●SEINA U 1●
『精菜、木曜日…学校休んで大阪来てくれる?』
佐為が私にそう電話でお願いしてきたのは、日曜の夜だった。
その意味を一瞬で理解した私は、電話口で頬を赤く染めた。
「うん…行くね。絶対に勝ってね、佐為」
『うん――もちろん』
当日朝、私は学校を休んで大阪行きの新幹線に乗った。
そして直ぐ様携帯を取り出した。
リアルタイムで配信されているそのサイトを開いた。
そのサイト――囲碁チャンネルのタイトルは、『第60期十段戦挑戦手合五番勝負 第5局』。
会場は関西棋院。
既に対局は始まっていて、自分の父親と恋人が交互に打ってるその様子が映し出される。
私が小学3年生の時からずっと付き合っている恋人――進藤佐為。
幼なじみだった彼とは、生まれた時からの仲だ。
「好き」と告白したのは私から。
直ぐに彼も「僕も」と返してくれてお付き合いが始まった。
一ヶ月もしないうちに、私は小学3年生でキスを経験した。
もちろん唇をそっと合わせるだけの可愛いキスだ。
初めて生々しい大人のキスを経験したのは5年生の時。
プロ試験の真っ最中だ。
付き合い始めて以降、初めて佐為が私の部屋に来た日のことだ。
もちろんしばらくはキス止まりの関係が続くと思っていた。
でも彼も私も体の成長は平均より早くて、それ以上の関係になりたいと思うのに時間はかからなかった。
かからなかったけど、一線を越えるには早すぎる年齢だ。
結局私が高校生になるまで、体を触り合うだけで我慢しようという結論に至った。
あれから4年と3ヶ月。
私はこの春から海王高校の1年生に、佐為は3年生になった。
約束の時が来た。
でもいざ来てみると――大変な時期だった。
1月に十段戦本戦決勝で自分の母親、塔矢アキラ名人に勝利した佐為は、挑戦権を手に入れた。
人生初の七大タイトルへの挑戦権。
おまけに17歳4ヶ月という最年少記録でタイトルホルダーになるかどうかもかかっている。
おまけにプロ入りから4年でタイトルホルダーという最速記録になるかもかかっている。
3月から始まった父、緒方十段との五番勝負。
第一局は父の勝ち、第二局は佐為、第三局も佐為、第四局は父――と結局最終局までもつれてしまった。
勝っても敗けても今日で決着が着く。
でも佐為は勝つつもりなんだろう。
だから――私に電話してきたのだ。
大阪に来てほしいと。
傍で見守ってほしいと。
そして全部終わった後―― 一緒にその夜を過ごそうと。
朝まで一緒にいようと。
(……緊張してきた……)
もちろん触りあってたこの4年間で、お互いの体なんて見つくした。
でも、きっと、今までとは全然違うんだろうな…。
それが一線。
この4年間、お互いが理性を振り絞って我慢してきたこと。
(今夜はもう我慢しなくていいんだ…)
緊張する。
でも、嬉しい。
私は心待ちに新幹線から外の流れ行く景色を眺めた――
私が関西棋院着いたのは、ちょうどお昼休憩終了間際のタイミングだった。
私はコンコンと緊張気味に佐為の控え室をノックした。
「はい」と真剣な面持ちでドアを開けた彼は、来たのが私だと分かると急に真顔に戻り、次に頬を赤めた。
「精菜…」
「遅くなってごめんね」
「入って」と手を引っ張られる。
「もうすぐ再開?」
「うん…もう行かないと」
「頑張って。私も大盤解説会場で見てるね」
「うん…」
佐為が鞄から何かを取り出した。
そして私に渡してくる。
それが何か分かった瞬間に、私の頬はまた赤くなった。
「そんなに遅くはならないと思うから。7時には行けると思う」
「……うん」
「夕飯食べておいて」
「……うん」
そして耳元で、「1801だから」と囁かれる。
「……分かった」
「じゃ、行ってくる。絶対勝つから」
「うん――」
最後に見えた彼の顔は、もう棋士の顔になっていた。
彼から渡されたルームキーを握り締めたまま、私も大盤解説の行われている会場に向かった――
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