●THORN PRINCESS 19●
行き先を変更して、区役所前に止まったタクシー。
「直ぐ戻ってくるんで、待っててもらってもいいですか?」
「はいはい、いいですよ。ごゆっくり〜」
さっきの会話を全部聞いていた運転手は既に半笑い状態だ。
「お兄さんも大変だねぇ。頑張って」
「…ありがとうございます」
先に中に入っていく塔矢を追いかけて、一緒に戸籍課に向かった。
「………」
黙々と『妻』の欄に記入していく塔矢。
ドキドキしながらオレはそれを横で見守る。
「キミの姓でいいよね?」
「うん」
「新しい本籍はどこにすればいいんだ?」
「オレの実家でいいんじゃねぇ?」
「その下は?『同居を始めたとき』…ってまだ始めてないんだけど」
「今月でいいよ」
「ふーん…」
続けて塔矢が『初婚』の欄にチェックする。
職業の欄にオレと同じ『棋士』と書く。
そして署名をして…判を押して……完成。
かなり感動。
「出してきても…いい?」
「うん」
平日の、比較的空いてる時期・時間の区役所。
直ぐに受理されて―――オレらは正式に夫婦になった。
「…嬉しそうだな」
「え?あー……うん」
再びタクシーで病院に向かい始めた後、顔が緩みまくりのオレを見て…塔矢が呟いた。
「すげぇ嬉しいよ。…オマエは?」
「まだ実感がない」
「ん、だよな。でも…もう誰が何と言おうとオマエはオレの妻なんだぜ?んでオレはオマエの夫」
「そうだね。でもこの子がちゃんと産まれて、落ち着くまでは別居生活だからな」
「うん…分かってる」
「結婚式も披露宴も無しでいいよね?このお腹でドレスなんか着たくない」
「…だよな。でも写真ぐらいは撮ってもいいだろ…?今ならまだそんなに目立ってないし…」
「まぁ…写真ぐらいなら」
「ありがと、塔矢」
結婚式もナシ。
もちろん披露宴もナシ。
そしてしばらくは同居もナシ。
夫婦になれても決して甘くない現実に…少し溜め息を出る。
確かに普通の甘い新婚生活なんて夢のまた夢なのかもしれない。
だけど…この塔矢を手に入れられたってだけで十分に嬉しい。
子供だって産んでくれるし…父親にだってなることが出来る。
ほんの数ヶ月前までの状況と比べたら夢みたいな現実だ。
高望みはしない。
今はこれだけで十分に幸せだ…――
「おめでとう」
塔矢が定期検診に行くと、必ず横の精神科からわざわざ会いに来てくれるカウンセラーの先生。
オレらが結婚したってことを伝えると、産婦人科の看護婦さん達と一緒に祝ってくれた。
「一時はどうなることかと思ったけど、上手くまとまってくれて良かったわ〜」
「心配かけてすみませんでした」
「赤ちゃんの方も順調ですよ。ほら」
初めて見た塔矢の子宮の中で育ってる子供の映像。
思ったより大きくて…ドクンドクンってすげぇ動いてる。
何か感動…――
「塔矢…ありがとう」
「…何が?」
「おろさないでくれて…ありがとう」
「……別に。僕はただ…キミを傷つけたかっただけだ」
「傷つくどころか喜んでるぜ?」
「………」
「あと4ヶ月…よろしくな?」
「……長い」
溜め息を吐いてきた塔矢の肩に、そっと手を回した―。
「頼むな?オレ…、いい父親になれるよう頑張るから。もちろんいい夫にも…」
「でも僕はいい母親にもいい妻にもなれないよ?キミが浮気を許すって言うのなら…また同じことを繰り返しちゃうかもしれないし」
「じゃあ…やっぱり許さないって言ったら?」
「仕方ないから…キミとする」
え…?
「……マジ?」
「…うん」
「本当に?」
「うん…」
「……」
突然の塔矢の誘いに、驚きで頭が回らなくて…固まってしまう。
…本当に?
本当にまたオレと寝てくれんの?
「そうね、塔矢さん。今度は相手を一人に決めましょう。その相手が夫なら、もう誰からも何も言われないわ」
「…はい」
『夫』って…最高かもしれない――
NEXT