MEIJIN 52〜佐為視点〜





(何か手を打たなければ…)



名人戦・第6局、2日目が始まった。

100
手を優に超えるハイペースの1日目と違い、2日目の午前中は一気に両者ペースダウンすることになる。

AI
の評価値はまだ五分だと思うが、でもそれはAIだからだろう

人間的には黒がかなり打ちやすい。


(何か秘策を見出さなくては…)


僕はしばらくの間長考に沈む。

 

 

 

 


今期名人戦ももう佳境を迎えていた。

今日勝てば奪取。

負ければ最終局までもつれ込む。

長かった七番勝負も終わりが近付いていた。

開幕した時はまだ8月下旬で、私服は半袖が当たり前だったのに、今は長袖が必須。

朝の最低気温が10ちょっとしかない日もある。

対局室に用意されている飲み物も、冷たいお茶から温かいお茶への提供へと代わっていた。


(終わってほしくないな…)

という気持ちと

(早く終わってほしい…)

という気持ちの両方が僕の中で渦巻く。


もちろん勝利で終わりを迎えたい。

精菜にまた祝って貰いたい…、という邪な気持ちが見え隠れする。

十段戦の五番勝負が終わった後の、初めて一夜を共にした時のような……甘い夜をまた過ごしたい。


(高松は流石に強引過ぎるかな…)


彩とは交渉成立したが、それでも棋院に当日まで内緒で勝手に代わるわけにはいかない。

もちろん彩と代わるのが他の女流なら大した問題ではないだろうけど。

自分がタイトルホルダーであること、そしてそれなりに世間に名前と顔が知られている自分が勝手な行動を取ることで、どれだけの人の仕事を増やすことになるのかは分かっているつもりだ。

もちろん事前に棋院には話を付ける。

ちゃんと許可を取った上で、精菜に同行するつもりだ。

僕の中でこれはもう決定事項で、変更は無理だ。

 


(精菜を抱きたい…)

 

この前は彼女が生理中だったから出来なかったが、もうそろそろ終わってる頃だろう。

いつもなら1週間程度のことだからだ。

前回彼女を抱いてから既に3週間近くが経過している僕にとっては、もう我慢の限界もいいとこだ。

手で扱いて貰って出すだけではやはり物足りないのだ。

愛情の部分というか…、心の満足度が違う。

彼女にたくさん愛を囁きたい。

そして返して貰いたい。

でも普通に行けば次に精菜の部屋に行けるのは11月で、そこまではやはり待てないのだ。


(早く一人暮らしがしたいな…)

京田さんと彩を見てると、やはり実家暮らしとは全く違うことを思い知らされる。

しかも緒方先生は父と違って外泊にも煩くないみたいだから、更に最高の環境と言えるだろう。

あと5ヶ月の我慢だ。

 

 

 

 


10の十から攻めてみるか…)


もしかしたら逆転の秘策が隠されているかもしれない。

12
の八とマゲて右辺の白に圧力をかけてきたら15の十、15十一、14の十二の切断がある。

14
の十三には13の十一が好手。

15
の十二、16の十一、黒ツギに14の十四とアテてると、下辺の黒の大石は生きていないだろう。

13
の十三に白は右辺の数子を補強しなければならず、6の十と切るコウ頼みの脱出は残るが、大乱戦に持ち込める。


もうこれしかない――と僕は10の十から打ち進めた。

 

 

 



「休憩です」



12
時になり控え室に戻ると、事前に注文してあった海鮮丼が準備されていた。

ホテルスタッフが飲み物を入れてくれたので、「ありがとうございます」とお礼を伝える。

まだ20代の若い女性スタッフだったので、少し頬を赤めてそそくさと帰って行った。

 


(美味しいな…)


盤面がずっと頭を過ぎるから2日目は特に昼食に集中出来ないで来たけれど、改めて意識をご飯に向けるとすごく美味しいことに今更気付く。

今回も勝負メシとして、何軒ものレストランから多彩なメニューが用意されている。

僕は前夜祭前にチョイスし終えているが、改めて有り難いなと思う

その都市、その町の発展に貢献出来るよう、なるべくそこの名産を頂くようにはしているけれど、どれもハズレがない。

午前のおやつのフロマージュもとても美味しかった。


(終局後に大盤解説会場に行った時に、ご飯についてもたまには触れてみようかな…)

 


今回の第6局の解説者は窪田碁聖だ。

僕の打った手に対してどういう解説をしてるんだろう。

苦渋の一手とでも言われてるんだろうか。

確かに現在局面は僕の方が不利だ。

でも、簡単には諦めない。

僕も最後まで足掻いてやる。

なりふり構わず時間攻めまでした精菜のように――

 

 

 

 



10
の八のカケから一番難解なコースに誘い込む。

黒の名人にとって、わずかなミスが命取りになる展開だ。

14
の八、15の八のあと14の七、15の七から11の八と出れ11の七に抑えられない。

一見上手そうだが、14の六とアテて変化されると中央の黒に不安が残り、紛れる余地がある。


10の九と来たか…)

名人がしばしの長考の末に放った一手に、僕は手を止めた。


(黒に不安が全くない…。これはマズい)


更に9の八から7の八へ豪快にカケられる。


(全てを読み切られてるようだ…)


5
の六と切らせ、9の十三からのコウで中央の黒を狙っても、白の一団のダメが詰まって14の十が余儀なく、コウは黒が勝つ。

例え15の八を打てても右辺の白が助からない。


(中央の攻防を読み切って勝利を確実にされてしまった…)


仕上げに左上の白と右上の白を見合いにされる。

左上は生きたが、17の八で右上に無条件生きがない。

 

 


(ここまでか…)

 

 

僕はお茶を一口飲んで口の中を潤した後、碁盤へ静かに手をかざした。


「…ありません」


 

 

 


インタビューを終えて大盤解説会場へと移動した僕と名人。

解説を締める窪田さんの声が聞こえてきた。


「進藤十段は1日目に大迫力の攻めを、攻守どころを変えた2日目には頑強な抵抗を見せましたが、それらを全てを跳ね返した名人の強さが際立っていた一局でしたね」


ギリッ…、と奥歯を噛み締めた。

壇上に上がると、本局の感想と次局への意気込みを窪田さんに尋ねられる。


1日目が特に問題でした。左上の攻防が難しくて、3の二と先に抑えた方が無難だったかもしれません…」と反省する。


次は泣いても笑ってもこれが最後の第7局。


「力の限りを尽くして全力で立ち向かいたい」という想いはもちろんだけれど、「二人でいい棋譜を作り上げたいです」という想いも口にする。


恐らく母とのタイトル戦はこれからも何度も続いていくだろう。

でも今この瞬間に、初挑戦となった今出来上がる棋譜は、今だけの特別なものだ。

僕ら親子でしか作れない素晴らしい棋譜をこの素晴らしい舞台で、最後にもう一譜……一緒に作り上げたいと思う。


「期待しています」


窪田さんが穏やかに笑みを浮かべながらそう告げて、第6局は幕を閉じた――

 

 



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