●MAIN BATTLE 9●
「くそっ!負けた!」
火曜日――僕が学校から帰ったすぐ後、両親が石川から帰って来た。
明日帰ってくる予定だったので少しだけ驚く。
携帯の速報で、昼過ぎには父が投了したことは知っていたけれど。
「ミスった。上手くいくと思ったのに」
「名人戦で試す方が悪い。前に座ってるのを誰だと思ってるんだ?僕だよ?キミのことを一番よく知っている僕だ」
無謀にも今回の対局で新手に挑んだ父。
でも思惑は見事に読み切られ、阻止された。
賛否両論のある一局となった。
両親は現地でたっぷり検討しただろうに、帰ってきてからも一目散に碁盤の前に座り、再び検討を始めた。
僕もちょっとだけ覗かせてもらう。
「形も悪い。こう来てもこう阻止するから、どのみちこの石は生きない」
「でもこう打てば?でもってこうハネる」
「コウと無条件生きは大違いだ。ここは打てない」
「くそっ、やっぱ駄目か…」
父が天を仰ぐ。
これで父は1勝3敗、後が無くなった。
反対に母は勝って機嫌がいい。
「コーヒー煎れるよ。キミも飲む?佐為は?」
「「お願い」」
ハモる僕らをクスッと笑ってキッチンに向かった。
「…あ、そういえば彩と精菜ちゃんの対決どうなった?」
今更父が聞いてくる。
「精菜の4目半勝ち」
「じゃあ彩は2敗かぁ…」
「お父さんはプロ試験何敗で合格したの?」
「3敗。越智が2敗で和谷も3敗」
「3敗…」
「僕は1敗だったけどね」
と母。
「オマエの1敗は不戦敗だろ?サボりやがって」
「どうしても手合わせしたい人がいたからそっちを優先しただけだ」
プロ試験を休んでまで手合わせしたい人……?
そんな人が母にいたのかと面食らう。
(母の不戦敗はてっきり体調不良とか、そんな理由だと今まで思っていたのだ)
「誰と打ってたの?」
と母に問う。
「え…」
「もしかして、お父さんと打ってたの?」
「ううん…違う、と思う」
思う?
「いや、どうなんだろう…。僕は今でも半分ヒカルだと思ってるんだが…」
チラリと母が父を見た。
父は直ぐさま目を逸らした。
「直接打ったわけじゃないんだね。ネット碁?」
「…そうだよ」
「並べてくれる?」
「え?」
「プロ試験を休んでまで打った一局なんでしょ?僕も見てみたい」
「あ……うん」
いいよ…と母が、僕らの前の碁盤の前に座った。
母が12歳の時、もう18年も前の一局なのに、すらすら石を並べていく。
よほど思い出に残ってるのか、今まで何度も並べたのか。
「…ここで僕が投了だよ」
並べられた棋譜を見る。
母が黒。
12歳の時の母だけど、その勝負感や力強さはさすがその年プロ試験を受かっただけのことはある。
そんな母に中押し勝ちしたこの白は――
「お父さんの碁に似てる…」
「は…、はぁ?オレじゃないからな!」
「分かってる、こんな碁が12歳に打てるものか」
「……」
おそらくプロ。
もしくはプロ並みに強い人。
かなりの年配者だという印象は受けるけど……
「…この白の人の名前は?」
「……」
「お母さん?この白の人のハンドルネームは何て言うの?」
「それは……」
母がもう一度父の方を見る。
「お父さん…?」
父が明かに困ったという顔をしている。
僕と母にじっと見つめられて――――両手を上げた。
「…分かった。降参。この白の名前は『sai』だ」
sai…って――
「…お父さん、僕の名前も『佐為』だね…」
「……そうだな」
「お父さんが名付けたんだよね?」
「……そうだな」
「saiは…お父さんの師匠なの?」
「……」
「お父さんの碁に似てるってさっき言ったよね?でもお父さんじゃない。でもお父さん…この人から囲碁を習ったんじゃないの?」
「……」
「師匠がいないなんて本当は嘘なんでしょ?saiが師匠なんでしょ?だから…僕に同じ名前を付けたんでしょ?違う?」
「……」
母が父の横に移動する。
握りしめられて父の手に…優しく添える。
「ねぇヒカル…、キミ、言ったよね?いつか話すかもしれないって」
「……」
「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか…?」
「アキラ……」
しばらくの沈黙の後、父が重い口を開いた。
「ちょっと長くなるんだけど…」
と、小学6年生の時、曾祖父の蔵で出会った烏帽子のお化けについて話し出した――
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