MEIJIN 62〜精菜視点〜





佐為がネット碁を初めたのは小学生の時だけど、その時はまだ違う名前を使っていた。

それが『sai』と名乗るようになったのは、入段してから1年が経とうとしていた頃だった。



「佐為、ネット碁のハンドルネーム変えたの?」


私がそう問うと、彼は

「バレた?」

と悪戯っぽく笑った。


「よく気付いたな」

「私じゃなくて…、お父さんが…」

「ああ…、緒方先生ね」



今でも比較的頻繁にネット碁をしている父。

ある日突如として現れた『sai』が、手当たり次第に対局を申し込んで100人斬りを始めたらしい。

もちろん23年前のネットの最強棋士が復活したと思った人も大勢いたそうだ。

だけど父の目は騙せない。


「この打ち筋……佐為君か」


数局見ただけで分かってしまったらしい。

それを私にわざわざ教えた父。

確認して来いっていうことなんだろう。



「どうして変えたの?」

「ちょっと気分転換しようと思って」

「……」


佐為は初年度を503敗というとんでもない勝率で終えた。

でもその3敗は……3連敗だったのだ。

もちろん相手は自身の父親を含め上位者ばかりだったとはいえ、彼なりに何か思うところがあったのかもしれない。


「いい名前だろ?」

「…本名だもんね」

「うん、僕は『佐為』だからね」

「……」



sai』が日本のプロ棋士の『進藤佐為』であることは瞬く間にネット碁界にバレた。

当然だ。

あの並外れた棋力を、ネット内で思う存分に発揮していたのだから

普通なら不興を買うところなのかもしれない。

仮にもプロが、手当たり次第に素人をやっつけて回ってるなんて印象が最悪過ぎる。

でも実際はそれどころか、逆にネット碁界でかなりの好印象を持たれた佐為。

それはもちろん彼の性格からだろう。

どんなに格下が相手でも、どんな悲惨な内容で終わっても、佐為はきちんと感想戦を行っていたのだ。

時には相手の手筋を褒め、時にはアドバイスを。

まるで無料の指導碁をしてあげて回っていたという――



100
人斬りを終えた佐為が迎えた公式戦。

彼は無事に勝利を飾り、連敗を脱出した。

それ以降、再びまた連勝を続けることになる――



sai
がネット上に現れてから既に3年半。

タイトルを取った今では、それなりの棋力の者しかsaiに挑もうという者はいない。

そして一度対局が始まると、観戦者数はものすごい数となっていた

先月のあの対局は特に印象に残っている。


(すご…、同接1万人超え…)


この日はsai VS pikoの対局がネット上で行われていた。

持ち時間は3時間――これは明らかに予め約束された対局。

それもそのはず。

相手のpikoとは、京田さんのことだ。

その日は台風が近付いていて、外は大荒れ。

つまり二人は本来会って対局するつもりだったけど、天気が悪いのでネット碁に切り替えたのだ。



 

 





(今日の対局はあの時のネット碁と同じ流れだ…)


京田さんが妙手を繰り出し、佐為が鮮やかに答えを導き出す。

見ていた人誰もが感嘆のため息を吐くほどに――


ネット中継を見ると、持ち時間に差が付き始めた。

苦渋の一手を常に絞り出す状況に追い込まれた京田さんはどんどん持ち時間が削られていき、終盤に入る頃には1時間を切っていた。

対して常にAI上でも最善の一手を繰り出し続ける佐為は、ほぼ毎回ノータイムで返す。

結果、終盤に入っても3時間も残していた。


「京田さん…、今日はずっと難しい顔してるなぁ…」

彩が心配そうにボヤく。

「…そうだね」


打ち辛さももちろんあるだろう。

マスコミは明らかに佐為の勝利を期待している。

勝利報道をして、名人奪取への箔をつけたいと。

もちろんだからって、京田さんがあっさり投げるとは思えない。

最後の最後まで足掻いてくるだろう。

佐為もそれを期待してるはずだ。



「精菜、今の京田さんの勝負手どう思う…?」

「佐為が18の十から的確に応じると思う。最終的には黒は19七で生きを失うよね」

「そう…。精菜がそう言うなら、お兄ちゃんもきっとそう思ってるよね…」

「京田さんもね」

「……」




18
59分――京田さんが早い時間に投了した。


粘らなかった。

いや…、粘れなかったのかもしれない。

相手の圧倒的で完璧な打ち回しに――完全に屈したのだ。



終局後に一局の感想を記者から求められた佐為。

その後はもちろん、名人戦についても聞かれる。


「いよいよ3日後となりましたが、準備の程は?今の気持ちを教えて下さい」

「することはいつもと変わりません。今はただ…、待ち遠しいですね」


佐為の顔には早く打ちたいと書いてある。

でも今は目の前の一局だ。

両者インタビューを終えると、速やかに感想戦に入る。

先程まであんなに険しくてキツい顔をしていた二人が、兄弟弟子同士に戻る瞬間だ。

二人の感想戦はいつも楽しそうで、見ている人にも存分に伝わってくる。

私や彩ではきっとこの笑顔は引き出せないだろう。

(ちょっと妬ける…)

 


「精菜、山梨には行くの?」

十段戦の時みたいに、と彩が問う。

「行った方がいいかなぁ…」

「まぁお兄ちゃんは期待してるよね」

「そうよねぇ…」


未来の妹にはそんな曖昧な返事をしながらも、もちろん私は行くつもりだ。

最後まで応援する為に。

そして傍で勝利を見届ける為に。

 



明日で10月が終わる。

11
月は佐為にとって人生が変わる月となることだろう――

 

 

 

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