●TIME LIMIT〜明菜AI編〜●
「ちょっと明菜、さっきからパンケーキの上のイチゴ見つめてニヤニヤしすぎ。不審者一歩手前よ?」
渋谷のカフェ。
お気に入りのベリーパンケーキを前に、だらしなく頬を緩めていた明菜は、対面に座る親友の声で我に返った。
黒髪のボブを揺らし、ストローをくわえたままジト目を向けているのは百合子だ。
K大経済学部に進学し、すでに将来は「大手銀行への就職」を見据えて資格の勉強を始めている超現実主義の塊である。
「あ、ごめん……!つい、昨日のこと思い出しちゃって……」
「――昨日のことって、またその31歳の小児科医のことでしょ。毎週毎週、よくそんなに惚気るネタがあるわね」
百合子は呆れたように溜め息をついたが、明菜は耳まで真っ赤にしながら、声を潜めて机に身を乗り出した。
「だって……お休みの日に須本さんの部屋に行くとね、本当に優しくて……。私が『いつか結婚しようね』って言ったときの約束を大事にしてくれて、左手の薬指にキスしてから抱きしめてくれるの。もう、触れられてるだけで頭が真っ白になっちゃうくらいカッコよくて……」
「はいはい、ごちそうさま。お盛んなことで」
百合子は手元のスマートフォンに視線を戻しながら、なんの躊躇もなくストレートな毒舌を放った。
明菜は「お、お盛んって……っ///」と顔から火が出そうになる。
しかし、百合子はスマートフォンの画面からパッと顔を上げると、経済学部の学生らしい、ひどく冷徹で真剣な瞳で明菜をビシッと指差した。
「いい、明菜。あんたがそのイケメンドクターにメロメロなのは勝手だけど、これだけは絶対に譲っちゃダメよ」
「え……? なに……?」
「避妊。ちゃんとしてもらいなよ。毎回、絶対に、100パーセントね」
「ふえっ……!?///」
あまりにもド直球な単語が飛び出し、明菜は喉を詰まらせて咳き込んだ。
周囲の席に聞こえていないか、大慌てで辺りを見回す。
「な、何言ってるの百合子!
須本さんはお医者さんだし、そんなの、ちゃんと……!」
「お医者さんだろうが天才だろうが、男は男よ。あんた、自分が今何年生か分かってる?
看護学科のピカピカの一年生でしょ」
百合子は腕を組んで、コンサルタントのように淡々と現実を突きつけ始めた。
「もし今、うっかり計画外の妊娠でもしてみなさいよ。大学は休学しなきゃいけないし、実習のカリキュラムは全部狂う。あんたの夢である『看護師になる未来』の損失コストがどれだけ大きいか、経済学的に計算してあげましょうか?」
「う、ううん、大丈夫……」
「それにさ、あんたのお父さんの血筋を舐めない方がいいわ。お兄さんだってデキ婚だし、あんたの家系、一歩間違えると愛の暴走機関車なんだから」
これには明菜もぐうの音も出なかった。
「……須本さんね、私が『学生結婚も素敵だよね』って言ったら、すごく喜んでくれて。『明菜ちゃんが大学生活と両立できるように、生活も俺が全部責任を持つから』って言ってくれたの」
明菜が少しだけ声を落として、須本の誠実な誓いを伝えると、百合子は組んでいた腕を緩め、ふっと少しだけ優しい目を向けた。
「……ふーん。まあ、31の男が19の女の子を本気で囲い込もうっていうんだから、それくらいの覚悟はなきゃ困るけどね。その先生、共通テストで990点取ったっていう割には、あんたに対してだけは計算狂いっぱなしで純情じゃない」
「百合子……」
「分かったら、惚気る前にまずは単位を落とさないこと!
そして、次回のデートの時も、ちゃんと大人の責任を果たさせること。いいわね?」
「うん……っ。ちゃんと須本さんにも、百合子にビシバシ言われたって伝えておくね」
「ちょっと、私の名前を出して変なプレイに巻き込むのやめてよ!?」
呆れる百合子に、明菜はくすくすと声を上げて笑った。
厳しいけれど、誰よりも自分の未来を心配してくれている親友。
(百合子の言う通り。早く須本さんの本当の奥さんになるためにも、お勉強も大人のデートも、ちゃんと頑張らなきゃ)
バッグの中のスマートフォンには、今朝須本さんから届いた『今日の夜、少しだけでも声が聞きたいな』というLINEが残っている。
明菜は冷めてきたパンケーキを口に運びながら、甘い恋心と、看護学生としてのささやかな決意を、胸の中でしっかりと握りしめるのだった――