●TIME LIMIT〜櫻井仁編〜 20●
「――新郎さま。準備はよろしいですか?」
カペラのスタッフの声に、オレはタキシードの襟元を正し、深く息を吐いた。
昨日、ハワイへ大集合した両家と須本ファミリーを交えた賑やかなディナーを終え、ついに迎えた結婚式当日。
慎一兄さんと須本先生が『一希と聖菜の防衛戦』をチャペルでも相変わらず繰り広げている小競り合いの声が微かに聞こえてきて、オレの緊張は不思議と心地よい高鳴りへと変わっていった。
そして、大扉が厳かに開かれた瞬間――オレの東大卒のポーカーフェイスは、文字通り跡形もなく消し飛んだ。
「……っ」
ヴァージンロードの向こうから歩いてくるシンシアの姿は、息を呑むほど、狂おしいほどに美しかった。
いつも病院で鉄壁に結び上げていたお団子頭を完全にほどき、あの本屋の時と同じ、ふわふわの天然パーマの金髪をハーフアップにして風になびかせている。
知的なスクエアメガネを外した碧眼は、南国の太陽の光を浴びてエメラルドグリーンの海のように輝き、純白のウェディングドレスに包まれた彼女の佇まいは、まるで楽園に降臨した女神そのものだった。
少しだけふっくらとしてきたお腹を愛おしそうに撫でながら、一歩一歩、オレの元へと歩んでくる。
付き合い始めたあの夜、オレのマンションのベッドの上で見せたあの無防備で柔らかい彼女の素顔が脳裏に蘇り、胸の奥が猛烈な愛おしさで引き裂かれそうになる。
オレの隣へと並んだシンシアが、少し潤んだ碧眼を細めて小さく囁いた。
『ジン、言ったでしょう?
世界一綺麗な私の姿を、あなたの特等席で見せてあげるって』
「……ああ。完敗だよ、シンシア。綺麗すぎて、心臓が止まるかと思った」
オレたちは腕を組み、神父の前へと進み出た。
カペラの中に、厳かなパイプオルガンの音が響き渡る。
ハワイの澄み切った潮風が、祭壇の向こうに広がる真っ青な水平線から吹き抜けていく。
『――病めるときも、健やかなるときも、互いを愛し、敬い、生涯を共にすると誓いますか?』
神父の問いかけに、俺は迷いのない、人生のどの瞬間よりも強い声で答えた。
「はい、誓います」
シンシアの細くて長い左手の薬指に、そっと指輪を滑らせる。
シンシアもまた、少し震える手でオレの薬指に指輪を嵌めてくれた。
その指先から、彼女の熱い鼓動がダイレクトに伝わってくる。
『――では、誓いのキスを』
神父の言葉を受け、オレはシンシアの顔を包み込むようにして、ゆっくりと引き寄せた。
あの遊園地の観覧車の頂点で交わしたキスよりも、ずっと深くて、熱くて、一生のすべてを懸けてこの人と、お腹の中の子を守り抜くという覚悟を込めた、本当の誓いのキス。
ハワイの美しい光の中で、私たちの薬指のプラチナが、眩いほどの輝きを放っていた。
挙式が無事に終わり、舞台はチャペルに隣接する、美しい芝生が広がるオープンエアのプライベートガーデンへと移った。
ハワイアンミュージックの生演奏が流れる中、色鮮やかなトロピカルカクテルやフィンガーフードが並び、両家の親たちや須本先生ファミリーの笑顔が溢れている。
「さあ、皆さん!
ここで新郎新婦から、もう一つのビッグなハッピーニュースがあります!」
慎一兄さんが司会者のようにマイクを握って場を盛り上げる中、オレとシンシアの前に、パステルピンクとパステルブルーのリボンで飾られた大きな白いバルーンが運ばれてきた。
そう、お腹の赤ちゃんの性部をここにいる全員に発表する、『ジェンダーリビール』のセレモニーだ。
中身を知っているのは、事前にエコーのデータを預かっていた産科医の慎一兄さんだけ。
「明菜ちゃん、どっちだと思う!?」
「私は絶対に男の子(ボーイ)だと思う!仁くんに似て生意気そうなイケメンよ!」
「私もそう思う!」
最強ママ友同盟の二人が、カクテルグラスを片手にウキウキで大盛り上がりしている。
ワシントンの義父と義母も『さあ、ジン、思い切ってポップするんだ!』と身を乗り出していた。
「よし、シンシア。いくぞ」
『ええ、ジン。私たちの最初の奇跡の答え合わせね』
オレとシンシアは一緒に一本の小さな針を持ち、大きなバルーンの真ん中を、せーので突いた。
――パンッ!
軽快な破裂音とともに、青空へ向かって飛び出したのは、鮮やかな『パステルブルー(男の子)』の無数の小さなミニバルーンと、きらきらと輝く紙吹雪だった。
「「男の子(ボーイ)だ!!!!」」
「やったぁぁぁ!
大当たり!」
愛さんと明菜さんがハイタッチをして大喜びし、ワシントンの義父も『ハンサムなボーイか!
素晴らしい!』とオレの親父と力強くハグを交わしている。
「須本、見たか。またお前のところの聖菜ちゃんを狙う男が誕生するわけだ」
慎一兄さんが須本先生に向かってニヤニヤしながら言うと、須本先生は聖菜ちゃんを愛おしそうに抱き直しながら、ふっと優しく目を細めた。
「そうだね、櫻井。でも、仁くんの息子くんなら、きっと素晴らしい小児科医の素質を持った男の子になる。数十年後、俺の本当の一番弟子として医局に迎えるのが今から楽しみだよ」
先生のその言葉に、オレの胸の奥が猛烈に熱くなった。
『ジン、聴いた?
ドクター・スモトったら、もう私たちではなく、お腹のこの子を一番弟子にする計画を立てているわ。……でもパパとママの終わらない一番弟子論争のディフェンスは、これからが本番よ』
シンシアは愛おしそうに、ブルーの紙吹雪が舞う中で自分のお腹を撫で、オレを見上げて世界一幸せな母親の笑顔を咲かせた。
オレはシンシアの腰を引き寄せ、ハワイのまばゆい太陽の光の中で、もう一度、深く、温かいキスを交わしたのだった――