●MEIJIN 38●〜精菜視点〜
名人戦第5局が始まった。
今度の舞台は長野の老舗旅館。
昨日大阪で対局のあった私は、帰りの新幹線でその様子を携帯で眺
「精菜精菜、どっち食べる?」
横に座っていた彩がポッキーとプリッツを見せてきた。
彼女もまた昨日大阪で対局があった為、一緒に帰ることになったの
「ポッキーかな…」
「OK〜」
彩がポッキーの箱を開けて、一袋くれる。
「ありがとう」
「今度はお母さんとお兄ちゃん、どっちが勝つかなぁ。勝った方が
「そうだね…」
もちろん私は佐為に勝ってほしい。
でも、女流本因坊戦で名人と打って、強さを肌で直に体感してしま
やっぱり一筋縄ではいかないと思う。
もちろん佐為を信じて、応援しまくるつもりではいるけれど――
「あ〜昼からの大盤解説会の配信楽しみ♪早く1時にならないかな
「そうだね…」
なぜ彩が大盤解説会の配信を楽しみにしているのか。
それはもちろん、解説者が京田さんだからだ。
佐為の弟弟子ということで棋院から第5局を任されたらしい。
「でも聞き手、また柏木女流初段なんでしょう?彩、心配じゃない
「それだよ〜〜!何であの子なの!!」
彩がムキー!と怒り出す。
去年入段の柏木女流初段(20)は誰がどう見ても京田さん狙いな
京田さんの対局の記録係をしょっちゅう務めてるのはもちろんのこ
京田さんに恋人がいることは棋院の若手なら誰もが知ってることだ
「だから何?奪えばいいだけじゃない?」
というスタンスなのだ。
「京田さん…、3泊4日も長野なんだよね…。心配すぎる…」
聞き手なんてベテランの女流でいいのに!
よりによってなんでコイツなの!
奈瀬女流でいいじゃん!
と彩がどこかで聞いた台詞を叫んでいた。
(奈瀬女流大人気だなぁ…)
「昨日大阪で対局がなかったら絶対私が聞き手立候補してたのに〜〜」
「タイミングが悪かったよね…」
もちろん手合課に頼めば多少は日程を調整してもらえる。
でも彩の今回の女流棋聖戦の対戦相手は関西棋院の森女流四段だっ
森女流は現在妊娠8ヶ月。
来週から産前休暇に入ってしまう為、今回はどうしても変更が出来
「今からでも長野行った方がいいかなぁ?精菜も一緒に行こ!」
「ごめんね…。すぐ女流本因坊戦があるから…」
「そっかぁ…、そうだよねぇ…」
明日名人戦が終局したら中2日である私とおばさんの女流本因坊戦
実は今回はお父さんにも協力してもらって、ちょっと対策を練って
今日も家に帰ったら特訓するのだ――対・塔矢アキラ名人用に。
「…昨日の夜ね、京田さんに電話したの」
「うん…」
「夜10時だよ?普通はとっくに解散して、各自部屋に戻ってる頃
「そうだね…」
「でもね、電話に出た京田さんの周り…すっごくガヤガヤ煩くて
『京田せんせ〜誰と電話してるんですかぁ?咲希ともっと飲みまし
という柏木女流の声だけはハッキリ聞こえたという。
(柏木女流の下の名前は咲希だ)
「10時だよ?!それなのにまだ京田さんお酒飲んでたんだよ、柏
酔ってそのまま柏木女流と一夜を過ごしてたらどうしよう…、と彩
「京田さんに限ってそれはないと思うけど…」
「でもあの女だったら京田さんのグラスに睡眠薬とか、もしかした
「媚薬って…」
「私やっぱり今から長野行ってくる!次の名古屋駅で降りる!」
彩が立ち上がって、荷物を準備し出した。
確かに長野の対局会場に行くには、東京に戻ってから向かうよりか
『次は名古屋。お降りのお客様は――』
というアナウンスが流れた。
「彩、頑張って…」
「ありがとう精菜。私、押しかけ女房になって来る!」
スーツケースを持って、彩は本当に名古屋で降りて行ってしまった
「押しかけ女房って…、今更だよ」
と私はふふっと笑ってしまった。
再び配信に目を戻し、佐為の姿を確認する。
「佐為、今から彩がそっちに向かうからね…」
ビックリしないでね。
呆れないであげてね。
あなたの妹はあなたと一緒でとっても一途だから。
とっても嫉妬深いから。
独り占めしないと気が済まないんだからね。
名古屋駅を出発した私の乗る新幹線。
流れ行く景色を見ながら、
(大盤解説会の配信楽しみだなぁ…)
(彩が乱入してきたら面白いのに…)
と想像して私は顔を緩めていたのだった――