●7 DAYS LOVERS 20●


甘い香り…。

「―ん…」

目が覚めると進藤は隣りにいなくて、代わりにいい匂いが漂っていた。

進藤…何か作ってるのかな…。

時計を見るとまだ7時前だった。



「おはよう…」

服に着替えて、準備をし終えてから台所の戸を開けてみる。

「お、塔矢おはよー」

振り返った進藤はエプロン姿で、右手には菜箸、左手にはフライパンを持っていた。

あまりに不似合いな格好に思わず吹き出してしまった。

「なんだよ、笑うなよな。せっかくオマエの為に朝食作ってやってんのに!」

「へぇ…ありがとう」

意外な風景にも驚いたけど、進藤の作ってるものにも驚いた。

サラダにオムレットにパンに――いかにも洋食って感じの朝食だけど、結構上手に出来ていて…盛り付けも綺麗だ。

「美味しそう…」

「だろ〜?今日はオレがオマエの奥さんになってやるからな!」

「は?」

「だから、家事は全部オレがやってやるって意味。旦那さんは他のことは気にせずお仕事だけ頑張ってきていいぜv」

「キミが…?」

ちょっと眉間に皺を寄せた僕を見て、進藤が口を尖らせた。

「何だよ、オレじゃ不安って顔して!」

「いや、そんなことないよ。ありがとう…助かるよ」

へへっと笑って優しく頬にキスをしてきた。

「さ、さ、食べてみて?」

「う、うん」

こういうちょっとした心遣いがすごく嬉しい…。

僕が美味しそうに食べてるのを見て、進藤もニコニコとご機嫌だ。

「何か新婚夫婦になったみてぇ…」

「そうだね…」

今まで結婚なんてしてもしなくてもどうでもいいと思ってたけど、こんな気分になれるならしてもいいかな…と少し思ってしまう。

他人に比較的興味がなかった僕を進藤はどんどん変えていってくれる。

キミが僕の前に現れた時から、ドキドキの連続だ。

…でも、そういうのも悪くない。


「キミは今日何するの?」

「え?だから家事…」

「そんなもの午前中のうちに終わってしまうだろう?」

家事だけで一日が終わってしまうんだったら、専業主婦の人は堪ったもんじゃない。

「んー…取りあえずテレビでお前の解説を聞こうかな」

「…それはどうも」

「オマエの営業スマイルたっぷり拝んでおかないとな♪」

オレの前じゃ全然してくれないし、と。

当然だ。

何で進藤に気をつかわなくちゃならないんだ。

「オレの前でももっと笑ってくれよ〜」

「ちゃんと笑ってるよ。今も!」

「そうか〜?」

人の顔をジロジロ覗きこんでくる。顔が近付いたことでちょっと頬を赤くした僕を見て、進藤の顔がニヤけた。

「あ〜、やっぱオマエって可愛すぎー」

ぎゅっと抱き締めてくる。

「…可愛いなんて言われても嬉しくないし…」

「何で?せっかく褒めてのにー」

「そういうのは女の子に言ってあげるべきだよ」

「言っていいの?」

「……ダメ」

進藤の顔がますますニヤけてくる。

「ヤバいぐらい可愛いぜオマエ!」

更に強く抱き締めてきて、首筋に唇を押しつけてきた。

「…痕付けるなよ?」

「ん、分かってる…」

首筋から耳に―頬に―目の上に…わざと音を発てながらキスを連発してくる。

「また8時間ぐらいお別れだからな…。その前にたっぷり抱擁しとかないと―」

「……」

一通りのキスを終えた唇は、当然のように最後は口にやってきた。

「塔矢…好き―」

「…僕も―」

重なってきた唇の温かさを感じながら…ゆっくりと目を閉じた。

この時間がいつまでも続けばいいのに―。



「じゃあ行ってくるから」

「おぅ!気をつけてな。夕食作って待ってるぜ」

進藤に目を細めて笑いかけた後、家を出た。

NCC杯の大盤解説は予定時間にピッタリ始まり、順調に進んでいった。

普通こういう大きな大会での解説はもっと高段位、八段とか九段とかになってからかタイトルホルダーがするものなのだが、今回の決勝は偶然にも緒方さんと笹木さんという塔矢門下同士の対決となり、それならば…と僕が解説に呼ばれたのだ。

二人の手筋は知りつくしている分返って説明しやすく、補助に回ってくれていた女流の方もしゃべり上手な人で、途中お客さんの笑いも取れたりして僕自身もかなり楽しむことが出来た。


「アキラ、お疲れ〜!」

休憩時間に手伝いに回っていた芦原さんが、ジュースを手渡しながら話しかけてきた。

「ありがとう。芦原さんもお疲れ様」

「にしても見事に塔矢門下が揃っちゃったな〜」

「そうだね、こうやって皆同時に会うのは1ヶ月ぶりかな」

前に皆で集まったのはお父さんが韓国から帰ってきてた時だったから8月の中旬。

お盆の時期だった。

「どうする?この後久々に皆で食事に行く?」

「え…」

いきなり言葉を詰まらせた僕を見て芦原さんが不思議そうな顔をした。

「今日はちょっと…」

「あ、もう先約が入ってた?」

「うん…ごめん」

デートか?と僕を冷やかしながら笑った。

「ま、先生が帰ってきたらまた集まると思うし、その時な」

「うん…」

月末までもう秒読みだ。

お父さん達が帰ってくるのは嬉しいけど…今は正直あまり…。

帰ってきてしまったら、それと同時に――


「明日ぐらい?帰ってくるのって」



え…?



「ど、どうして…?」

震えるぐらいに動揺した僕を見て、芦原さんが眉を傾ける。

「え?だって先生のいる北京チーム、昨日見事リーグ優勝したし。もうあっちにいる理由ないだろ?アキラ知らなかったのか?」

「…知らない」

そういえば進藤が家に来てから向こうのリーグの経過なんて見てなかった。

いつもならネットでちゃんと確認してたのに―。

「先生から連絡は?」

「まだ…だけど」

その瞬間ハッとした。

もし僕の留守中に電話がなったりして、それを進藤が取ったりしたら―。

一気に血の気が引いていくのが分かった。

急いで公衆電話に走る。

あぁ、もう!

やっぱり携帯買おうかな!


プルルルル

プルルルル


…出ない?

良かった、やっぱり進藤も自分が出たらマズいということは分かってるみたいだ。

ちなみに僕は進藤の携帯の番号を知らない。

そう…、知らないんだ…。

今更だけど…僕は彼のことを何も知らない気がする。

進藤の誕生日でさえ知らない。

この前が誕生日だったとか言ってたから9月だとは思うけど…。

血液型も家族構成も何も知らない。

本当に僕らは付き合ってるのか?

キミだって僕のことを何も知らないだろう…?

…いや、あの進藤ならどこからか僕の個人情報を得てそうだ…。

帰ったら聞いてみよう…。



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