●THORN PRINCESS 29●


塔矢が退院した数日後―――オレらは碁盤の前で向き合っていた。


「久しぶり…だな」

「うん…。プライベートで打つのは…2年と10ヶ月ぶりだね。キミがタイトルを奪取した日の2日前以来だ…」

「明後日から同じタイトルの防衛戦だ…。景気づけに勝たせてもらうぜ?」

「どこまでその余裕が持つかな?」



「「お願いします」」






思い起こせば色々なことがあったこの2年と10ヶ月。

塔矢が乱交を始め……オレはタイトルホルダーとしてのプレッシャーに押し潰されそうになり、自分のことで精一杯で……彼女の変化になかなか気付けなかった。

気付いた時にはもう既に遅し…って状態で、オレの力じゃ止めることもどうすることも出来なかった。

ほぼ逆ギレみたいな感じでオレも塔矢と関係を持って……まさかの妊娠。


『進藤の子供なんて産みたくありません』


今でもこの強烈な一言は忘れられない。

オレに仕返しするためだけに産むことを決意して……でも結局はオレを受け入れてくれた。

結婚してくれた。

子供は亡くなっちゃったけど……でもそれはまた始めに戻っただけ。

オレとオマエが最後に打った…あの時にまで戻っただけだ。


もう一度最初から全部やり直そう。

オレは神の一手を極められるのはオマエとの対局以外ありえないって思ってる。

心からライバルだと思えるのはオマエしかいないって思ってる。

ここからだ。

この対局からまたオレ達の長い囲碁人生が始まる――



――オレ達夫婦の本当のスタートもここから――














何時間ぐらい経ったんだろうか…。

午前中に打ち始めたはずなのに……いつの間にか陽が落ちていた――



「…ありませんっ」


そう負けを認めたのは―――塔矢。

悔しそうに彼女が唇をぎゅっと噛み締めた―。


「ありがとうございました」

「ありがとうございました」


一礼した後、オレは直ぐに膝を付いたまま身を起こし――碁盤越しに塔矢を抱き締めた―。


「…いい碁…だったな」

「うん…。こんなに真正面からキミと向かい合って…本気で打ったの久しぶりだ…」

「オレ負けるかと思った…。いや、途中まで負けてたな」

「うん…、まさかこんな所に巻き返す切り口があったなんて…気付かなかった」


塔矢が嬉しそうに碁盤の右上を指差した。


「キミ、読みがまた一段と良くなってる」

「オマエも攻め方変わったな。昔はこんな切込み方しなかった」


再び座り直し、オレの方も碁盤の石を動かして…に塔矢の攻め方を再現してみせた。

久々の本気の対局。

久々の検討。

信じられないぐらい胸が踊ってワクワクしてるのが分かる―。



「こんなに碁が楽しいと思ったの久しぶりだ…」

「辞めなくてよかっただろ?」

「うん…。あの子の…お陰だね」

塔矢がもう存在しない子供のいた場所に…手を当てた――


「僕…きっとあのまま家庭に入ってたら……絶対に後悔してた」

「うん…そうだな」


オレは塔矢に入って欲しかった…なんて言ったら怒るかな…?

でも、今日打ってみて分かった。

やっぱりオマエは根っからの棋士だよ。

家庭に大人しく収まる器じゃなかったんだ…――



「ごめんね進藤…。僕…やっぱりもうしばらくは碁を頑張りたい。子供はまだ欲しくない」

「うん…いいよ。オレも夫として棋士のオマエを応援したい。ライバルとして…一緒に高めあっていきたい」

「ありがとう…」

今度は塔矢の方が碁盤越しに身を乗り出してきて……オレの口にそっとキスをしてきた――


「……でも、いつか…作ろうね。今度は心から…純粋に子供が欲しいと思った時に…―」

「うん…――」


オレの方からもキスをして…溢れる気持ちを耳元で囁いた――


「好きだよアキラ…」


微笑んだ彼女が返してくれたのは――夢にまでみた台詞。


「僕も…―」




―――好きだよ―――
















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