MEIJIN 28〜精菜視点〜





「精菜…!!」


東京駅で追いかけてくれた佐為に、抱き締められた時は嬉しかった

次またしばらく会えないことが確定していたからだ。

人の出入りが少ない駐車場の奥だったから、存分に別れを堪能した

お父さんに「いい加減離れろ!」と引き剥がされるまで――

 

 

 

 



9
月下旬。

女流本因坊戦挑戦手合の五番勝負がついに開幕した。

1局の対局場はおなじみの岩手の温泉旅館。

これから第3局までは秋田、香川と遠征が続く。



「「お願いします」」


私とおばさんは対局開始と同時に頭を下げた。

私が女流棋戦で挑戦者となったのはこれでもう10回目だ。

もちろん相手は全て塔矢アキラ名人。

もちろん今まで一度も奪取出来てない。

というか、一勝もしていない。

全てストレート負けだ。


(悔しい…)

でも、初めて挑戦した中学1年の時より、今の方が格段に私の棋力は上がってる気がする。

差は小さくなってる気がするのだ。

とはいえ、奇跡でも起きない限りまだまだ勝てる相手ではない。

でも、私の今回の目的は勝つことじゃない。

少しでも名人を疲れさせて、佐為のアシストをすることだ。


(簡単には白星は渡さないんだから…)


私はビシッと力強く次の一手を打った――

 

 

 



10
時になり、おばさんの手番で私は席を立った。

それはもちろん、おやつの時間だからだ。

控え室に戻ると、予め注文してあったクリームブリュレがちゃんと用意されていた。


「美味しい♪」


紅茶と一緒にパクパクと食べ進める。

でも……途中で手が止まってしまった。


今朝、旅館の豪華な和朝食もしっかり完食してしまった私。

これから12時には昼食、15時には午後のおやつも控えている。


(こんなに食べてばかりで太らないかな…)

中学の時はまだ背も伸びてたから気にしてなかったけど、よくよく考えてみるとタイトル戦って年頃の女の子には食事量が多すぎる気がする。

出されたものを全部食べてたら確実に太る。

もちろんタイトル戦に出る機会があんまりないなら、せっかくだからと全部食べちゃうかもしれない。

でも、今は女流棋戦はもう毎回のように挑戦してる私。

このままのペースで食べ続けてたら流石にマズイ気がしてきた……


(私の胸が大きいのって、もしかして単に食べ過ぎが原因で育っちゃってるとか?!)

 

 


対局場に戻り、おばさんの前に座る。

チラリと私はおばさんの体を盗み見た。


(細い……)

とても四児の母とは思えないほどすらっとしている。

ちなみにおばさんがおやつに席を立った形跡はない。


(え…、もしかして食べてないの?)

塔矢名人は対局中食事を取らないという噂は聞いたことがある。

もちろん全然食べないわけではなさそうだけど、私みたいに全部完食はまずないだろう。

ちなみに、息子の好みのタイプは母親のような女性になることが多いと聞く。


(てことは佐為のタイプはすらっとした女性なんじゃ…)

サーッと血の気が引いた気がした。

ど、どうしよう……

 

 

 



「休憩です」


あっという間にやってきたお昼ご飯。

再び控え室に戻った私は、準備されていた豪華御膳を目の前にして絶望していた。

和牛ステーキ、お刺身、天ぷら、茶碗蒸し……どれもめちゃくちゃ美味しそうだ。

でも、これ、一体何キロカロリーあるんだろう……

全部食べたい。

でも全部食べたら確実に太る。

どうしよう……とりあえず半分くらい食べちゃおうかな……あ、でもやっぱり美味しい……ステーキは全部食べちゃお……

 

 

 



午後の対局が始まった。

カロリー消費には頭を使う囲碁はピッタリなので、私も真剣に考え込む。


(流石こっちの対応が難しい手ばかり打ってくる…。左上の戦いも一本取られてしまった…)


気を取り直して私は17の八へと右辺へ転戦した。


私は現在12連勝中だ。

女流棋戦はもちろんだけど、碁聖戦の予選A、十段戦の最終予選、棋聖戦のCリーグ、本因坊戦の予選A……と一般棋戦でも男性棋士相手に先月今月と負け無しできている。

一方おばさまは現在3連敗中。

名人戦も第2局、第3局と佐為に連敗してしまったし、その間に行われた棋聖のSリーグでも倉田先生に僅差で負けてしまっていた。

トップ棋士は対戦相手もトップ棋士ばかりになるので、否応なしに勝率は下がっていくのは仕方がないことだけれど。

 

 


8
の十八へと打ったおばさまが、額に手を当てて少しばかり休憩する仕草を見せてきた。


(疲れてるのかな?)

名人戦と女流本因坊戦のダブルタイトル戦を現在戦っている名人。

名人戦の第4局を3日後に控えている。

ということは明日岩手から東京に戻り、明後日には第4局の京都に移動して前夜祭にも出なければならないのだ。

明らかに大変だ。


(佐為も明後日から京都かぁ…)

(会いたいなぁ…、次会えるのいつなんだろう…)

「………」

先日の第3局での夜をふと思い出して、対局中だってのに顔がニヤけてしまった。

一緒に内風呂に入ってイチャイチャした私達。

もちろんベッドに移動してからもイチャイチャ。

何回かした後、また内風呂でもイチャイチャしてしまった。

(きゃー///


翌日旅館を去る時、ファンも含めて大勢の人に見送られてた対局者の二人だけど、すました顔をしたクールな佐為が、夜に彼女とあんなコトをしまくってたなんて誰も思わないだろう。

ちなみに第4局は私が行かないから、例のやつも持って行かないらしい。

もし気が変わって私がいきなり現れたら、彼は一体どうするのだろう。


(買いに行くのかな?)

(それとも昔みたいに触り合うだけで我慢するのかな?)

(それとも……生でしちゃったり?きゃー/// ダメよ精菜!彼氏が生でしようとしたら拒否らなくちゃダメって何かに書いてたわ!)

(でも…、たまにはいいんじゃ?今は高校生だから流石にマズイけど、18歳になって結婚出来る歳になったらアリかも?)


 

 


おばさんが16の十六に打つ。

平凡に考えれば左右どちらかのハネやノビのところなのに、どっちつかずのこの16の十六はすごくいい手だ。

手厚く、損がない。

隅は守りたくなるものなのに、柔軟な発想といえるだろう。

私は14の十八から下辺を荒らしにかかる。

ばらばらと石を巻き、死ぬことはなだそうだけど……ちょっと頼りないかもしれない。

おばさんの9の十五と9の十七が光ってるのだ。

着実に中央の白の勢力圏を削ってくる。


(強すぎるよ…)


何か起こさないといけないのに、取り付く島がない。

おばさんの盤石の収束を前に、私は力を出す場面を作らせてもらえないのだ。

それでも9の十六から最後の勝負に出る。

でも10の十三まで盤石で、下辺の白は生きるのも容易ではない。


(打つ手がない…)


現在12連勝中の挑戦者と3連敗中のタイトルホルダー。

一見勢いのある挑戦者の方が分が良さそうだけど………これはそんなレベルではないのだ。

秒読みに入り、記録係の「58秒」の声と同時に私は頭を下げた。


「負けました」


(佐為…、ごめん。完敗だ…)

 

 

 


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