●MEIJIN 1●





「――え?名人戦の大盤解説ですか…?」

「はい。平日ですので難しいかとは思うのですが…」

「いえ、全然大丈夫です!お願いします!」



夏休みも終わりに近付いたその日。

私が手合いの帰りに事務に寄ると、馴染みの女性事務員が声をかけてきた。

そこで打診されたのが、もうじき始まる名人戦挑戦手合の時に、現地で行われる大盤解説の聞き手の仕事だ。

もちろん私は迷わず即答。

引き受けるに決まってる。

学校なんて4日くらい休んだって全然平気!

だってだってだって。

今回の名人戦の挑戦者は、私の恋人である進藤佐為なんだから――!!

(近くで応援出来るーー!!)



今月初めに行われた、名人リーグ最終局。

佐為は私の父・緒方精次との勝負に見事勝利し、結果7勝1敗と単独トップで名人リーグを突破し、見事挑戦権を手に入れた。

ちなみに私が聞き手として担当する大盤解説は第3局となった。

場所は岐阜にある老舗ホテル。

正直第4局以降の担当にならなくてホッとした。

決着が着くかもしれない第4局以降は、やっぱり人前で喜んだり沈んだりしたくない。

挑戦者の恋人として静かに見守りたいからだ。


ちなみに第1局の聞き手を担当するのは彩らしい。

進藤家の人達は、家族のタイトル戦の時には必ず解説(彩のみ聞き手)として呼ばれている。

佐為も先月まで行われた本因坊戦(進藤ヒカル VS 塔矢アキラ)の、第6局で解説を担当していた。


そして今回の名人戦は、七大タイトルの挑戦手合で初の親子対決となる。

母・塔矢アキラ名人 VS 息子・進藤佐為十段。

恋人の私としてはもちろん佐為に勝ってほしいけど。

でも同じ棋士としても、ものすごく結果が気になる見逃せないタイトル戦だ。

おそらくまた囲碁界に留まらない注目のされ方になるだろう。

(十段戦の時みたいにまたマスコミも多いんだろうな…)






「え?彩、おじさんとペアなの?」

「うん。やだなーお父さんと一緒に大盤解説だなんて」


聞き手に決まったことがあまりに嬉しくて、帰りに進藤家に寄ってしまった。

彩がいたので第1局について聞いてみると、何とおじさんが解説らしい。

確かにちょっと仕事としてはやり辛いかも…?


「精菜が担当する第3局は誰が解説なの?」

「あ…聞くの忘れてた」

「緒方先生だったらどうする〜?」

「えー…まさかぁ…」


でも、あり得なくもない。

今日帰ったらお父さんに聞いてみようと思った。

(どうかどうか他の棋士と組めますように!)


ちなみに今日は佐為も手合いの日だ。

予選を全て突破してしまってる佐為の対局はいつも5階の大一番ばかり。

今日も棋聖のSリーグの第2局、持ち時間は5時間。

きっと帰ってくるのは早くて夜9時とかだろう。



(…佐為に会いたいな…)



でもそんな時間まで人の家にお邪魔するのは非常識だ。

私は諦めて早々に帰ることにした。


「じゃ、彩またね…」

「ねぇ精菜…、最近お兄ちゃんに会えてる?」

「う…ん。たまに…」

「たまに?ちゃんとエッチしてる?」


私の顔はカッと赤くなった。

直球で聞かれたことが恥ずかしかったからじゃない。

恥ずかしかったからだ……全然出来てないことが……


最後にしたのは、彩や京田さん、西条さんに金森さんと計6人で行った温泉旅行。

あれから早くももう一ヶ月が経とうとしているのに、私達はエッチどころかロクに会えてもいなかった。


佐為の対局スケジュールは私とは全然違う。

タイトルホルダーになってからは国際棋戦にまで参戦し出したから、丸5日とか平気で留守にするし。

それに夏休みはただでさえイベントが多い。

佐為は人気者だからしょっちゅうゲストに呼ばれて、日本中をあっちこっち飛び回っている。


一応3日前に会えたけど、それも棋院で偶然に、だ。

ちょうど雑誌の撮影に向かうところだったらしく、正直1分も話していない。

撮影の為にわざわざ移動するってことは、またファッション雑誌とかに出るんだろうか…。

チェックして買い逃さないようにしなくちゃ……なんて、恋人のくせに私がしてることは、ただのファンと大差ない。

雑誌の彼を見て心をときめかすだけの毎日。



……辛すぎる……




「精菜、今日泊まって行ったら?」

「……え?」

「お父さんもお母さんもイベントの手伝いで京都行ってて留守だし、楠さんだってもう帰っちゃったし」

「でも…」

「私も今から京田さんち押しかけようかな♪ね、だから泊まっていきなよ?」

「でも……佐為、手合いの後で疲れてると思うし…」

「精菜に会えたらきっとお兄ちゃん、疲れなんて吹っ飛ぶよ!」

「……」


彩が携帯で電話し出した。

「あ、京田さん?お願いがあるんだけど、今夜泊まってもいい?」


彩ってば大胆だ。

きっと京田さん、今頃電話口で慌ててると思う。


「うん、じゃあ準備出来たらすぐ向かうから。また後でね〜」


彩が私に向かってにっこりと笑う。


「じゃ、私今から京田さんとイチャイチャしてくるから♪精菜も頑張ってね」

「あ…でも私、着替えとか全然持ってないし…」

「取ってくれば?」

「うん…」

「精菜が帰って来るまで待っててあげるから」

「うん…じゃあ取ってくる」



帰ってきて私がいたら佐為はどう思うんだろう。

ドキドキしながら私は着替えを取りに自宅に急いだ――








NEXT