●OUTPATIENT QUALIFYING 1●
「じゃあ、行ってきます」
「頑張れよ!」
「お兄ちゃんファイト!」
「いつも通りにね」
7月下旬――待ちに待ったプロ試験が今日から始まる。
両親と彩に見送られて、僕は少しだけ緊張気味に市ヶ谷駅を目指した。
日本棋院での棋士採用は両親の時と変わらず今年も3名。
人数は変わらないけど少しだけ制度が変わっていて、院生でない僕はまず「外来予選」というのを受けなければならない。
参加者は棋譜審査合格の10名、上位4名が次の合同予選に進めるリーグ戦だ。
9月に行われるその合同予選も突破すれば、ようやく彩も受験する10月からの本戦に進むことが出来る。
長い4ヶ月にも及ぶ僕のプロへの第一歩がようやくスタートする――
「――聞きました?今年のプロ試験、外来の申込者過去最低だったらしいですよ」
棋院に着いて、会場である6階に向かおうとエレベーターに乗り込むと、同じ受験生らしい青年二人が話し出した。
「まぁ気持ちは分かるけどね。今年だけは避けたいって」
「今年は厄年ですからね」
「合格の見込みは少なそうだけど、お互い頑張りましょう」
6階に着いてその人達と一緒にエレベーターを降りる。
控え室に入ると、開始20分前でももう全員集まっているみたいだった。
僕以外全員ハタチ前後の男性。
受験資格が23歳未満と決まっているし、院生はこの予選には出場しない。
一人だけ明らかに若い僕に向けられる全員の視線を痛いほど感じる。
「――来たぜ、進藤佐為」
「アイツが…」
「塔矢名人に似てるね」
「はぁー…厄年」
プロ試験合格はたったの3人。
3人しか受からないのに、大三冠を保持している進藤ヒカル、塔矢アキラ、緒方精次の子供達が全員受験する今年は、同じ受験生にとって『厄年』だと噂されていることは僕も知っている。
受けてもどうせ受からない――だから申し込みすらしない。
馬鹿げている発想だ。
僕らが受けるから今年はパスした連中が、来年受けたところで合格するわけがないと思う。
プロ試験はそこまで甘くない。
「おはようございます。全員揃ってますね?」
開始10分前。
試験の立会人である白川先生が会場に入ってきた。
点呼がてら一人一人名前を読み上げてリーグのくじをひいていく。
「次、進藤さん」
「はい」
僕もひきに白川先生の前に行く。
「8です」
「進藤さんは8…と」
先生が表に僕の名前を記入する。
そして小声で「頑張って」と激励された。
「ありがとうございます…」
院生師範でもある白川先生。
森下門下の先生だから、どちらかというと塔矢門下の僕とはあまり接点がないけど、父とは親しいらしい。
父が始めて森下先生の研究会に行った時、父は今の僕と同じ中学1年生だったと聞く。
囲碁を始めて1年で院生になった父、翌年一回の挑戦でプロ試験に合格した。
改めてすごいなと思う。
一方母も外来から受けて、不戦敗をした1敗を除くと全勝でトップ合格を決めた。
両親が一発合格だから当然僕も一発合格が当たり前だと周りに期待される。
もちろんそのつもりだけど、このプレッシャーは半端ない。
(落ち着け…)
深呼吸をして、僕は対戦相手に決まった石見さん(去年まで院生だった大学生)の前に座った。
「「お願いします」」
午前に一局、昼食を挟んで午後からも一局対局して初日は終了した。
明日も9時から同じ日程だ。
家に戻ると、
「お兄ちゃんお帰り!勝った?負けた?並べて並べて〜〜」
と彩が飛び付いてきた。
「お帰り、佐為」
リビングから母もやってきた。
「緊張した?」
「少しね。でも相手の方が緊張してたみたいで、二局とも中押し勝ち出来たよ」
「そう。よかったね。明日もあるんだろう?」
「うん。来週の土日と、予定通りいけば来月の20日で最後かな」
「いいな〜〜私も早くプロ試験始まらないかなぁ」
彩が羨ましそうに言ってくる。
7月8月の院生順位が10位までは予選免除。
現在1位の彩は当然いきなり本戦だろう。
気になるのは精菜だ。
相変わらず研修を休みがちの精菜の順位は今月ギリギリの10位。
来月もし順位を下げたら、もしかしたら次の合同予選に出てくるかもしれない。
そうなると強敵だ。
「二戦目も元院生か?」
「ううん。アマの大会で何度か優勝経験があるって聞いたけど…」
夕方――イベントの手伝いから戻った父と今日の対局を並べて検討することになった。
「アマの大会ねぇ…」
「ここの並びは悪くないと思うけど…」
「慎重になりすぎてるな」
「良く言えば手堅く打ってるけどね」
「でも差は縮まらない。ここで投了か?」
「うん」
うーん、と父が唸る。
「無理だな、プロは」
「僕もそう思う。他の外来がどれくらいの棋力か分からないけど、院生に当てはめたらB組の実力だと思う」
「そうだな」
既に22歳でB組の実力、残念だけど予選はおそらく突破出来ないだろう。
父が碁石を片付けだしたので、僕もそれに続く。
「一局打つか?あ、初日で疲れてる?」
「まさか」
苦笑いした僕に、父も「だよなぁ」と苦笑い。
「でも気は抜くなよ。オレも予選は2敗してるし」
「え?そうなの?」
「当時は30まで受験できたんだよな。あんまり大人と打ったことなくてさ、力が出しきれなかった」
「碁会所に行けばいくらでも打てるのに?囲碁サロンは?」
「あすこはアキラのホームだからな。行き出したのもアキラと打つようになってから」
「あ、そっか。当時はお母さんと絶交してたんだっけ?」
「ぜ、絶交なんてしてねーよ!ちょっと…オレの前にはもう二度と現れないとか何とか言われただけだしっ」
(…それを絶交って言うんじゃ?)
「と、とにかくだな、予選のあと、和谷と伊角さんが碁会所巡りに誘ってくれてさ、団体戦とかして、オレは大人に慣れていったんだよな」
「じゃあお父さんがプロ試験に受かったのは和谷先生と伊角先生のおかげだね」
「あー…そうだな。半分は二人のおかげかもな」
「半分?もう半分は?」
「そりゃもちろん――」
父が台所で夕飯を作っている母に目を向けた。
母のおかげ…らしい。
院生になったのもプロになったのも全て母を追うため。
僕がプロになるのも、そんな両親を追うため。
いつか公式戦で戦いたい。
タイトル戦で真剣勝負がしたい。
それが僕の目標、僕がプロになる目的だ。
明日もその為の一歩を頑張ろうと心に誓った――
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院生1位は試験なしでプロになれる制度は無視でお願いします〜。