MEIJIN 63〜佐為視点〜





「行ってきます」

「頑張れよ!」



ついに名人戦挑戦手合七番勝負・第7局の前日となった。

僕は師匠である父に玄関で見送られて、集合場所である新宿駅へと出発した。

対戦相手である母とは別々に。


(対局当日は口も聞かない両親の気持ちが今頃分かった気がするな…)


家族だからって馴れ合いたくないのだ。

終局までこの集中力を途切れさせたくない。


家からは埼京線の快速を使えば10分ちょっとで新宿には到着する

棋院スタッフと合流して、今度は甲府までの特急に乗車した。

母とは同じ車両だけど、席はかなり遠い。

この距離が有り難い。

景色を見てようかとも思ったけど、やっぱり携帯に視線を移した。


「ネット碁ですか?」


この第7局中、僕をサポートしてくれる事務の仁木さんが聞いてきた。

「ええ…、まぁ。着くまでまだ1時間以上あるので」

そう返答しながらネット碁のアプリを立ち上げる。

ログインすると、瞬く間に対局を申し込まれた。


7段か…、この人でいいか)


直ぐ様対局を開始する。

本名である『sai』で、大事な名人戦を前にネット碁で遊んでるなんてと、見てる人は思うだろうか。

でも例え格下でも、打てば打つほど自分にもメリットがあるし、新たな発見もある。

何より今みたいな時は余計な緊張を解してくれるのだ。


(結構強いな…、アマでもかなりの強豪だろう。打ち筋が若いから院生か?)


強ければ強いほどいい。

僕は自分の口角が勝手に上がるのを感じた。

もちろん、マスクをしてるから他人には分からないのだけど。


今日もメガネにマスクな僕だけど、この伊達メガネは僕の一番のお気に入りだ。

プロ試験合格後、精菜とのデートで彼女が選んでくれたものだからだ。


『もっと不細工になって、もっとダサい男子になって』

と言われてしまったあの日。


(どうやったらなれるんだろう…)

(でも精菜は本心ではただ心配してただけなんだよな…)


プロになったら僕を独り占め出来なくなる。

そのうち精菜より可愛い子が僕のこと好きになって、僕が心変わりすると――今思い返すと信じられないくらい可愛いことを言ってくれていた。

そんなこと天地がひっくり返ってもあり得ないのに。

彼女以外の女なんて丸っきり興味ないのに――今までも、そしてこれからも。


(明後日、ちゃんと甲府に来てくれるかな…)


それだけが心配だ。

来てくれなかったら、やさぐれるかもしれない。


(携帯没収される前にもう一度念を押しておこうかな…。いや、信用してないみたいで印象が悪いか?)

 


ぐるぐる考えながらもネット碁を続け、気付けば130手の短手数で相手は投了した。

直ぐ様感想戦を行う。

良かった点と悪かった点を簡潔に伝え、アドバイスしていく。

大抵の人は素直に聞いてくれるが、中には反抗してくる人もいて面白い。

この人も後者だ。


『エラそうに!んなこと言われなくても分かってるっての!何様のつもりだよ!』


とメッセージが送られてくる。

こんな平日昼間にネット碁をしてるぐらいだから、小中高生ではない…とは思うけど。

大学生か…、もしくは不登校か、或いは――。


「ちょ、進藤十段にこんなこと言ってくる奴がいるんですか?!」

メッセージが目に入った仁木さんが怒ってくる。

「十段様だって書いてやりますか?!」と。

「はは…、それはさすがに」

「じゃあ碁の神様だ!って書いちゃって下さい!」

「それもどうかと…」


仁木さんがあまりに怒るので、僕はそのままメッセージを返さずにログアウトしようとしたら、もう一文送られてくる。


『俺は院生だぞ!』

と――


「……」


この態度は流石に目に余る。

仮にもプロを目指してる者がこの言い方は問題だろう。

僕は『だから何だ』と返事を打ち、『僕はプロだ』と送ってやった

『出直して来い』とも。



「流石です!スッキリしました!」

と仁木さんが拍手して満足していた。

でもすぐ挑発に乗ってしまうところは、僕もまだまだだなと思う。

真の名人になる為には精神的にも精進が必要だ。

 


『次は甲府〜。お降りのお客様は……』

とアナウンスが流れ、僕ら名人戦御一行は降りる準備を始めた。


(いい天気だ…)


改札を抜けて、バスへ移動中、空が見えて僕は思わず立ち止まった

暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい気温。

秋独特のすじ雲が青空に映えてとても綺麗だ。

絶好のタイトル戦日和と言えるだろう。


「進藤十段ー!」


ファンの女の子達数名が叫んでくる。

おそらくは大盤解説会の参加者だろう。

僕はニコリと微笑んで、バスに乗り込んだ。

 

 


甲府駅からはわずか10分ほどで対局会場のホテルに到着した

バスを降りた瞬間から、もうプライベートはない。

ずっと中継ブログ用、ネット動画用の写真と映像を撮られ続ける。

最終局となる今回は特にマスコミの数が多い気がする。


(精菜と落ち合うのもかなり気を付けなければ…)

 

 

 



暫しの休憩の後、早速検分が始まる。

今まで数多くのタイトル戦の舞台となったホテルなので、特に問題もなくスムーズに終了。

そのまま部屋を移動して記者会見に入る。

聞かれることはいつも同じ、これまでの振り返りと本局への意気込みだ。

3
3敗で迎えた第7局。

もちろん今までの棋譜に不満点もあれば満足のいく一局もあった。

泣いても笑ってもこれが最後。


「今持てる力を出し切りたい」という思いと。

「どういう結果になっても納得のいく内容にしたい」という思いと


もし口にしてもいいのなら――


「奪取できるよう力を尽くしたいです」

 

 

僕の小さい頃からの夢。

両親とタイトル戦で戦いたい。

そしていつか、両親からタイトルを奪取したい。

 


その為に僕はプロになったんだ――

 

 

 

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