●TIME LIMIT〜元カノ編〜 1●
21歳の初夏にオレは自分の父、進藤ヒカルから念願の本因坊のタイトルを奪取した。
その夏の碁聖の防衛にも成功。
更に秋の王座戦への挑戦も始まった頃――高校の時の友達からメールが一通回って来た。
同窓会のお知らせだった――
「どうしようかな…」
「どしたの?」
「正月に高校の同窓会があるみたいなんだけど…行こうかどうか悩んでて」
参加の可否の締切が近付いても、オレはまだ迷っていた。
夕飯の準備をしていた美鈴ちゃんが首を傾げてくる。
「何で悩むの?行ってくれば?お正月なんて暇じゃない」
「うーん…」
「4年ぶりに皆に会えるんでしょ?大学に進学した子達からしたら、学生最後のお正月だもんね」
「でも別に会いたい奴もいないしな…」
「そうなの?元カノとか来るんじゃないの?本当は会いたいんじゃないの〜?」
「は…、はぁ?!別に会いたくないし!」
「怪しいなぁ〜」
クスクス笑ってくる。
平気で元カノとか言ってくる美鈴ちゃん。
何でそんなに余裕があるんだろう。
逆の立場で、もし美鈴ちゃんが元彼に会うとか言ったら……オレはめちゃくちゃ嫌だけどな……
「ね、元カノさんとはクラスメートだったの?」
「……そうだけど」
「明人君から告白したの?」
「まさか……」
「ふーん、名前は?」
「……え?」
「元カノの名前、何て名前?忘れてないでしょ?」
「そ、それは……ちょっと言えない、かも」
「えー?何で?まさか私の知ってる子?」
「そうじゃないけど……」
言えるわけがない。
美鈴ちゃんと同じ、弥鈴(みすず)だったなんて――
オレが17歳の時、美鈴ちゃんは26歳だった。
また彼氏が出来たと姉さんから聞いたオレは、絶望していた。
26歳ってことは、当然結婚も視野に入れた交際だろう。
美鈴ちゃんが結婚してしまうかもしれないと思ったら、もうお先真っ暗で……やってられなくなった。
そんな時にオレに告白してきたのが、クラスメートの『矢部弥鈴』だった――
「ずっと好きでした。私と付き合ってくれませんか…?」
「……」
今までだって告白されたことは何度もあった。
もちろんすぐに断ってきた。
でも、その日のオレは躊躇った。
告白してきたこの彼女の名前が、オレがこの世で一番好きな人の名前と同じだったせいかもしれない……
そしてこのまま想い続けていても実ることはないのかもしれない……
だったらオレも年相応の恋人を作った方がいいのかもしれない……
ぐるぐる一瞬で色々考えて、そして何を血迷ったか
「いいよ…」
とOKしてしまったのだった……
「本当…?」
「うん…」
「夢みたい……」
よほど嬉しかったのか、彼女は泣いていた。
ちょっとだけ…申し訳なく思った。
矢部さんはどちらかと言うと美人系で、美鈴ちゃんとは全然違う顔立ちだった。
頭もよくて、上品で、でも全然気取ってなくて、笑うとすごく可愛かった。
しかも――碁も打てた。
「うーん…こうかな?」
「うん、正解。呑み込み早いね、矢部さんて」
「そうかな……ありがとう」
初デートは何とカフェでひたすらオレが詰め碁の問題を出して、彼女が解いて。
のんびりとした時間が過ぎていった。
帰りは彼女を家の近くまで送って行った。
近くの……公園まで。
12月だったから、夜6時にもなると真っ暗で。
でも時計塔の回りとか少しだけどイルミネーションが飾り付けてあって、ちょっとだけロマンチックで。
何となくいい雰囲気になって……キスしてしまった。
クリスマスももちろん一緒に過ごすことになって、ケーキを焼いたというので家にお邪魔した。
オレら学生は冬休みだったけど、平日だから彼女の両親は普通に仕事で留守だった。
一人っ子の彼女だから、当然オレら以外家には誰もいない。
ケーキを一緒に食べてプレゼントを交換して、そしてまたいい雰囲気になって。
今度はキスだけじゃ済まなくて、そのまま体を合わせることになった。
「矢部さん……」
「……下の名前で呼んでほしいな」
「え…?」
「弥鈴って呼んでくれる…?私も明人君って呼んでもいい…?」
「……」
弥鈴……みすず……美鈴……
正直呼びたくなかった。
でも拒否するのも変だし、仕方なく呼ぶことにした。
明るいと恥ずかしいという彼女の要望で、カーテンを閉めきったら部屋は真っ暗。
顔もよく見えない状態で「みすず」と呼ばなくちゃならない状況が、オレの脳を勘違いさせた。
初めて自慰をしてからもう何年だろう。
今と同じように真っ暗な中で、オレがいつも想像していたのは…ずっと美鈴ちゃんだったから。
恋人を抱きながら――頭の中では別の人を抱いていた。
「……ぁ……明人…君……」
「美鈴ちゃん……」
オレにとって生まれて初めてのセックス。
出来ることなら本物の美鈴ちゃんと経験したかった。
でも、実際問題そんな日が来ることはないから。
いい加減諦めなくちゃいけない時期なのかもしれないから。
せめて同じ名前の女の子として、まるで彼女としてるような気分にでも浸れるだけでも幸せなのかもしれないと…諦めた。
「明人君……もう帰っちゃうの?」
「ごめん。家でもクリスマスパーティーがあるから。参加しないと父さんが煩いんだ」
「…そうなんだね」
し終わった後、さっさと服を着て帰ろうとするオレを、彼女が寂しそうに見てきた。
裸で毛布にくるまったままの彼女に、
「じゃ、また連絡するな」
と嘘をついて部屋を出た。
連絡なんかする気、これっぽっちもないくせに。
次に会うのは新学期で充分だと思ってるくせに。
もし……もし今抱いたのが、本物の美鈴ちゃんだったら、オレは絶対にこんなすぐには帰らないだろう。
家族のクリスマスパーティーなんかより絶対美鈴ちゃんを取った。
絶対……一晩中彼女といることを選んだだろう……
本物の美鈴ちゃんだったら……
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