●MAIN BATTLE 29●





「あー…酷い目にあった」



僕がお風呂から上がった直後、両親が広島から帰ってきた。


「無理して行くんじゃなかった…」

と父はリビングのソファーに寝そべり、母はダイニングのテーブルに突っ伏した。


「大丈夫?二人とも…」

「大丈夫なワケないだろ。緒方先生と旅行するハメになっちまったんだから」


いちゃいちゃする予定の温泉も常に緒方先生がいて、全く二人きりになれなかったと父がぼやく。


「おまけに酒癖悪いし、オマエのこと貶しまくるし」

「え…」

「精菜ちゃん取られたって泣きつかれた時にはどうしようかと思ったぜ」

「何か…ごめんなさい、お父さん…」

「もう新初段シリーズは覚悟しておいた方がいいぞ、佐為」

「え…?」

「緒方先生、100%オマエを指名してくる」

「…やっぱり、そうだよね…」


父にまでも言われてしまった。

僕も覚悟を決めよう。

緒方先生に認めて貰えるよう頑張ろう。



「でも、お父さんもお母さんも明日からまた名人戦で兵庫なんでしょ?帰ってこないで、そのまま向こうにいた方が良かったんじゃない?」

「まぁな〜。でもオレ次そのまま韓国も行くし、あんまり大荷物だったら緒方先生に怪しまれると思ったんだよな…」


まぁ結局、京都駅で博多行きの新幹線に乗ろうとした時点でバレちゃったんだけど…と父が溜め息を吐いた。


「白状しないと佐為と精菜ちゃんの交際認めないって脅すしさぁ。ひでぇよあの人…」

「ごめんなさい…」

「おまけに因島まで付いてくるし、旅館も一緒のとこ泊まるって言い出すし、でも自分の部屋に帰らずずっとオレらの部屋で酒飲んでるし」


勘弁してくれ!と父が思い出しただけで疲れていた。



「オレもう寝る…。おやすみ…」

「お休みなさい…」


父がフラフラと二階に上がって行った。

母を残して睡眠の確保を優先するくらいだから、よっぽど疲れているんだろう。

確かに明日また兵庫に移動して明後日から名人戦第六局を二日間戦い、終わったらすぐに韓国に移動してLGで王九段と対戦。

帰ってくるのは来週土曜日だ。

考えただけで僕でも疲れる。



「お母さんもごめんね…」

母が笑ってくる。

「確かに緒方さんには参ったけどね…。でもヒカルと因島に行けてよかったよ」

記念館とかお墓とか、一緒に色々回って、棋士としても有意義な2日間だったと母は満足げだ。


「ヒカルも前回は佐為を探すのに必死でよく見てなかったから、今回僕と回れてよかったと帰りの新幹線では話していたんだよ」

「……」

「でもやっぱりセンチメンタルになることもあったんじゃないかな…。一人で展示品を感慨深く眺めてることも多かったしね…」

「お母さんには触れなかったから拗ねてただけじゃない?」

「え…」


冗談のつもりで言ったのに、母が急に頬を赤くする。

この反応は、おそらく全く何もなかったという反応ではない。

でもさっき父は「全く二人きりになれなかった」と言っていた。

ということは――


「緒方さん…酔っ払ってヒカルの布団で寝ちゃったから…」


僕の布団で寝るしかなかったんだよ…と母が小さく呟く。

つまり、両親は緒方先生が寝ているその横で、コトに及んだわけだ。

聞くんじゃなかった…と僕は両親の不埒さに目眩がした。



「でもさすがにタイトル戦の後に旅行は疲れたよ。僕ももう寝るね。お休み佐為…」


母も二階に上がって行った。

両親は明日のお昼頃にはまた出発だ。

僕は明日は学校。

つまり――父ともう特訓は出来ない。

後は自分の力を信じて京田さんと戦うしかない。




――絶対に負けない――




ぎゅっと拳を握り締めて、僕も自室に戻った――














「二目半差か…もう無理やな」

「そうだね…」


水曜日――僕は放課後教室に残って、西条と名人戦の行方を携帯で見守っていた。

夕方17時過ぎ――映し出されていた盤面に、父の頭が一瞬だけ映る。

投了だ。

母は3回目の防衛に成功した。



「名人上手く打ったなぁ。本因坊、土曜に早碁オープンで緒方棋聖と戦ったばかりやし、2日空けての二日碁はキツかったんちゃう?」

「それを言ったら母だって王座戦から3日しか空いてない。条件はほぼ同じだよ」

「ほな純粋に名人が強かっただけの話か。さすが女王様やなぁ」


西条と話しながら、僕は折り畳み式の碁盤を片付け始めた。



父と母…正直なところどちらが強いんだろう。

15歳の時ぐらいから勝ったり負けたりを永遠と繰り返している僕の両親。

七大タイトルを先に取ったのは父だけど、今は父は一冠、母は二冠。

でも土曜の早碁オープンのように、七大タイトル以外の棋戦でも父は結構優勝している。

母も女流タイトルを総なめ中。

生涯タイトル数も生涯賞金もおそらく拮抗している状況だ。



――最高の好敵手――



二人の為にあるような言葉のように思えてくる。

囲碁は一人では打てない。

二人の天才が戦ってこそ名局は生まれる。

両親はきっとこれからもたくさんの名局をこの世に生み出していくんだろう。



僕もそんな対局がしたい。

京田さんとはどんな一局が出来上がるんだろう。

楽しみで過ぎて口元が緩む――











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