



え…?



「オレ…前からオマエのこと可愛いなって思っててさ―」

「……」

「…ダメか?」

何だか…重要なことをものすごく軽率に言われている気がする。

可愛い?

キミは…可愛かったら交際を申し込むんだ?

他にもっと言うことはないのか?

だいたい昨日まで他の女の子を部屋に誘ってたくせに!

あんなに楽しそうに、優しい顔して、いい雰囲気で、彼女と話していたくせに!

あんな子が近くにいるくせに!

何で僕なんかを―

「僕なんかより…」

「え?」

「僕なんかより藤崎さんの方が可愛いよ?!キミには彼女の方が似合ってる!」

「は?え、塔矢っ?!」

不満を吐くだけ吐いて彼の前から逃げ出してしまった。











NEXT