TIME LIMIT〜櫻井仁編〜 10〜シンシア視点〜





「――あの、櫻井先生!ずっと、お伝えしたくて……っ」

 

 

 

午後の診療が一段落した、静かな月曜日の廊下。

ナースステーションへ書類を届けに行こうとした私は、角を曲がった先から聞こえてきた若い女性の切羽詰まった声に、思わずピタリと足を止めた。

 

隙間の向こうに、181pの長身で白衣を着こなしたジンの背中が見える。


そしてその正面には、顔を真っ赤にして、小さな手紙を両手で差し出している若いナースの姿があった。

 

 

 

(……告白、ね)

 

 

 

ドクン、と胸の奥が嫌な音を立てて波打った。

病院内での私たちは、まだ付き合い始めたばかりの『秘密の恋人』。

 

周囲にはいつも通り「一番弟子」を巡ってバチバチとやり合うライバルとして振る舞っている。

 

だから、彼女たちが何も知らずに、院内屈指のイケメンであるジンを狙ってアプローチしてくるのは、確率論として当然の帰結だった。

 

頭では分かっている。

 

分かっているけれど――私の碧眼は無意識に鋭く細まり、白衣のポケットの中の拳をぎゅっと強く握り締めた。

 

 

「櫻井先生、私、先生の優しい診察が大好きなんです! もしよければ、今度の当直明けに二人で食事に――」

 

「すみません、それはできません」

 

 

ナースの言葉を完全に遮るようにして、ジンの低く冷徹な声が響いた。

いつもの東大卒の完璧なポーカーフェイス。

 

彼は差し出された手紙を受け取ることもせず、真っ直ぐに彼女を見据えて言い切ったのだ。

 

 

「オレ、もう心から大切にしたいと思っている女性がいるんで。君の気持ちには一ミリも応えられません。失礼します」

 

 

一瞬の躊躇もない、完璧なシャットアウトだった。

ナースの女の子が涙目になって走り去っていく背中を見送りながら、私は小さく息を吐き出し、胸の奥にすーっと温かい安心感が広がるのを感じていた。

 

なんだ、この生意気な年下は。

 

ちゃんと言い訳せずにディフェンスできるじゃない。

 

けれど、安心したからといって、私の胸のモヤモヤがすべて消え去るわけではなかった。

私以外の女の子が、ジンに「大好きです」なんて熱視線を送っていたという事実に、ハーバード卒の私の論理的思考は激しい『ヤキモチ』という名のエラーを起こしていた。

 

 

 

『――いつまでそこに突っ立っているのよ、ドクター・サクライ』

 

 

私はわざと低い、冷たい英語のトーンで角から姿を現した。


腕を組み、スクエアメガネの奥の碧眼で彼を冷たく見下ろす。

 

 

「うわっ……! シ、シンシア!? なんでここに……っ」

 

ジンは弾かれたように飛び上がり、一瞬で顔を真っ白にした。

 

東大卒のポーカーフェイスが、またガタガタに崩れていく。

 

 

『見ていたわよ。あなた、随分とナースの女の子たちに人気があるのね。あんなに熱烈にアプローチされて、本当は少し鼻が高かったんじゃない?』


『な……っ、冗談だろ!?オレ、秒で断ったじゃん! 完全にシンシアへの忠誠を誓った対応だっただろ!?』

 

 

ジンは慌てて周囲に誰もいないかを確認すると、大きな体を縮めるようにして、必死に英語で捲し立ててきた。

 

 

『あなたがいつも無自覚にフェロモンを振りまいているから、あんな悪い虫が群がるのよ。……私、なんだか午後のカンファレンスのモチベーションが完全に下がってしまったわ』

 


私がわざとツンと背を向けて歩き出すと、ジンは悲壮感に満ちた顔をして、私の後に慌てて付いてきた。

 

 

『待ってくれ、シンシア!本当に誤解だ、オレが好きなのは君だけだ! 君のあのふわふわの金髪も、その綺麗なグリーンアイも、世界中の誰よりも愛してるのはオレなんだ!お願いだから怒らないでくれ!』

『声が大きいわよ、バカジン。誰かに聞かれたらどうするの』

 

 

早口の英語で必死に私に許しを請うジンの耳の裏は、恥ずかしさと焦りで真っ赤に染まっていた。


その一生懸命な彼の姿が、あまりにも愛おしくて可笑しくて、私の唇の端はもう引き締まった形を保てなくなりそうだった。

 

 

『……じゃあ、今日の夜、私の気が済むまでハーブティーを淹れて、ベッドの中で私だけにその愛の言葉を囁き続けなさい。そしたら許してあげるわ』

 

私が意地悪く囁くと、ジンは一瞬目を丸くした後、これ以上ないほど嬉しそうに、だけど男らしい色気を孕んだ瞳を細めて微笑んだ。

 

 

『――望むところだ。夜になったら、ポーカーフェイスなんて全部忘れて、君への愛を24時間分たっぷり証明してやるよ』

 

 

スクエアメガネを指で押し戻しながら、私は小さくフンと鼻を鳴らした。

 

 

病院ではまだまだ秘密の恋人。

 

でも、ジンの薬指と私の薬指が本物のプラチナの指輪で結ばれるその日まで、私のこの『世界一のディフェンダー』としての独占欲は、誰にも譲るつもりはない――

 

 

 

 

 

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