MEIJIN 48〜精菜視点〜





女流本因坊戦の第一局が終わった後、私は自分の師匠である父・緒方精次に頼み込んだ。


「お父さん。私…、塔矢名人にどうしても勝ちたいの。特訓してくれないかな…?」


一度でいいから勝ちたい。

一局でも多く女流本因坊戦で打ちたい。

そして佐為をアシストしたい――と本音を伝えた。


「は…っ」

と父には鼻で笑われた。


「一度でいいから?一局でも多く?そんな甘い気構えで、本当にアキラ君に勝てると思ってるのか?」


「……」

「佐為君の為というのが気に入らないが……、まぁいい。座りなさい」


その日から、父の書斎で秘密の特訓がスタートした。

塔矢名人は女性棋士の中では飛び抜けた棋力の持ち主だ。

今までの女性棋士にはない圧倒的なパワー、バランス、力強さ、ヨミ。


そして――勝利への執念。



特訓初日、父は私に塔矢名人と私の差をまずは教えてくれた。


「アキラ君にあってお前に無いものを教えてやろう」

棋力がどうこういう以前の話だという。


「勝利への執念だ。絶対に勝ちをもぎ取ってやるという執念がお前には足りないんだよ」

「……」


父は私のことをよく見ている。

確かにその通りだと思った。

私は棋士を長く続けるつもりはない。

だから自然とそれが打つ手にも表れていたのかもしれない。

絶対に、何が何でも勝ちたい――なんて気持ちで挑んだ対局は、今まで無かったように思う。


「勝てたらいいな程度の気持ちでは、アキラ君には一生勝てないぞ

「…分かった。じゃあ気持ちを入れ替える」

 


幸運なことに、女流本因坊戦の第1局と第2局の間に公式戦は3あった。

棋聖戦Cリーグ、本因坊戦予選A、十段戦最終予選。

どれも男性棋士相手の大一番だったので、そこで試してみた。

この対局に負けたら佐為と別れなくちゃいけない――という枷を勝手に自分に課して対局に挑むことにした。


一番の強敵はやっぱり先日の十段戦・最終予選、決勝。

関西棋院の社七段との一局だ。

進藤本因坊や塔矢名人と同い年で仲が良いという社先生。

しょっちゅう進藤家にも泊まりに来てると、昔佐為が言っていた。

タイトル挑戦は今までないものの、リーグではよく名を連ねている

先日の棋聖のAリーグ最終戦でも勝利し、見事Sリーグへの昇格を決めていた。

相手にとって不足なし。


(絶対に負けない…!!)


「「お願いします」」


 

 

 


「精菜…、大丈夫?何か目が据わってるけど…」


昼食休憩もブツブツ符号を呟く私を、彩が心配して声をかけてくれた。

彩も今日は関西棋院で対局だ。


「何か最近気合入ってるね…」

「もちろん。私、この対局に負けたら佐為と別れるから」

「え?!何でそんな話に?!」


私は敢えて恋人の妹に伝えて、更に自分を追い込んでみた。


「お兄ちゃんも同意してるの?!」

「まさか。でも私、そのつもりだから」


そのつもりじゃないと――社先生には勝てない。

塔矢名人にも絶対勝てない。

 

 


『精菜、お前はいつも小手先で打ってるだろう?だから自分より棋力が上の者が相手だと無意識のうちに諦める癖がある』


これは先日お父さんから指摘されたことだ。

自分より棋力の上の相手だと、私は最初から諦めてる節があるのだと。

言われて……納得した。

囲碁は相手が例え格上でも作戦次第、対策次第では勝てるゲームだ

絶対はないのだ。

それならと、私は社先生の過去の棋譜データを集めるだけ集めて研究しまくった。

どういう打ち方を好んで、どういうパターンで負けることが多いのか、どういう勝負の仕方を持ち込んでくるのか――徹底的に調べ尽くした。

そして打開策を見出したのだ――

 


「……ありません」


目の前で頭を下げてくる対戦相手に、私は心の中で拳を握りしめた


(やった…!)


最後の最後まで粘って、258手で私は十段戦・本戦トーナメントの出場権を手に入れた。

インタビューと感想戦を終えて宿泊してるホテルに戻る途中で、落としていた携帯の電源を入れる。

 


(―――え?)

 

佐為からの不在着信が10件……

恐る恐る電話をかけてみると……


『精菜、僕に何か言うことは?』

と冷たい佐為の声。

恐らく今日負けたら別れる云々を彩から聞いてしまったのだろう。

佐為も明日から名人戦・第5局が始まるのに、直前で動揺さすようなことを耳に入れてしまったことを反省する。


「ごめんね…。でも社先生にはそれくらいの気構えじゃないと勝てないでしょう?」

『そうだとしても…、僕の気持ちを無視した作戦はもう二度としないでほしい』

「そうだよね…、ごめんなさい。でも佐為だって、プロ試験の時、真剣に打たないと別れるとか私に言ってなかった?」

『え?!』


佐為の声が裏返る。

もちろん彼も忘れていないだろう。


『あれは……、ちょっと精菜と真剣勝負がしたくて…』

「ほら、佐為だって私の気持ちを無視してる」

『……ごめん』


素直に謝ってくる彼に、思わず笑ってしまう。


「佐為…、私女流本因坊戦頑張るから。応援してて…」

『もちろん』

「佐為も名人戦頑張って」

『うん――もちろん』


翌々日、佐為は見事第5局を勝利し、奪取に王手をかけた。

次は私の番だ。

 

 



「そっちじゃない!何度言ったら分かるんだ。本当にアキラ君がそんなヌルい手を受けてくれると思ってるのか?!」


出発直前までお父さんにシゴいて貰った私。

準備は万端だと言えるだろう。

 


対局前日、前夜祭の日。

私はおばさんと一度も目を合わさなかった。

いつもならに彼氏の母親に気に入られたい一心の、にこやかな態度で接してきた私が――敵意剥き出しの態度を取った。

その意味をおばさんなら気付くだろう。


対局当日、私は初めて対局に扇子を持ち込むことにした。

昔佐為から貰った、彼の夢が詰まった私の宝物。

佐為も師匠である進藤王座とこれからタイトル戦に向う。

私も彼の夢を叶える手助けがしたい――

 


「時間になりました」

立会人から声がかかり、私は初めておばさんと目を合わす。

父、緒方精次譲りの鋭い目を、塔矢アキラ女流本因坊へ向けた。

 


「「お願いします」」





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