MEIJIN 11〜精菜視点〜





ついに今年も名人戦挑戦手合七番勝負が開幕した。

1局は文京区の老舗ホテルで行われる。

おじさんと彩が大盤解説を担当するので、私もちょこっとだけ覗きにホテルにやってきた。



「精菜ー!こっちこっち!」


関係者用の控え室に入ると、モニター前にいる彩が大きく手を振ってきた。

彩の横にいたおじさんが

「ちょうど始まるところだよ」

と教えてくれる。

モニターを覗くと、ちょうど二人が一礼したところだった。

上座に座っている名人であるおばさまがニギって、下座に座っている挑戦者の佐為が2子を置く。

普段の対局では当たり前の光景だけど、番勝負だからこの行為が行われるのはこの対局だけだ。

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局目以降、第6局までの先後もここで決まる。


「お兄ちゃんが黒か〜」


立会人の茂木先生が合図した後、「「お願いします」」と両者が頭を下げ、そして佐為が16の四へ一手目を放った。

と同時にカシャカシャカシャとかなりの数のカメラが一斉にシャッターを切る音が鳴り響く。

これから3ヶ月に渡って行われる七番勝負が幕を開けた――




「大盤解説会は何時から?」

「とりあえず今日は13時。明日なんて朝9時からだよ。長すぎ〜」


彩が愚痴を零す。

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日碁の場合、通常大盤解説会が開催されるのは2日目のみだ。

今期は初日から開催されるという点だけを見ても、このタイトル戦の注目度が見て取れる。


「精菜、抽選倍率聞いた?7倍だったらしいよ」

「え?」

「定員200名で1400以上申し込みがあったんだって。もうプレミアチケットだよね〜。当たった人スゴイよ」

「確かに…」


開始までまだ時間があるけど、彩は大盤解説会の途中で行われる抽選会の準備がある為、早めに会場入りしたらしい。

「習字苦手なのにー」

とブツブツ文句を言いながら景品用の色紙に揮毫していく彼女。

明子おばあ様仕込みの彩の習字は実はなかなかの上手さだ。

ちなみに横のテーブルには他の棋士の揮毫もたくさん置いてあって、私は順番に見ていくことにした。

立会の茂木九段、新聞解説を担当する林八段のはもちろん、記録係の三橋初段と佐々木二段のまである。

もちろん進藤本因坊と主役の塔矢名人の色紙もあった。

そして佐為の色紙の前で私は目を止めた……



――綺麗――



習字の先生が書いたと言われても信じてしまいそうなくらい達筆な佐為の字。

思わず見惚れてしまう。

(この色紙が当たる人が羨ましい…)

ちなみに抽選会の景品は他にも扇子やポスター、クリアファイルなど色々並んでいた。

名人か、新世代か――という飾り文句の今期名人戦。

ポスターで睨み合う二人は流石親子で、やっぱり雰囲気がよく似ている。


(佐為…カッコいいなぁ…)


会場のあちこちにも貼られているこのポスターを、私は目に入る度に立ち止まってうっとりと眺めてしまっていた。


「なんか精菜、ポスターに今にもキスしちゃいそうな顔してるよ」

と彩に笑われる。

「本人にしたげなよ」

「…うん。そだね…」


この前佐為の家に泊まった時以来、またしばらく会えてない私達。

一体次はいつ会えるんだろう。

同じホテル内にいるのに、近いようでものすごく距離があるように感じた。

モニターに再び目をやると、序盤なのに佐為が扇子の先を顎にあてて早速読み耽ってる様子が見て取れた。

こんなにも真剣で素敵な表情なのに、私は佐為の口許ばかり見てしまう。


(ああ…キスしたいなぁ……)


あの唇で私を触ってもらいたい。

愛を囁いてほしい。



「精菜、元気出して。ほら、撮影用のお兄ちゃんが頼んだケーキあげるから」

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時のおやつをゲットした彩が私に分けてくれる。

このケーキは佐為に食べて貰えるんだ…とケーキにまで嫉妬する私は、もしかしたら重症なのかもしれない。


(私だって佐為に食べてもらいたい…)


シャインマスカットがあしらわれた上品そうなこのケーキ。

(そういえば箱根の温泉で同じようなのがデザートに出てきたな…)

試食をしながら、私はその夜のことを思い出していた――












「美味しかったな」

「うん、綺麗な懐石料理だったね〜」


夕食のあと、佐為と一緒に部屋に帰ってきた。

すると私達が出掛けている間に敷かれたらしいお布団が2つ綺麗に並べられていて、それを目にした私達は思わず無言で立ち尽くしてしまった。

頬が赤くなる。

チラリと佐為の方を見ると、彼の方もどことなく照れているようだった。


「なんか明ら様だよな…」

「う、うん…」


佐為は布団を素通りして、とりあえず奥の広縁にある椅子に座っていた。

私は荷物の整理をする。

さっき温泉で使ったタオルを脱衣室に干したり、明日着る予定のワンピースをクローゼットに掛けたり。

佐為はゴソゴソ動き回る私が落ち着くまで、外の夜景を眺めていた

浴衣で物思いに耽っているそんな表情もカッコよくて素敵で、写真に収めたいくらいに見惚れてしまう。


「終わった?」


私の動きが止まったので、こっちに視線を向けてくる。

その表情が色っぽくて…熱を帯びてるようで…たまらない。

私は彼に近づいていって、そっと耳元で「お待たせ…」と囁いたのだった――






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