●MAIN BATTLE 8●
「あー!負けた!悔しい!」
棋院からの帰り道、彩が叫んでいる。
結果は精菜の4目半勝ち。
彩は2敗になった。
「お兄ちゃんと柳さんとの対局もまだ残ってるのに…」
もう駄目かも…と自信を無くしている。
「彩、まだ9局もある。これからどうなるか僕だってまだまだ分からないよ」
「そうだけど…」
「全員でプロになれればいいのにね…」と精菜。
合格は3名。
その年の受験生のレベルが高いからといって、4名や5名に人数が変わることはない。
落ちたら来年、もしくはプロ棋士を諦めるか、その二択しかない。
いや、正確にはもう一つ選択肢はあるのだが…
「――で?お兄ちゃん達、さっきから何調べてるの?」
自分と会話しながら、僕と精菜が携帯をいじっているのが気に入らなかったらしい彩が、僕の携帯を覗いてくる。
「…ハンバーグの作り方?」
「うん。今日の夕飯、精菜と作ろうかと思って…」
「も〜〜お兄ちゃんは気楽でいいよね!私今落ち込んでるんだからね!」
「彩は出来上がるまでゆっくりすればいいだろ?」
「そーする!私は絶対に手伝わないからね!」
腰に手をあててプンプン怒り出した。
「二人で作りながらイチャイチャしないでよ!キスなんて絶対禁止だからね!」
フン!と先に改札に入って行ってしまった。
僕と精菜はお互い顔が少し赤くなった。
家に戻る前に近所のスーパーで買い出しをする。
ハンバーグの材料と、明日の朝ご飯も。
彩はお菓子を次々にカゴに入れてきた。
「佐為達の食費って渡されてるの?」
レジを待ってる途中精菜が聞いてくる。
「食費っていうより、この春から生活費用の口座を作って渡されたんだ。手持ちが足りなくなったら下ろす感じかな」
「へぇ…」
「でも何に使ってるか把握したいからって、お母さんにレシートや領収書を入れる箱も渡された。家計簿書くわけじゃないからまだ楽だけど」
とりあえず貰ったレシートは全てその箱に入れている。
ちなみにその箱は週一くらいで母がチェックしてるらしい。
「面白いシステムだね。佐為、信用されてるんだね」
「そうなるのかな。ま、両親揃って週に何日も家にいないこともあるし、いちいち今日の分、とか渡してられないんじゃないかな」
ちなみにその口座をもらって半年経つけど、両親は一度も残高を増やした形跡がないという放置ぶり。
300万からスタートして、現在残高約285万。
まぁまだまだ持ちそうだからいいけど。(というか子供名義の口座に入れる額じゃないと思う…)
「ただいま」
「お邪魔します」
誰もいないけど、一応習慣で挨拶してから家に入る。
エプロンを付けて、手を洗ってから「よし、作るか」と野菜を切るところからスタートした。
「佐為、一緒に作ってくれてありがとう」
「当たり前だって」
「いい旦那さんになるね…きっと」
「精菜もいい奥さんになると思うよ」
「そうかなぁ…」
精菜が頬を赤める。
可愛い。
「精菜は何歳くらいで結婚したい?」
「え〜…何歳かなぁ。私の両親ぐらい遅いのは嫌だけど…」
「僕の両親みたいに早すぎるよりはいいんじゃない?」
「でもやっぱり20代がいいかなぁ…。24とか理想だよね」
「24ね、分かった」
「…私が24になったら、佐為は26だね」
「うん。ちょうどいいんじゃないかな、そのくらいが…」
「そ、そうだね…」
野菜を切る手が止まって、見つめ合う。
真っ赤になってしまった彼女の頬に手を添える。
「佐為…」
「精菜…」
ゴホン
「ちょっとちょっと〜〜?キスは禁止って言ったでしょ?!」
リビングのソファーに寝そべりながらテレビを見ている彩が、咳払いをして叫んだ。
自分の部屋にもテレビあるくせに、わざわざこっちで見て僕らを監視する妹にカチンとなる。
精菜を手招きして、彩から死角になるようにしゃがんだ。
そして軽く、一瞬だけ唇を合わせる。
結婚の約束のキスをした――
「あー!お兄ちゃん今したでしょ!見えなくても分かるんだからね!お兄ちゃんのエッチ!今度緒方先生に会ったら言いつけてやる!お兄ちゃんなんてプロになって新初段シリーズで先生とあたってコテンパンにやられちゃえー!!」
夕飯を食べて後片付けまで付き合ってくれた精菜。
気が付いたら夜の8時。
僕は精菜を家まで送っていくことにした。
緒方家まではJRでほんの2駅。
10分くらいだ。
「おじさんとおばさんの名人戦、今度はどっちが勝つのかな」
「どっちでもいいけどね。家庭内が平和なら…」
「ふふ、そうだね」
あっという間に精菜の家に着いて、「今日はありがとう。美味しかった」と改めてお礼を伝える。
「おやすみ」
「うん。送ってくれてありがとう。おやすみ」
精菜がちゃんと玄関に入って鍵を閉めるまで見守る。
リビングのあたりの電気が点いた後、カーテンが開いて、窓越しに精菜が手を振ってくれた。
僕の方も振り返してから、また駅までの道を歩き出した。
「お兄ちゃんお帰り〜」
彩は和室で碁盤の前に座っていた。
「ちょっとだけ検討付き合ってくれない?今日の一局」
「いいよ」
彩に向かい合って座った。
「悔しいなぁ…。何か精菜最近マジだもんなぁ」
溜め息を吐いている。
「お兄ちゃんとプロになるって決めてから、何かを吹っ切ったみたい…」
「彩は最近弱気だよな」
「だって2敗だよ?まだお兄ちゃんとも柳さんとも戦ってないのに!」
「僕とは10日目だな。再来週か」
「負けないからね!」
「うん、その息だ」
僕も負けない。
来週も何としてでも勝つ――
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