MEIJIN 59〜佐為視点〜





女流本因坊戦は持ち時間4時間。

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時を過ぎると両者秒読みに入っていた。

終局間近だろう。



「黒のダメが詰まっているので、本コウに導くこの10の十八の好手がありましたが、9の十九とサガっても10の十九と打たれてしまい、8の十九に入れないから状況は変わりませんね」

「じゃあ15の十二と切ったのも合点がいくわけか〜」

「そうですね、女流本因坊が極めて用意周到でした。13の十周辺に特大のコウ材を作ってましたので」

「投了やむなし…、かなぁ」

「残念ですが、もう打つ手はないと思われます」


精菜は盤上を見入ること30秒。

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手でそのまま手を下さず投了した。

主催インタビューを終えた後、両対局者が大盤解説会場へとやってくる。



「お疲れ様でした。では勝たれました塔矢女流本因坊から一局の感想をお願いします」


僕は解説者としての仕事をこなすことに徹底した。

でも母が話してる間、母越しに精菜を見つめる。

負けて悔しいのか、彼女は下を向いたままだ。


「…続いて緒方五段お願いします」


精菜は僕の方をチラリとも見ずに、真っ直ぐ前を見つめて感想を述べた。

僕も何度も経験しているが、敗者インタビューほど辛いものはない

勝った人にだけインタビューすればいいのにと毎回思う。


(抱き締めてあげたい…)

(早く慰めてあげたい…)


他人の振りをしながらも、僕はそんなことばかり考えていた。

 

 

 



「お疲れ様でしたー。乾杯!」


検討も終えた後、関係者の打ち上げがスタートする。

対局者は参加は自由だけど、母も精菜も二人とも参加していた。

精菜は僕の隣にちゃっかり座っている。


「お疲れ様。残念だったな」

と烏龍茶をついでやる。


「…恐かった」

「何が?」

「大盤解説会場での視線が」

「……」


恐らく僕のファンで埋め尽くされていた今回の大盤解説会場。

ファンは母にはもちろん好意的だが、僕の恋人候補となる歳の近い精菜には態度は極端に冷たい。

精菜が一言感想を述べた後も、次局への意気込みを語った後も、拍手はまばらだった。


(母には大きな拍手が鳴り響いていたのに…)


「僕のせいで嫌な思いさせてごめんな…」

「もう終わったことだから大丈夫。今からは私が佐為を独り占めする番だもん」


精菜がギュッと右手を握ってくる。

僕ももちろん握り返した。

解きたくなくて、僕は食事を左手でいただくことにした。



「佐為君、器用なことしてるね〜」

芦原先生が即座にツッコんできて、僕らの前の席に移動してきた。


「よく左手で食べれるねぇ」

「僕はもともと左利きですので」

「え?そうなの?」


小さい頃に矯正させられたから、今は文字も食事ももちろん打つのも右手だけど、今でも左でも出来る。

「佐為、ハサミは相変わらず左だもんね?」

精菜ももちろん知ってることだ。


「へー、初耳。進藤佐為の新情報だね。今度イベントのトークで使ってもいい?」

「嫌です」

「まぁそう固く考えずに〜」

「芦原先生、トークで突っ込んだ質問するのやめてもらえますか?今日はネット配信がなかったからいいものの…」

「ネット配信が無いからこそ、あんなにお客さん集まったんだろうね〜」


さすが佐為君だよ〜とウンウン頷いていた。


「佐為…、大盤解説会大変だったの?」

「解説自体は大変じゃないけどね、トークがちょっとね…。僕の初揮毫のこととか…」

「上手く誤魔化してたじゃんか。うっかり暴露させてやろうと思ったのに」


芦原先生がニヤニヤしてくる。


「僕の初揮毫は彼女にあげました〜ってね」

「…なんで知ってるんですか」

「あれ?マジだった?カマかけたつもりだったんだけど…」



……しまった。



「へー、精菜ちゃんにあげたのかぁ。あ、もしかしてこの前精菜ちゃんが珍しく使ってた扇子がそうとか?」

「……もうノーコメントで」

「あ、ビンゴだ。よかったね、精菜ちゃん。揮毫第一号が貰えるなんて彼女の特権だよね」

「はい、すごく嬉しかったです」


精菜が同意してしまい、芦原先生はニヤリと口角を上げた。

でも精菜が

「本当にあの時は嬉しかったんだよ?ありがとう」

と笑顔を向けてくれたので……まぁいいか。


「でも精菜に会ったのは僕の方が先ですから」

と芦原先生にはぶり返して睨んでおく。

「いやいや、俺でしょ」

「僕は何なら精菜がお腹にいた時に、怜菜さんのお腹を撫でてますからね」

「う…、それはさすがに俺の負けかも。俺がしたらセクハラだし…」


…勝った。

1歳の僕、グッジョブだ)


 

 

 


打ち上げの後、僕らは再び精菜の部屋で抱き締め合っていた。

もちろんベッドの上で。

何度もキスして、キスされて、束の間のイチャイチャを楽しむ。

僕はこの時間の為にわざわざ高松まで来たのだ。


「精菜…、好きだよ」

「私も…」

「疲れてない?」

「大丈夫。対局終わったから、今からは抑えなくていいからね」

「それは最高だな…、朝までしようかな」

「ふふ…、やっぱり抑えて?」

「もう無理…」


彼女をベッドに倒して、今夜も僕らは何度も楽しんだのだった。


もちろん翌朝も。

またピンポーンとチャイムが鳴るまで……

 

 

 



「佐為…、鳴ってる」

「気のせいだよ」


ピンポーンピンポーンピンポーン


連打されて、僕は仕方なく精菜の体を解放した。

彼女がまた素足で、素っ裸でドアに向かっていく。


「あ、はーい」

「おはよー精菜ちゃん。朝うどん食べに行くよー」


精菜が僕の方にどうしようと振り返る。

舌打ちした僕は、いいよとOKを指で作って返事をした。


「分かりました。着替えたらすぐ行きます」

「ロビーで待ってるねー。佐為君もねー」


僕がここにいることは当然バレていたみたいだった。

仕方なく僕らは着替えて準備し始めた。

でもロビーは誰に会うか分からないので、僕らは時間差で部屋を出る。

一度自分の部屋に戻った僕は、いつも通りメガネにマスクもして。

ロビーに降りていくと、芦原先生や母どころか、棋院スタッフも取材班もいてちょっと驚く。


(ああ…、中継ブログ用に写真も取るのか)


もちろん周りにファンも大勢いて、僕は一応にこりと彼女らにも会釈する。


「ごめんね、お楽しみのところ」

と芦原先生に小声で言われる。


「何の話ですか?」

「何の話だろうねぇ…」

 

 


こんな朝8時台にうどんが食べれるなんて、流石別名うどん県と言われるだけのことはある。

ブログ用に母と精菜が並んで食べることになったので、僕は仕方なく芦原先生といただくことにする。

もちろん右手で食べていると、

「うどんも左でもいけるの?流石に無理?」

と挑発されたので、即座に左に切り替えてやった。


まさかその映像をスタッフに撮られてるなんて知らないで。

後日動画がネット上にアップされ、ファンに実は左利きだとバレてしまったのは言うまでもない話だ――



 

 

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