●MUKO 3●
「じゃあ進藤、今日はすまない。また明日棋院で…」
「あ、待てよ塔矢。…送ってく」
「え…?」
初めて悪阻を経験した晩。
駅前で別れを告げようとしたら、何故か進藤は送迎を言い出した。
有無を言わさずタクシー乗り場に引っ張っていかれる。
「え…タクシーで帰るのか?」
「だってオマエ調子悪そうだし。電車より早く着くだろ?」
「それはそうだけど…」
急に優しくなった進藤に戸惑ってしまう。
まさか……バレてないよね?
バレたら終わりだ。
だって彼は僕が妊娠してると知ったが最後、絶対にプロポーズしてくる。
絶対僕に結婚を申し込んでくるだろうから。
だって進藤は僕のことが好きだから――
初めて肌を合わせた一年前。
関係を持ってる最中も好き好き五月蝿かったが、事後に彼は告白してきた。
もちろん一瞬ときめいたのは嘘ではない。
彼と恋人になれたらどんなに幸せだろうかと思った。
でも僕は彼とは結婚出来ないから。
進藤アキラにはなりたくないから、彼の告白も拒否するしかなかったんだ。
一年経った今でも、彼は情事の時にたくさん愛を囁いてくる。
聞いてて確かに嬉しいし、相変わらずときめくけど……でも、無意味だ。
ぶっちゃけ、キミは種さえくれればいいんだ。
だから絶対に進藤にはこの妊娠を知られたくない――
「明日リーグ戦なのに大丈夫か?」
「問題ないよ。本気で頼む」
「オマエとの対局で本気じゃない時なんてないけど…」
「そうか。余計な心配だったな」
「……なぁ、塔矢」
「なに?」
「オマエ…オレに言うことねぇの?」
「ああ…わざわざ送ってくれてありがとう」
「そうじゃなくてっ」
進藤がチラリと僕のお腹に視線を向けた。
サッとカバンで隠す。
はぁ…と溜め息をつかれた。
「オレには内緒ってわけ?」
「何の話だ?」
「オマエなぁ…」
そうこうしてる間に家に到着した。
進藤とこれ以上話したくなくて、急いでタクシーから降りる。
「ありがとう。じゃあ、また明日。お休み」
「ああ…お休み」
進藤を乗せたタクシーが出発し、僕はホッと胸を撫で下ろした。
でも…果たしてこのまま出産まで隠し通せるんだろうか。
進藤にもだけど、親とか…棋院とか…。
お腹が大きくなれば絶対にバレる。
どう説明すればいいんだろう。
未婚の母になることを皆許してくれるだろうか…。
進藤と結婚出来ないから、彼の子供だけ欲しいなんて、無謀な夢だったんじゃないだろうか……
僕は一晩中そんなことばかりぐるぐる考えていて、結局一睡も出来ないまま、翌朝棋院に向かった。
「おはよ、塔矢」
「ああ…おはよう進藤…」
僕を待ち伏せしていたのか、ロビーで進藤に掴まる。
仕方ないので一緒にエレベーターに乗り込んだ。
「あれから調子どう?何か…すごいクマだけど」
「ああ…絶好調だよ。キミとのリーグ戦が楽しみで楽しみで…」
もちろん嘘だ。
寝不足の上、相変わらず気持ち悪くて吐きそうだ。
朝食も食べれなかったから、僕の胃は昨日の昼からなにも食べてないことになる。
こんな状態で持ち時間5時間の棋聖リーグを乗り切ることが果たして出来るんだろうか。
クラっと立ち眩みまでした。
進藤が僕の腕を掴んで黙って支えてくれる。
「…塔矢。無理そうならすぐ言えよ」
と耳元で囁いてくる。
「…問題ない」
とこの口は強がるが、涙が少し滲んだ。
時間になり、対局が始まった。
始まってしまえば集中出来る。
集中すれば悪阻のことは忘れられた。
でもお昼休憩の時間になると、僕は空いている和室を借りて崩れるように横になった。
辛い…眠りたい…気持ち悪い…
「…っ…」
何だかお腹も痛くなってきた。
我慢して変な汗も出てくる。
「塔矢?大丈夫か?」
「進藤…?」
進藤が入ってきた。
こんな姿見られたくなくて、慌てて体を起こそうとしたら、進藤に阻止される。
「いいから寝ておけよ。まだ時間あるし」
「…何の話だ」
「オマエなぁ…」
進藤が溜め息を吐いた。
「なぁ、オマエ妊娠してるんだろ?」
――!
「…キミには関係ない」
「関係あるだろ!オレの子なんだろ?!」
「僕の子だ!」
キミには渡さないから!!と叫んだら、進藤にポカンとされた。
「一人で育てる気かよ。無理だって…」
「無理じゃない」
「いや、絶対無理。オレが無理!」
進藤も横に寝そべってくる。
チュッと額に優しくキスされた。
「結婚しよう…塔矢。オレにも子育て手伝わせて?」
「絶、対、嫌、だ!」
「オレの何が不満なんだよぅ」
「不満なんかない。ただ僕は――」
この子を『塔矢』の子として育てたいから、キミとは絶対に結婚しないんだ!
そう叫ぶと、進藤は大きな目をますます大きく見開いてきた。
「え…、それだけ?」
「それだけとは何だ!」
「いいよ。育てれば?でも結婚もしよう」
「だから…!」
「要はオレが塔矢ヒカルになればいいんだろ?いいよ、喜んでなるよ」
え……
「ほ…本気?だってキミ…一人っ子なのに…」
「オマエと結婚出来るなら苗字なんて何でもいいよ」
「そうなの…?」
そんなものなの?
戸惑う僕の左手を取って、進藤が薬指にキスしてくる。
「塔矢。オレ、オマエが好き。ずっと前から大好きだった。一生大事にするから…結婚しよう」
「――うん」
いいよ。
もちろん。
喜んで。
キミが塔矢になってくれるなら、何も問題はない。
僕の方から進藤に抱きついて、約束のキスをした――
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