MEIJIN 24〜佐為視点〜





(喉乾いたな…)


机の上にはほうじ茶のポット。

冷蔵庫にはジュースやアルコールが入っていたが、ただの水でよかった僕は仕方なく買いに行くことにした。

だけど思った以上に自販機が見つからず、ホテル館内をうろつくことになってしまった。


(これなら仲居さんに貰った方が早かったかもしれない)


ようやく発見した場所はゲームセンター横。

ミネラルウォーターを購入し終えたところで、聞き慣れた声がした


「こうですか?」

「そうそう、上手上手」


ゲームセンター内の卓球場。

そこにいたのは精菜と芦原先生。

フォームを手取り足取り教えてる、二人が密着してる光景だった。

思わず目を細める。


「進藤十段?!」


他の客に見つかってしまい、「きゃー浴衣姿vv」と歓声まで上がる。

僕は慌ててその場を立ち去った――

 

 

 

 

 



「「お願いします」」


名人戦第3局の2日目がスタートした。

封じ手を名人が打った後、僕はしばらく長考に沈んだ。


(平凡に打っていては勝てない…。14の十五とノゾくべきか…)

「……」

お茶を一口飲んで、心を落ち着かせる。

昨日の精菜と芦原先生の光景が頭から離れない。

自分がこんなにも器量の小さい男だったのかと思い知らされる。

例え既婚者でも、精菜の傍にいてほしくない。

彼女に指一本触れてほしくないという醜い嫉妬が止まらなかった。


――そういえば


プロ試験を受けてる時、父も芦原先生が母に近付くのを恐れて鳥取まで乗り込んでいたことを思い出した。

あの時の父もこんな気持ちだったんだろうか。


『男の友達なんていらねぇんだよっ!』

と叫んでた父。

精菜と芦原先生も昔から仲が良い。

芦原先生を完全に信用しきっていて、兄のように慕っている。


(本当…、男友達なんていらないな…)

 


5
の二へ打ち、何手もかけてコウを解消してるうちにそれが悪手だと気付く。


(しまった…、名人に下辺の連打を許してしまった)


コウは絶対に負けられないと思い込んでいた。

18
の十と右上の黒にも圧力をかけられ、名人の手が伸び始めたことを悟る。


(くそ…、落ち着け。焦るな)

 

 



「休憩です」


記録係の声に僕はフラフラと立ち上がる。

控え室に移動して、準備されていた昼食に一口口付け……手が止まった。


(今夜…、精菜の部屋に行ったらダメかな……)


彼女の部屋番号は分かってる。

だけど僕の部屋からはかなり遠い。

一度1階まで降りて連絡通路とエントランスホールを抜けて新館に移動して、更にエレベーターで5階に移動して……

誰にも会わない可能性はゼロに等しい。

変装でもするか?

一応メガネもマスクも持ってきてるけど、でももし見つかった場合説明が面倒でもある。

なんせ今ここに泊まってる9割以上が棋戦関係者と大盤解説会の参加者だ。

僕が変装にメガネとマスクを使うということはもう知れ渡っていて、ファンが見たら一目瞭然だろう。


(じゃあ精菜に来て貰おうかな…)


でも伝えるタイミングがない。

精菜は常に緒方先生と芦原先生の傍にいて、付け入る隙がない。

あの二人のガードが固すぎる。

携帯が戻ってきたらLINEするしかなさそうだけど…、夜も寝る寸前まで二人が一緒にいるから抜け出すのは至難の業な気がする。

別に訪ねてきてくれるなら夜中でも全然構わないけど…、人気のないホテルを一人で歩かせるのは防犯上あまり好ましくない。

老舗旅館はただでさえ防犯カメラが少ない。

精菜に何かあっては困る。


(今回は諦めるか…)


直に緒方先生の天元戦が始まるし、時間を見つけてその時会いに行けばいい。

…まだ2週間もあるけど。

1局のホテルでの逢瀬以来もう3週間 も禁欲してるのに、更に2週間だなんて……


(…落ち込んできた…)

 

 

 


午後からの対局が再開した。

結果的には午前中の判断ミスによる危機感が奮起に繋がる。

僕は12の十五、12の十六に13の十四とアテ、手厚く打った。

13
の十六にツゲば手抜き可能。

11
の十五には11の十四とコウにはじけばいい。

左下を荒らして以降は手応えがある。


(いける…)


15
の六を打たれて13の七で仕上げにかかる。

更に15の八は心を折る一手と言っていいだろう。

名人は勝負手を打ってきたが既に望み薄だ。

7
の九と僕はゴールの一手を打った。


「負けました」

 

 

 



終局後、すぐに新聞社のインタビューが始まり、感想戦の前に先に大盤解説会場へ挨拶に行く。


「対局お疲れ様でした〜。勝利した進藤十段から一言どうぞ」

と芦原先生からマイクを渡される。

僕はジロリと睨み付けた後、彼からマイクを受け取り一局の感想を述べた。

名人にマイクを回した後、
「おーコワ」と芦原先生が周りに聞こえない程度の声で僕に話しかけてくる。


「昨日のは精菜ちゃんを泣かせた仕返しだから」

「…僕がいつ精菜を泣かせたんですか?」

「直接ではないけどね。でもキミのファンが精菜ちゃんを傷付けたんだから半分はキミのせいだよ佐為君」

「…え?」


再び名人からマイクが戻ってきて、次は次局の意気込みを聞かれる

さっさと回答し、また名人にマイクを渡す。


「ファンにいじめられたってことですか?」

「言っておくけど今回だけじゃないからね?精菜ちゃんはずっともう何年も耐えてるんだ。いい加減お兄さんの堪忍袋もキレるよ?」

「……」


名人が意気込みを話し終えた後、チラリと僕は観客席の顔を見渡した。

イベントの度によく見る顔も多かった。

わざわざこんな山奥まで応援に駆けつけてくれるファンは有り難いのかもしれないけど。

精菜を傷つけてるというのなら話は別だ。


…とはいえ、今の僕に出来ることは何もない。

彼女たちを戒めたところで火に油を注ぐようなものだろうし、交際を発表したとしても結果は同じだろう。

彼女たちが僕に関心がなくなるくらい負けまくるわけにもいかないし、容姿を変えることも出来ない。


(僕は無力だな…)


大盤解説会場の入り口に立ってる精菜と、会場を出る時にすれ違う

ここは客席からは死角。

僕は彼女に「22時に行くから」と小声でそう告げた。


途中で誰と会っても構うものか。

今は彼女の心のケアを優先したい。

不安にさせたくない――そう思った。

 

 

 


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