●GO!GO!SANA 10●
窪田棋聖と碁盤を挟んで向かい合って座った。
「海王中はどう?」
「え?」
「蓮も今年受験でね。第一志望は海王中なんだよ」
「え……そうなんですか?」
私はチラリと蓮君の方を見た。
昭彦おじさんと何やら楽しそうに話しながら、打ち始めていた。
「妻が海王は棋士慣れしているから、両立がしやすかったと言っていてね。蓮も興味を持ったらしい」
「そうなんですね…」
「もし合格したらよろしく」と棋聖にニギりながら言われる。
ふぅん…。
そうなんだ……蓮君海王受けるんだ……
海王中は半分が私みたいな小学校からの持ち上がり組。
そしてもう半分が外部受験組だ。
海王が棋士慣れしているという噂は今や有名な話で、今も在学中のプロ棋士は多い。
(確か高校には3人くらいいたはずだ)
父も棋士に甘い海王だったから、何とか留年せずに卒業出来たと昔言っていたのを思い出す。
(何せ父はタイトル戦中は学校を普通に週4とか毎週のように休んでいたらしい。他の学校ならまず出席日数が足りなくてアウトだろう)
私が黒と決まり、一緒に頭を下げた。
「「お願いします」」
私はドキドキしながら一手目を指した。
すぐに棋聖も打ってくる。
しばらくノータイムでの打ち合いが続いた。
父と窪田棋聖の初対局も、今と同じような状況だったらしい。
昭彦おじさんに連れられて、窪田棋聖の師匠の研究会に参加し、そこで初めて対局した二人。
まだ父が入段直後、今の私とそう変わらない中2の春の話だ。
結果は父の負け。
当時若手ナンバー1だった窪田棋聖に、父は中押し負けだったそうだ。
二人の初めての公式戦は名人リーグ。
入段して二年目、しかも父にとって初めてのリーグ入りだったわけだけど――今度は窪田棋聖が敗れたらしい。
しかも結局父はリーグ残留を果たし、窪田棋聖は陥落した。
その頃から「若手ナンバー1」の称号は父に移ったらしい。
パチッ パチッ パチッ……
――強い。
めちゃくちゃ強い。
明らかに手を緩めてくれてるのに、それでも全然敵わない。
まるで父と互戦で打ってるような感覚。
どう打っても上手くかわされる。
受けが強すぎる。
それにこのヨセの正確さ……
「ありません…」
私は終局を待たずに早々に投了した。
窪田棋聖が何かを考えるように腕を組み出した。
「お父さんとはよく打ってるの?」
「あ…はい。父が家にいる時は毎日…」
「棋風が似てるね」
「そうですか…?」
「うん。そして緒方先生とも似てる。お母さんともよく打ってるのかな?」
「そうですね……父がいない時だけですけど。でも昔から父は不在がちなので、トータル的にはやっぱり半々くらいなのかな」
「うん、本当そうだね。進藤君と緒方先生のいいとこ取りみたいな棋風になってる。素晴らしいセンスだよ」
「……」
き、棋聖に褒められてしまった……
嬉しい……
その後皆で私達の対局を検討して、一旦休憩となった。
横の部屋に奥さんの内海女流が、お茶と美味しそうなお菓子を用意してくれていた。
それを皆で食べながら和気あいあいとお茶会がスタートする。
ちなみに私の前に座ってるのは東九段だ。
(やっぱり噂通り40代にはとても見えない…。20代にしか見えない…)
「東先生もこの研究会によく来られるんですか?」
「うん、たまにね。実は京田君が来る時に合わせてる」
「え?」
「いつも京田君が持ってくるこのお菓子が美味しすぎるから」
そう言いながら東九段がご機嫌にクッキーをつまんだ。
そういえばここに着いた時に、昭彦おじさんが内海女流に紙袋を渡していたのだ。
中身はこのお菓子だったらしい。
私もパウンドケーキをいただくことにした。
「あ、本当だ。美味しい…」
「だろ?」
でも食べたことのある味だった。
これは確か……
「昭彦おじさん、もしかしてこのお菓子、おじさんのお母さんの手作り?」
私は左隣に座っている昭彦おじさんに尋ねた。
「そうだよ、よく分かったね」
「昔よく食べたから」
誠達と打つ為に、二人が放課後を過ごす昭彦おじさんの実家にも昔よく行っていた。
その時に必ず手作りのおやつをいただいていたのだ。
「京田君、お母さんにお礼を伝えておいてくれるかな?」
窪田棋聖がいつもありがとう、とおじさんにもお礼を言う。
「はい。でも母は常に食べてくれる人を探しているので、むしろ母の方が感謝してると思いますよ」
誠達も大きくなってしまったから、今は実家に預けられることもなくなった。
おじさんのお母さんは、どうやらまた暇をもて余しているらしい。
でも彩おばさんに3人目が出来たら、きっとお母さんもすることが出来て大喜びだろう。
「昭彦おじさん」
「なに?」
「彩おばさんに『お願い』された?」
昭彦おじさんはお茶に噎せていた――
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