MEIJIN 17〜佐為視点〜





……考え過ぎてよく眠れなかった……



名人戦挑戦手合第1局・2日目。

僕は自室で朝食をいただきながら、昨日の封じ手以降の展開をまた考えていた。



名人の放った6の十八が予想以上に手厚い。

7
の十八なら6の十六が先手だ。

先に6の十六で7の十七なら当然手抜きになる。

やはり7の十八を省くと7の十七、8の十八が大きく9の十八が必要になってしまう。

更に右辺もかなり危うい。

16
の七から14の八と切って、17の十一まで、白が攻められる集団はないと言っていいだろう。



(…やはり強いな…)



小さい頃からずっと夢見てきた両親とのタイトル戦。

棋力的には同等になったつもりでいた。

だけどいざ盤を挟んでみると、異様なまでの母のオーラを感じずにはいられなかった。

いつも通り打つだけでは駄目なのかもしれない。

このままでは勝てない。


「………」


だけど不思議と顔が緩んでいるのを感じた。

簡単に勝ててしまっては面白くないと思ってる自分もいるのだ。

強い相手との対局は何よりも楽しいし、興奮する。



チラリと時計を見ると820分。

僕は立ち上がって身支度を始めた。

母は自分がいいと思ってるだろう。

だけど恐らくAI的にはまだ僅差。

ここからが本当の勝負どころだ――

 

 

 

 

 


「おはようございます」



カシャカシャカシャ

開始15分前に対局室に入ると、待ち構えていた大勢のカメラマンにシャッターを切られた。

下座に座り、名人の入室を待つ。

右には立会がいて、スポンサーの代表、理事、新聞解説、そして記録係が並んでいた。

ホテルのスタッフがお茶を運んでくれたので、心を落ち着かせる為に一口口付ける。

ふと部屋の奥を見ると、見知った顔が二つ。



(父と彩だ…)



中継カメラからは視覚になる場所に、スタッフに紛れて二人が立っていた。

1局の大盤解説を担当してる二人。

9
時から解説会もスタートするので、ギリギリまでここにいるつもりなんだろうと推測する。

その後ろに。

彩の後ろにもう一人女性の影が。



(……精菜……)



『ちょっと覗きに私も控え室に顔だすね』とは電話で言っていたが、まさかこのタイミングで姿を見れるとは思ってなかったので驚く

と同時に僕の緊張が瞬く間に解れるのを感じた。

強張っていた顔も普段通りに戻る。

頑張ってね、とでも言うように精菜が拳をグッと握っていた。


 


「おはようございます」



遠くから次々に聞こえる挨拶の声。

名人が入って来たことを悟る。

盤を挟んで僕の前に座った母が、鋭い目で僕を見る。


「おはようございます」

「おはようございます」


お互い丁寧語。

この場所では家族の馴れ合いは一切無い。

一礼した後、僕らは昨日までの石の運びを再現していった。


さぁ、決着する2日目の始まりだ――

 


「「お願いします」」

 

 

 




母、塔矢アキラと初めて公式戦で対局したのは僕が中学3年生の夏だった。

NHK
杯本戦2回戦。

テレビ放送もされるこの早碁棋戦で僕は母と初めて顔を合わせることとなった。

後で聞いた話だけど、視聴率は異例の15%越えだったらしい。

その時の解説を担当したのも父だった。


「私、聞き手打診されたから引き受けちゃった♪」

「……そうなんだ」


嬉しそうに精菜が話してくれたが、僕は内心複雑だった。

テレビなんかに出て、彼女の顔を世間に晒したくなかったからだ。

元モデルを母に持つ精菜の見た目の良さは異常だ。

小さい頃から可愛かったが、中学1年生で身長が160センチとなった当時は、誰もが振り返る美少女に成長していた。

あまりにも可愛くなっていく娘を心配して、緒方先生は海王の最寄り駅に家を建てたほどだ。

電車通勤をして精菜が痴漢になんて決して合わないようにと。


(結局このNHK杯での聞き手が原因で彼女の株は急上昇するわけだけど…)


頭のいい精菜は聞き手の仕事も卒なくこなして、その後イベントに引っ張りだこになった。


(でも、あの母との初戦となったNHK杯で勝てたのは、精菜のおかげかもしれないな…)


聞き手という同じスタジオで、近くで彼女が見てくれてると思うと、いつも以上にいい手が浮かんで快勝出来たのだ。

彼女にいいところを見せたいという男心もいい方向に働いたのかもしれない。


今もこのホテルのどこかでこの対局を見守ってくれてるだろう彼女に、自分が頑張ってる姿を見せたい。

例えどんなに不利な状況にまで追い込まれようが決して簡単には投了しない。

最後の最後まで粘ってやるつもりだ。

 

 

 



ビシッと名人が2の八へ音高く打った。

形勢がハッキリした瞬間だ。

もうコウ材が足りてるかは微妙だけど、逆転するには行くしかない。

12
の一へ勝負手を打ち、僕は一か八かの賭けに出た。


左辺は既に白の大地だ。

だが今名人の放った14の十四は悪手と言えなくもない。

正しく応対すれば2目は得することになる。


だけど――細かすぎる。


12
の一、19の十、19の九、19の十一のハネツギは自然。

どんなに計算してもコウ材が続かない……


(足りない…か)


(僕の1目半負けだ……)

 


チラリと名人の表情を伺う。

落ち着いていて、恐らく母の頭の中では既に終局図が見えているのだろう。

ぎりっと歯を噛み締める。

秒読みがカウントダウンされる中、僕は191手目を打たずに頭を下げた。

 


「ありません」

 

 


NEXT(精菜視点)