●MAIN BATTLE 31●





プロ試験最終日。



「佐為、お昼行こう」

「うん」


精菜に誘われて僕は席を立ち上がった。

京田さんも盤面を気にしながらも、僕に続いて立ち上がる。


「京田君、どんな感じ?」

柳さんが尋ねながら盤を覗いた。

「はぁ…どこがプリンスだよ」

「え?」

「進藤君。実は性格悪いだろ…絶対」


京田さんが頭を掻いて舌打ちする。

少しだけ振り返って、僕は口角を上げた。

解けるものなら解いてごらん、と視線を送る。

京田さんが睨んできた。











「お兄ちゃん今どんな感じ?」


控え室に行くと、彩が直ぐ様聞いてくる。

「どうだろ…京田さん次第かな」

「どういう意味?」

「ちょっとね」

精菜が笑う。

「佐為、京田さんにこっちから仕掛けたんだよね」

「え?そうなの?」


いつも控え室の窓際に座ってる京田さん。

柳さんと会話しながらも、さっきの一手の意味を解こうと必死なのか、考え込んでるのが分かる。



「精菜はどんな感じ?」

「うん。もう終局しそう」

「え…本当に?」

「うん」


今日の精菜の相手は院生5位の相川さん。

院生の中では結構打てる相手だ。

でも物ともしない精菜にさすがだな…と改めて感心する。


「僕まだまだかかるけど、先に帰る?」

「ううん、待ってる。一緒に帰ろ♪」

「そう?」

「うん。だって今日は特別な日でしょ?」


ニコッと彼女が微笑む。



特別な日……うん、確かに特別だ。

7月から始まった僕のプロ試験がようやく終わる日。

長かったようで…案外早かったなと思う。

今日で37局目。

最後も勝って終わりたい。


絶対に――












時間になって、僕は再び京田さんの前に座った。

チラリと彼の顔を見る。


さぁ…一時間経ったよ。

解けた?




パチッ


開始と同時に京田さんが石を放つ。

それがあまりに意外な一手だったので、思わず僕は眉を寄せた。


(ツケてきた…。これでは打ち過ぎな気がするけど…)


7の十二に直ぐ様僕も打つ。

どう見ても白の嬉しくない展開。

でもこっちの黒を生かせば白よしとなるか。



14の七、15の八、15の九、14の八……


しばらくの間右辺中央をノータイムで打ち合う。

10の九を僕が打ったところで、京田さんの手が止まる。

これが狙いだったのか…、という表情を向けてくる。

今更気付いても遅い。

既に白は最大のチャンスを逃している。

もし中地を減らすと同時に19の八への取りかけへも備えていたら。

ここに一眼さえあれば白は完全に生きたはずだった。

でも京田さんは気づかなかった。

いつもは仕掛ける側の彼。

いつもと立場が違うから、見落としたのだろうか。




実は父との特訓の間に、ネット碁でsaiが100人斬りをしたという対局も並べてもらっていた。

本因坊秀策時代の古い定石を使うsaiが、現代の定石を会得していく様子を目の当たりにした。

わずか一ヶ月のことだったらしい。

僕も父にこの約一ヶ月間教わって、実戦経験を積んで、自分でも成長したと思う。

だから自分でも打ってみたくなったんだと思う。

自分の成長を試してみたくなったのだ――






パチッ パチッ パチッ…



まもなく大ヨセに入る。

7の十七が7の十八にぶつかる。

ハネツギを打たれて2目損となる。



……細かいな……



ヨセは得意な方なのだろう。

こっちの白のツケアテが勝る。

もしこの二子も取り込められたら半目勝負だ。



8の一、9の一、10の一、8の四……


一瞬ヒヤリとしたが、でも僕は冷静に読みきる。


この勝負――僕の1目半勝ちだ。

京田さんももう分かっているんだろう。

ギリ…と歯を鳴らしている。


15時10分、京田さんが盤上に碁石をいくつか置いた。


「……ありません」

「ありがとうございました」

「ありがとうございました…」


お礼を言い合った後、京田さんが「はぁー…参った」と頭を押さえた。


「進藤君もこんな打ち方出来るんだ?」

「得意ではないです。敢えて言うなら特訓の成果…かな」

「特訓?」


でもこれはほぼ僕の碁じゃない。

父の力を借りただけのようなものだ。

次は自分の碁で、自分の力で勝ちたい――




「でも最後のここ、こうツケたら白よしでしたね」

「あ、そうか。2目は得してた?」

「はい。気付いてヤバイと思いました」

「ん〜でもなぁ。やっぱりこの6の十だよなぁ…。進藤君の性格を疑ったよ」

「京田さんがさっさと仕掛けて来ないからですよ」

「言ってくれるじゃん…。隙を与えてくれなかったくせに」


僕らは碁石を片付け始めた。

もちろんもっとじっくり検討したい。

でもそれより大事なことが今からある。

時計を見ると15時20分。


「京田さん、父も今頃もう羽田に着いて家に向かってる頃だと思います」

「うわぁ…緊張してきた…」

「頑張って下さいね。無事合格したら、この対局の検討もじっくりしましょう」

「ん、そうだな」





対局室を出ると、立会人の白川先生や他の棋院スタッフにも次々に「おめでとう」と言葉をかけられた。

出版部の天野さんにも呼ばれ、僕も京田さんも精菜も、プロ試験の感想とこれからの意気込みを聞かれる。


「進藤君の目標は?」

「もちろん――タイトル戦で両親に勝つことです」



ずっと持ち続けている僕の夢、目標。

ようやくプロになれる。

僕の棋士としての人生がようやく来年4月からスタートする――










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