●NOTICE 1●
――女はその気になればどのくらい変われるのだろう――
僕は今日、生まれて初めて髪を茶色に染めてみた。
ふわふわのパーマもあててみた。
美容室が終わると、その足でデパートに直行。
店員さんに進められるままに流行りのワンピースを購入してみた。
今にも下着が見えそうな短いスカートにちょっと焦りつつも、気を取り直して次はそれに合う靴も鞄もアクセサリーも購入。
そして新しいメイク道具を買う為に化粧品売り場にも寄ってみた。
綺麗なお姉さん達が僕の顔を別人に変えて、ネイルも施してくれた。
デパートを出て、ショーウインドーで改めて上から下まで自分の姿を見てみる。
人間…やれば出来るものだな…と思った。
きっかけは好きな人の一言だった。
「オマエって地味だよな」
そんなこと、わざわざ言われなくても分かっている。
いいじゃないか、地味で。
碁打ちが地味なのは普通………と今まで思っていたのだが、周りの女流棋士をよくよく見て見ると、皆それなりにファッションにも気を使っていることに気付いた。
スーツばかりで、髪もアップに纏めて、おまけにメイクはファンデーションだけ…の僕とは大違いだった。
ただでさえ性格も暗くて、囲碁のことしか考えてない僕。
男の人がどうして僕に寄ってこないのか…初めて分かった気がした。
「ねえキミ、今時間ある?」
「…え?」
無事変身を終え、お目当ての場所に向かう途中で――男の人に声をかけられた。
「よかったらお茶しない?奢るよ」
「ご、ごめんなさい。時間ないですっ」
断って、足早に立ち去った。
今のってナンパ…なのかな?
わわ…初めてされた。
顔を少し赤めたまま道玄坂を目指した。
カチャ…
彼がいるはずの碁会所のドアを開けた。
ここに来るのは2回目。
前は進藤に連れられてきた。
「塔矢プロだ!」
「塔矢名人だ!」
ってサイン攻めにあったんだっけ。
囲碁サロン以外の碁会所に行くといつもそうだけど。
「あーもー、河合さんいい加減にしてよ。何局付き合えば気がすむんだよー」
「いいじゃねーか、どうせ暇なんだろ?」
「河合さんと一緒にしないでよ。オレは別に暇だからココに来てるわけじゃ……」
進藤がこっちを向いた。
入口にいる僕に気付いて、目を細くして凝視してくる。
ふふん、どう?
僕だってやれば出来るんだ。
もう地味だなんて言わせない。
「お嬢さん、打つのかい?」
マスターが僕に声をかけてきた。
「え?あ……はい」
「じゃあここに名前書いて。席料は千円ね」
「あ……はい…」
マスターに普通に事務的に受付をされてしまった。
以前来た時、僕を見て発狂したマスターと同じマスター…だよね?
もしかして僕に気付いてないのかな…?
「ラッキーだね、今日は進藤プロが来てるんだよ。よかったら指導碁頼んであげようか」
ぼ、僕に進藤が指導碁??
決定、確実。
100%僕だと気付いてない。
(よし、名前も適当に書いちゃえ)
でも、いくらなんでも進藤は僕だって気付いてるはず……
「進藤君、指導碁頼めるかな?」
「…いいですよ」
マスターに連れられて、進藤の座ってる席にやってきた。
進藤が僕の顔をじーっと見つめてくる。
でも
「棋力は?どのくらい?」
とありえない質問をされてしまった。
ああああなたと同じくらいですが、何か?
この前の棋聖リーグも僕が勝ちましたけど、何か?
というか…というか、本当に気付いてないのだろうか、このライバルは。
週3日は会っている、生涯のライバルの顔を忘れてしまったのか??
「…最近始めたばかりなんです」
「あ、そうなんだ?じゃあとりあえず9子置いて」
「……はい」
はぁ…と心の中で溜め息をついて、僕は石を置いた。
「ふざけるな!気がつかないのか?!僕だ!塔矢アキラだ!」
と言うのは簡単だけど、どうせなら気がつくまで黙っていようと思う。
普通は声ですぐ気がつくものだと思うんだけど……
パチ…パチ…パチ…
素人になりきって、囲碁を始めてすぐの子ならどこに置くんだろう…ということだけを考えて、打っていった。
打ち方だけはプロ並だろう?
(ちょっとネイルのせいで打ちづらいけど…)
僕と打つ時とは全然違う、優しい手、正しい道筋を教える為だけの手を進藤が返してくる。
進藤に指導碁されるのは屈辱としか言いようがないけど……ある意味新鮮。
他人の指導碁を見るのは思った以上に勉強になる気がした。
「…負けました」
「うん、でも面白い碁だったよ。じゃあ一手目から並べて検討しようか」
「…はい」
もう一度同じ碁を並べ直して、進藤がこっちがどうで、そっちがこうで、意味のない説明を僕にしてくれた。
僕はただ頷いて、たまに同意。
今初めて分かったフリをした。
「もう一局打つ?」
「いえ…帰ります。ありがとうございました」
「あ、じゃあオレも帰ろうかな」
一緒に席を立ち、進藤がマスターや常連客に挨拶した後、僕らは碁会所を後にした。
常連客の中でも、一番親しい(?)河合さんという人に、進藤は帰り際にからかわれていた。
「おい進藤、ちょっと可愛い子だからって、お客さんに手ぇ出すなよー」
「か、勘違いされるようなこと言わないでよ、河合さん!」
でも、進藤の顔は見たことないくらい赤くて。
連られて僕も何故か赤くなってしまった――
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