●MEIJIN 54●〜精菜視点〜
棋院に向う電車に乗っていると、右斜め前に座っていた女性が声を
「進藤十段が女流本因坊戦で解説だって!」
「本当に?!どこ?!」
「高松だって」
「遠い〜。今から飛行機のチケット取れるかなぁ」
女流本因坊戦・第3局の開催3日前になって、それは突如棋院のホ
「進藤彩女流三段の代打だって。彩ちゃん体調不良みたい」
「可哀そ〜、風邪かなぁ?妹の代わりを引き受けるなんて優しいお兄
もちろん嘘だ。
彩はピンピンしていて、今日も学校でお昼ご飯にデザートまでしっ
「あ、今回抽選じゃないんだ。先着1000名だって、すごっ。朝
「1000名か〜それなら流石に可能性あるかもね」
「行きたいね〜。生の進藤佐為拝みたーい」
「ねー」
毎回事前申込、抽選必須の佐為の解説。
でも今回はあまりに直前過ぎた為、先着順にしたようだった。
(でも1000名って…)
通常の囲碁のタイトル戦の大盤解説会なんて、フリー入場だ。
予約なんてもちろん要らないし、囲碁好きのおじいさん達がふらっ
事実今行われている倉田先生とお父さんとの天元戦もそんな感じら
私とおばさんの女流本因坊戦・第2局も同じ。
フリー入場でも、結局は200名くらいの入り具合だったとか。
それが、今回は、1000名。
しかも整理券配布ときた。
自分の恋人の人気ぶりをヒシヒシと感じずにはいられなかった。
(本当何やってるのよ…佐為も彩も…)
この話を私が聞いたのは数日前――名人戦の第6局が終わった翌日
『彩と代わってもらったから』
と佐為が電話でご機嫌に言い出したのだ。
彩からも交渉のことは聞いていたけれど、まさか本当に代わってい
『彩にはちょっと体調不良を演じて貰うことにするよ』
「勝手にそんなことして大騒ぎにならない…?」
『ちゃんと棋院にOKもらったから問題ないだろ。現地は大歓迎ら
「そうなの…?」
『ちょっと運営方法を変えるとかは言ってたけどね』
ちょっと、運営方法を、変える……
(本当にちょっとで済むの…?)
「でもどうしてそんなこと…」
『もちろん、精菜と二人きりの時間を確保する為だよ』
「……」
電話越しなのに、佐為がにこりと微笑むのが分かった。
顔が赤くなる。
「佐為…、私は対局なんだからね?」
『もちろん分かってるよ。ちゃんと抑えるから』
「……」
何を抑えるんだろうか。
回数?
時間?
とりあえず私は「楽しみにしてるね…」と答えるしかなかったの
女流本因坊戦・第3局、前日。
集合場所の羽田空港第1ターミナルに私の姿はあった。
「おっはよ〜精菜ちゃん」
芦原先生がにこやかに話しかけてくる。
「おはようございます。天気良くてよかったですね」
「うん、絶好のタイトル戦日和だね」
その後も棋院スタッフや主催関係者がぞろぞろ集まってくる。
そして――
「おはようございます」
塔矢名人と進藤十段も揃って一緒にやってきた。
(わぁ…、本当に佐為だ…)
いつも通りメガネにマスクな彼。
スーツ姿は彼のイケメンぶりを3割増にしてくれる。
「おはよーアキラ、佐為君」
「「おはようございます」」
芦原先生の挨拶に二人がハモる。
「佐為君、明日の大盤解説会はよろしく。どうぞお手柔らかに」
「僕は彩の代打ですので聞き手に回りますね。どうぞお好きなよう
バチバチと芦原先生と佐為の間で火花が散ったように見えた。
記者も大勢同行している為、もちろん私と佐為は一定の距離を取る
ほぼ他人の振りだ。
(仕方のないことだけど…、ちょっと寂しいな…)
「えーと…」
最近は預け入れ荷物も自分でしなければならない。
自動手荷物預け機を前に上手くいかず手こずっていると――
「貸して」
――え?
耳元で佐為の声がしたかと思ったら、あっという間に荷物を正しい
「あ…、ありがとう…。佐為、慣れてるね」
「最近乗る機会多いから」
「そうだよね…」
東北から近畿までの移動は基本新幹線だけど、北海道や九州、中国
タイトル戦はもちろんだけど、日本各地のイベントにも引っ張りだ
「はい、控え」
「ありがとう…」
佐為がそのままセキュリティチェックに向かったので、私も一歩遅
(ちょっと楽しい…)
仕事だけど、彼と一緒に旅行に向うみたいでちょっと嬉しかった。
並んでチェック待ちをしていると、「精菜、席何番?」と聞かれる。
「2Aだよ」
「そう…、遠いな」
「佐為は何番?」
「38A」
めちゃくちゃ遠い…。
むしろ端と端?
というか佐為、一番後ろの席?
恐らく時間帯がいいから、この飛行機には大盤解説会に参加する佐
(佐為が通路を通り過ぎたら大騒ぎになりそう…。私だったら目
(というかCAが羨ましい。私も佐為に飲み物とか配りたい…)
「はぁ…」
「どうかした?」
「佐為…、もう一番に飛行機に乗り込んで着くまでずっと寝てて。
「え?」
前途多難な女流本因坊戦・第3局の旅が始まるのだった――