●NEW FIRST-STAGE SERIES 16●
「進藤君、ちょっといい?」
翌月曜日。
僕が学校に着くなり隣のクラスの別宮さん(女子囲碁部の副部長)が話しかけてきた。
表情から、めちゃくちゃ怒ってる様子が伺える。
「…何?」
「何じゃないわよ!アンタの妹、一体どんな性格してんのよ?!」
「――え?」
先週の土曜日に行われた女流のプロ試験、5日目。
彩の相手は例の内海さくらだった。
彩は彼女に初っぱなから容赦なく攻め続け、圧倒的差で中押し勝ちをもぎ取ったらしい。
問題は彼女が投了した後。
彩は周りに聞こえない程度の声でこう呟いたという。
「弱すぎ。プロなんて絶対無理でしょ。さっさと諦めれば?」――と。
「彩が…そんなことを?」
「そうよ!お陰で内海のメンタルはめちゃめちゃよ!昨日も格下相手に負けちゃって、もう院生やめるって言い出すし…。全部性格の悪いアンタの妹のせいよ?!」
「……ごめん」
「ちゃんと注意しておいてよね!!」
プンスカ怒りながら別宮さんは自分のクラスに帰って行った。
直ぐ様今度は西条がやってくる。
「彩ちゃんてそんなおっかない性格なん…?」
「…いや、彩はそんなこと言う子じゃないんだけどな…」
でも心当たりがあった。
京田さんの新初段シリーズの時の彩と精菜の会話だ。
『言ってくれた?』
『もっちろん。泣きそうな顔してたよ』
その後くすくす二人で笑っていたのだ。
もしアレがそのことだとしたら、内海さんにあんな失礼なことを彩に言わせたのは……精菜ということになる。
でも、精菜だってそんなことをいう子じゃない…。
僕は真偽を確かめる為に、精菜にメールした。
『今日会える?』
とだけ。
直ぐに返事が返ってくる。
『うん!もちろん♪また家に来る?』
『今日は僕の家に来てもらってもいいかな?』
『オッケー♪』
「進藤…怒っとん?」
「当たり前だよ。仮にもプロになる者が、そんなセリフ言うなんて許されないだろ?」
「…相変わらず真面目やなぁ。でも自分のせいとかは思わんのや?」
「え…?」
「進藤、もしかして緒方さんに言うてもたんとちゃうん?」
「え?何を…?」
「内海さんと打って、院生になることアドバイスしたこと」
「言ったけど…。それが何?」
「ほんで?内海さんは院生になったんやろ?進藤のアドバイス通りに」
「そう…みたいだね」
「ほな緒方さんは気付いたはずやで?内海さんが進藤のこと好きやって」
……え?
「女は恐いなぁ…進藤」
「え、でも…精菜はそんな子じゃ…」
「ほななんで彩ちゃん使って蹴落とそうしとん?全ては進藤に近付けさせん為やろ?」
「……」
「まぁ夕方まで今日一日じっくり考えや。内海さんに言ったことを怒るだけやったら、火に油を注ぐようなもんやで。可愛い精菜ちゃんでこれからもいてもらう為に、どう注意したらいいんかじっくり考えや〜」
「……」
西条の言う通りだとしたら、確かに叱るだけじゃ意味がない。
精菜がそんなことするなんて信じられないけど……
でも、恐らく事実なんだろうと思う。
そして精菜にそんな気持ちを持たせてしまったのは…僕自身だ。
『可愛い子なの?内海さんて』
あの時確かに精菜は動揺していた。
キスして安心させたつもりだったけど、全然安心してなかったわけだ。
だから強行手段に出たんだろう。
僕が精菜にしてやれることは一体何なんだろう……
ピンポーン
「お邪魔します」
夕方、精菜が家にやってきた。
明らかに学校帰りの服装ではないから、一度家に帰って着替えてきたんだろう。
ベルベットのロングスカートはすごく大人っぽくて、同じ色のベレー帽もすごく合っていた。
ひとまず部屋に招いて、一緒にベッドに腰掛ける。
精菜がぎゅっと僕の腕に手を絡ませてくる。
「精菜…今日どうして僕が精菜を呼び出したのか、分かる?」
「……うん」
「何だと思う?」
「佐為…怒ってる?」
「うん…」
「内海さん…佐為にチクった?」
「内海さんではないけどね…」
「ふぅん…」
「彼女に悪いとは思ってる?」
「ううん。だって、佐為のこと狙ってるもん…」
「狙われたって…僕が好きなのは精菜だけだよ」
「うん…分かってる。分かってるけど……無理。同じプロになって佐為に近付こうとしてるあの女は許せない」
「精菜……」
「私のこと、引いちゃった?嫌いになる?こんな嫉妬深い女はもう嫌?」
精菜の目を、僕は真っ直ぐ見た。
不安そうにしていた。
僕に嫌われるかもしれない――気持ちが離れるかもしれない――と、脅えていた。
こうなることが賢い精菜は分かっているのに、それでも気持ちが抑えられなかったんだろう。
僕が咎められるわけがない。
それだけ僕のことが好きだって…訴えてくれてるんだから――
「精菜、左手出して…」
「え?」
恐る恐る出してくれたその左手、薬指に、僕はポケットから取り出したソレを嵌めた。
「え……?佐為…これ…」
「5日早いけど…誕生日プレゼント」
もちろんジュエリーショップに売ってるような本格的なやつじゃない。
どちらかというとファッションリングだ。
「ちゃんとしたのは将来贈るから、今はこれで我慢してくれる…?」
「……」
チュッと指先に口付ける。
「何も不安になることないからな…。僕には精菜しかいないから…」
「……佐…為…」
「ごめんな…、辛かったよな…。僕が余計なアドバイスしたばかりに…」
「……私の方こそ…ごめんなさい。嫌な思い…させちゃったね…」
ポトリと精菜の涙が落ちる。
頬に滴るその涙を、僕は舌で掬って舐めた。
あまりのイヤらしさに、精菜が少しだけ苦笑いする。
「もう…」
そのまま口に移動して、僕らはいつも以上にとびきり甘いキスをした――
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