MEIJIN 64〜精菜視点〜





名人戦・第7局、1日目がついにやってきた――

 



幸運なことに昨日名古屋で対局のあった私は、今日は学校はお休み

一日存分に観戦出来る。

新幹線へ乗り込み、早速ネット中継を立ち上げた。

8
45分時点ではまだ両者とも姿なし。

立会人、新聞解説、記録係の他に、協賛、スポンサーの代表や代議士など10名以上が画面に写って、二人の入室を待っていた。


8
50分――挑戦者である進藤十段が入ってきた。

左手には臙脂色の飾り紐がついた扇子――佐為が大一番でいつも使ってる、塔矢行洋永世名人から入段祝いに貰ったものだ。

下座に座った彼は、直ぐ様目を閉じていた。

集中しているんだろう。

 

 


「おはようございます」


8
55分――塔矢名人が入室。

目を開いた佐為が、「おはようございます」と挨拶を返した。


(やっぱり親子よね…、似てる)


まだ35歳のおばさんの容姿を確実に受け継いでいる佐為。

性格もおばさん似で、真面目で勤勉で負けず嫌い。

でも社交的で一途なところはおじさん似かな。


(エッチなところも…)

 


『今度の土日空いてる?』


と私を対局会場である甲府に誘ってきた彼。

目的は見え見えだ。

名人戦が終わった後、私とエッチなことがしたいんだろう。


この中継で映されている、誠実で真面目そうな彼からは想像も出来ないことだ。

皆、この顔に騙されている。


(まぁいいか…)


年頃の男の子がそうなのは当たり前だし、むしろずっと付き合ってる彼女がいるのに、奥手で一切手を出してこなくても困る。

前回体を合わせたのは女流本因坊戦の時なので、ちょうど1週間前だ。

あの時は23日だったわけだけど、それはもう…数え切れないくらいしてしまった。

何が抑えるから、だ。


でも…、3週間ぶりに彼に抱かれて、私の乾きかけた心は存分に潤った。

それはもちろん、最中に彼が愛の言葉をたくさん囁いてくれたからだろう。


好きだと。

愛してると。

一生精菜だけだよと。


だからこんなにもモテモテな彼を信用出来、なかなか会えなくても私は安心して過ごせるのだ。


(カッコいいなぁ…)


中継カメラが佐為の表情をアップにする。

誰だ、このカメラを操作してるのは。

最高過ぎじゃない?

私は思わずスクショしてしまった。

きっと彼のファン全員が同じことをしたに違いない。

 


7局ということで、再び名人がニギる。

名人が黒、佐為が白と決まる。

そして9時ちょうどになり、立会人から声がかかる。


「時間になりました」


鋭い視線で睨み合う二人が同時に声を発した。

 


「「お願いします」」

 

 

 

 

 


対局会場となる甲府市にあるこの老舗ホテルは、決着の地として名高い。

これまでに13人の七大タイトルホルダーが誕生していた。

シリーズの締めくくりに相応しい舞台だと言えるだろう。


先手となった塔矢名人が17の四と一手目を放った。

小目には星と違って向きがある。

その向きのバリエーションを多彩に操る塔矢名人は、先手となった本局で17の四、16の十七から17の十四へとシマった。


対する挑戦者の進藤十段は4の十六、4の四の二連星と打ち、自然体に構える。

佐為は先後に関わらず、今回7局すべてを二連星からスタートさせていた。

ただし左下の4の十六に少しだけ意思を込めている。

先に左上に打つと名人に左下を占められ、佐為の嫌うタスキ型になる可能性があるからだ。


(手厚いなぁ…)


しばらく序盤を見つめていた私は、今日も存分に発揮されている佐為の打ち筋に感心していた。

5
の九の一間トビ。

堅固な左上方面から着実に打って、黒の二間の薄みを睨む。

じっくり、ゆったり。

佐為は随所にこういうイメージの手を打って、堅実に睨んでくるのだ。


扇子を唇の下にあてて、相変わらずの仕草で読み耽る彼。

きっと頭の中ではすごいスピードで石が動きまくってるんだろう。

 


あっという間に1時間が過ぎ、名人が午前のおやつ代わりに注文したコーヒーに口を付けた映像が流れた。

おやつ速報では佐為は生信玄餅を注文している。


(美味しそうだ…)


8
の九と打った彼は、そのおやつをいただきに席を外した。

 


対局相手が席を外すと、本音が出やすいことはよくある。

塔矢名人も溜め息を吐いて…、外の景色へと目を向けた。

でも少しばかり口元が緩んでいる。

きっと自身の息子と戦うこの状況を楽しんでいるんだろう。


(奪取されるかもしれないのに…)


この危機感を楽しめる塔矢名人は本当にすごい。

今まで自分の夫である進藤ヒカル本因坊と、タイトルを取ったり取られたりを永遠と繰り返しているからこその余裕なんだろうか。


一方、佐為にはあまり余裕が感じられない。

打ち筋はじっくりしてるけれど、内心はきっと先急いでいる。

こういう焦りは危険だ。



名人が5の二と踏み込みこんできた。

左上で楽に生きられたら白石がダブついて効率が悪くなる。

さすがの佐為も打ち方を豹変せざるを得ないだろう。

7
の四から奇襲をかける。

 


序盤は五分。

大波乱の中盤戦がこれから始まる予感がした――

 

 

 

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