●MUKO 1●
「おめでとうございます。8週目に入ってますよ」
生理が遅れている。
訪れた婦人科で医者から妊娠を告げられた僕は、心の中で拳を握りしめた。
ついでに区役所にも寄り、母子手帳の発行もしてもらう。
浮き足だったまま、僕はいつもの囲碁サロンへ向かうのだった――
「何か今日ご機嫌だな、塔矢。いいことでもあった?」
「ちょっとね〜。さぁニギって」
「おう」
昔は父が経営していた碁会所、囲碁サロン。
今は僕が引き継いで、度々顔を出している。(受付は今でも市河さんだ)
代が変わっても相変わらず常連の進藤も度々来ていて、今日も一局打つことになった。
タイトルホルダー二人のプライベートな対局が見れるとあって、今日もお客さんは大盛況だ。
「アキラくん、進藤くん、またね。明日の棋聖リーグ、どっちも頑張って」
「ありがとう」
「またね、市河さん」
3時間後、一局打ち終わって検討も終えた僕らは碁会所を後にした。
そのまま一緒に夕飯を食べに駅前のチェーンレストランに入る。
「明日はオマエと対局か〜。楽しみ過ぎるぜ」
「僕もだよ」
「あ、だからオマエ今日機嫌いいんだ?」
いつもは口喧嘩に発展する対局後の検討も、僕がニコニコしていたせいで今日は穏便に終わった。
もちろん僕のこの機嫌の良さは明日のリーグ戦の為ではない。
妊娠したことが嬉しいからだ。
「お待たせしました〜」
店員さんが注文した料理を運んできた。
いつもは大好きなこの和定食。
でも今日は――
「ん……」
「?どうした塔矢?」
「いや、ちょっと…」
ご飯の匂いを嗅いだ途端気持ち悪くなった。
胃がムカムカする。
もしかしてこれが――悪阻?
「食べねぇの?」
「た、食べるよ…」
いつもより箸が進むのが遅すぎる僕に、進藤が不思議そうに見てきた。
それでも僕は無理やり食べ続け、食後に「ちょっとお手洗い」とあくまでいつも通りを装いながらトイレに駆け込んだ。
どうしよう……全部戻してしまった。
でも何もなかったように席に戻った。
進藤には絶対に妊娠を知られたくなかったからだ。
進藤にだけは。
そう――お腹の子供は紛れもなく彼の子だ。
結婚どころか交際すらしていない僕らがどうしてこんなことになったのか、話は一年前に遡ることになる――
そもそも僕は20代の頃から休みの度に親にお見合い話を持ちかけられていた。(親というか、母に)
実際何人もと顔合わせをして、その後二人きりでデートをしたことも何度かあった。
一体どこから見つけて来たのか、どの人も容姿も学歴も年収も申し分なかった。
でもどの人も僕と温かい家庭を作りたいと言ってきた。
つまり――僕に子供を産むことを求めていたんだ。
まぁ、別に普通のことなのだが、皆自分の家の跡継ぎを求めているのが、僕の勘に触った。
僕だって子供は欲しい。
でもそれは『塔矢』の跡を継ぐ子供だ。
他の家の存続なんて僕には興味がなかった。
だから次は婿養子に来てくれるという人達と僕はお見合いをすることにした。
次男や三男、時には四男。
このご時世によくもまぁこんなに男兄弟に恵まれた人達がいるものだ。
でも
「アキラさんが働いて、僕が家のことを全てしますね」
こんなことを言われて「はぁ?」となった。
この男は婿養子に入った後、働かないつもりなのだ。
働かない男――それは僕の中で最低ランクに位置付けされる。
あり得ないと思った。
かと言って年収が高い男はプライドも高く、婿養子になんかまず入ってくれないだろう。
結局僕が一番いいと思ったのは、育休も取りやすい福利厚生が揃ってる大企業に勤める次男坊。
優しそうで子供も好きそうで、年収もそこそこ、実家は中の上。
うん、この人にしよう。
そう思ったのだが……
「囲碁は打たれますか?」
「囲碁ですか?全然…ルールも知らないです」
一気に冷めた気がした。
どうしよう…そもそも僕は碁が打てない男に興味がなかったのだ。
もちろんヘボ碁が打てたって駄目だ。
僕と同じくらい…僕とタイトルを争ってくれるような人でないと。
でもそんな人この世に――――いた。
目の前にいた。
僕の前で真剣に碁盤を睨んでる彼、進藤ヒカルだ。
進藤となら…………駄目だ。
進藤は一人っ子だ。
絶対に婿養子には来てくれない。
結婚は出来ない。
でも彼の棋力は僕には魅力的過ぎた。
子供には絶対に彼の遺伝子を入れたいと思った。
でも結婚は出来ない。
じゃあ…………子供だけ。
塔矢の跡を継いでくれる、進藤との子供さえ手に入れば――
そう結論付けた僕は、一年前行動に移すことにした。
「進藤、この後予定空いてる?一緒に飲まないか」
二人でいつものように囲碁サロンで打った後、一緒に夕飯を食べた。
その後コンビニに寄って、棚に並んだビールを手にして進藤に尋ねた。
「飲みに行かないか」ではなく「飲まないか」。
宅飲みだ。
「お。いいねー」
と彼は直ぐ様同意し、次々にカゴにアルコールを入れ出した。
そのまま彼の家に上がり込んだ。
後はもう簡単だ。
飲ませて飲ませて飲ませて、意識すら朦朧とさせて。
「進藤大丈夫か?ほら、ベッドに横になって」
「んー…」
優しく介抱するフリをして、彼をベッドに乗せる。
その時バランスでも崩してうっかり自分もベッドに倒れこんで。
「とーや…?」
「進藤…」
僕を下敷きにした彼の頭の後ろに手を伸ばし――キスをした。
「――…ん……」
この時僕は酔った進藤をその気にさすことなんて簡単だと思ってた。
忘れていたんだ、彼が実は酒豪だったってことを――
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