●TIME LIMIT〜櫻井仁編〜 3●
休日の昼下がり。
オレは気晴らしと勉強を兼ねて、大型書店の医学書コーナーに足を運んでいた。
27歳になり、小児科医としてのキャリアも4年目。
病院ではそれなりに責任のある仕事を任されるようになり、私服も学生の頃に比べれば、少しは落ち着いた大人の装いができるようになった自負はある。
並ぶ専門書を眺め、最新の小児医療の棚に手を伸ばそうとしたその時――隣からすっと、細く白い指が同じ本に伸びてきた。
「あ、すみま――」
譲ろうとして相手の顔を見た瞬間、オレの言葉は喉に張り付いた。
そこにいたのは、信じられないほど綺麗な女性だった。
陽の光を浴びて柔らかく波打つ、ふわふわとした透き通るような金髪。
少し垂れ目に見える、吸い込まれそうなほど澄んだ碧眼。
タイトなジーンズに、ゆるっとしたシルエットの白いカーディガンを羽織っていて、洗練された大人の女性の雰囲気が漂っている。
(……モデルか?っていうか、どっかで……)
オレが呆然と見惚れていると、その美女は、はっとしたように綺麗な目を見開いた。
「……ジン?」
鈴の鳴るような、聞き覚えのある声。
だけど、脳内の方程式がどうしても目の前の美女と結びつかない。
「え……? え、嘘だろ……シンシア、か!?」
思わず大声が出そうになり、慌てて口を手で押さえた。
だって、無理もない。
普段、病院でのシンシア・スミスは髪をきっちりとしたお団子に結い上げ、知的なスクエアのメガネをかけ、隙のないクールなオーラを放っている。
おまけに口を開けば強気なマシンガン英語だ。
それが、今はどうだ。
髪はふわふわの天然パーマをそのまま下ろしていて、メガネもしていない。
コンタクトレンズに変えたのだろうか、遮るもののない彼女の瞳とまっすぐ視線が合って、心臓がドクンと嫌な跳ね方をした。
ギャップが、ヤバすぎる。
『な、何よその顔。私がプライベートでどんな格好しようが自由でしょ』
オレの動揺を察したのか、シンシアが少し頬を赤らめて、いつものツンとした英語でそっぽを向いた。
その仕草すら、普段の戦闘モードとは違って、なんだかひどく可愛らしく見えてしまう。
東大卒、身長181cm。
世間からはイケメンだなんだと騒がれて、それなりに恋愛経験も積んできたはずのオレなのに。
今この瞬間、完全に一人の男としてノックアウトされていた。
『いや…別に。ただ、雰囲気が全然違うから一瞬誰だか分からなかっただけだ。……その、髪下ろしてるの、似合ってるなと思って』
柄にもなく、ストレートに褒めてしまった。
自分で言っていて耳が熱くなるのが分かる。
シンシアは一瞬驚いたように目を見張ると、今度は耳まで真っ赤にして、カーディガンの袖をぎゅっと握りしめた。
『……ありがと。ジンも私服だと普通の男の子……じゃなくて、大人の男の人に見えるわね。病院だと、いつも肩に力が入ってるから』
『……これでも27歳ですからね。十分いい大人ですよ』
からかうように笑う彼女に、オレは少し背伸びをするように返した。
年の差は8歳。
だけど、今の彼女の前では年齢なんて関係なく胸が強く脈打つ。
完全にペースを握られている。
いつもなら「オレの方が須本先生の一番弟子だ!」と噛みつくところなのに、今のシンシアの前では言葉がうまく出てこない。
彼女の手元を見ると、数冊の医学書が抱えられていた。
『それ、買うのか?』
『ええ。日本の小児医療のシステムをもっと勉強したくて。でも漢字が難しいのよね』
『……だったら、オレが翻訳手伝うよ。良さそうなカフェでも行って、教えてやる』
気がつけば、口が勝手に動いていた。
「須本先生を取り合うライバル」という大義名分を頭の中で必死に捏造しながら、オレは心臓のバクバクを隠すように、できるだけ自然なトーンで彼女を誘った。
『ちょうど腹が減ってたんだ。……ランチ、付き合えよ』
シンシアは、抱えた本からひょっこりと顔を出すようにしてオレを見上げた。
そして、今日一番の柔らかくて眩しい笑顔を咲かせた。
『いいわね。ジンのおすすめの日本の美味しいお店、連れて行って。あ、でも、ドクター・スモトについてのディスカッションは譲らないからね?』
『望むところだ』
歩き出したシンシアの、ふわふわと揺れる金髪を盗み見ながら、オレはポケットの中で小さく拳を握りしめた。
休日まで須本先生を取り合うはずが、どうしてこんなにドキドキしているのか。
27歳にもなって、こんな風に翻弄されるなんて計算外だ。
自分の心境の変化に戸惑いながらも、オレは彼女の隣に並び、本屋の自動ドアをくぐった――