●MAIN BATTLE 25●
「お邪魔しました」
18時過ぎ、僕達3人は京田家を後にした。
京田さんが1階のエントランスまで送ってくれる。
「さっきエレベーターで入れ違いになったのって、妹さんですか?」
「うん」
僕達がエレベーターから降りた時に、女の子が二人そのエレベーターに乗り込んだ。
京田さんが「お帰り」と言っていたのだ。
「双子なんだ。今小5」
「あ、彩と一緒ですね」
「進藤君ちもこの前生まれたの、確か双子なんだよね?」
「はい。今は祖父母の家で暮らしてるので僕は滅多に会いませんけど…」
「進藤本因坊も塔矢名人も忙し過ぎるもんな。名人、来週から王座の防衛も始まるんだろ?」
「名人戦と女流本因坊戦もまだ決着付いてませんしね…」
「俺的にはやっぱり本因坊に名人位も奪取してもらいたいけど」
「そう一筋縄にはいきませんけどね…」
「うん、塔矢名人って絶対女流じゃないよな」
「はは…僕もそう思います」
京田さんにお礼を言って、僕達はマンションを後にした。
また恵比寿まで歩いて、今度は埼京線に乗る。
乗り換えなしで自宅最寄り駅まで20分ちょっとで行けたから、京田さんが無事父の弟子になれて家に頻繁に来ることになっても、そんなに交通の便は悪くないかもしれない。
そんなことを考えながら家に帰ると、母がキッチンで夕飯を作っていた。
「お帰り。遅かったね」
「うん、今日の対局検討してて…。お父さんは?」
「まだ実家。夕飯の仕度があるから僕だけ先に帰って来たんだ」
「そう…。じゃあお母さん、今のうちにちょっとお願いがあるんだけど…」
「――え?」
父が祖父母の家から帰ってきたのはそれから30分後。
ちょうど夕飯が出来上がったタイミングだった。
「双子って超可愛いよな!」
と弟妹に父はメロメロだ。
色違いの服とかいっぱい買っちゃうよな!と。
「あ、そういえば京田さんの妹も双子だったよ」
「……え?」
父が眉を潜めた。
彩が(お兄ちゃん何言い出すの?!)という表情を向けてくる。
まぁ任せておけって。
「今日京田さんちで検討してきたんだ」
「へぇ…。で?」
父の視線は冷たいままだ。
今の父にとって、京田さんは「虫」だから。
「棋士とは無縁の家だったよ。普通に裕福な幸せ家族って感じ」
「ふーん…」
「本棚に囲碁関係の本大量にあってさ、お父さんの本も全部持ってた」
「……」
「お父さんの詰碁集なんて3冊持ってるらしいよ。あんなに熟読してくれる人がいるなんて、お父さん出した甲斐があったね」
「…そうなんだ…」
母が父の横でクスクス笑う。
「よかったねヒカル。締切間際にキミが僕に泣きついてきた本だろう?」
「だってオレ文章苦手だし…」
父が21歳の時、初めて本因坊のタイトルを獲得した時のことだ。
出版社から記念に出しませんか、と依頼を受けたらしい。
詰碁の問題を考えるのは好きだけど、問題は解説もろもろの文章力だ。
締切間際になっても全く終わってなくて、ついに父は母に泣き付いたらしい。
「もう無理!アキラ助けて〜〜!」と。
そこから母のスパルタ作文講座が始まり、父は不眠不休で何とか締切内に仕上げることが出来、無事出版することが出来たという思い出深い本。
「でも今回は一人でよく頑張ったよね」
えらいえらい、と母が父の頭を撫でた。
子供扱いされて父は頬を膨らませている。
実は前回の詰碁集発売からちょうど10年ということで、もうすぐパート2が発売されるのだ。
発売日は今月20日。
僕と京田さんの対局の次の日だ。
「発売前に何冊か完成見本くれるんだし、もし京田君が弟子になったら一冊あげたら?」
母が提案する。
「それがいいよ、お父さん。京田さんきっとお父さんの本、この世で一番読んでる人だと思うよ」
「……じゃあ、京田君が入門試験に受かったらな」
父が仕方なく了承する。
「京田さん、お父さんのこと尊敬してるから喜ぶと思うよ。この前の名人戦の第五局も、滅茶苦茶興奮してたし。やっぱり進藤本因坊最高だよって」
「…そうなんだ。でもあれは確かに我ながら上手く打てたと思うもんな〜」
父がだんだん上機嫌になっていく。
「だからお父さん、入門試験はちゃんと考えてあげてね。京田さん、本気でお父さんの弟子になりたいんだから」
「そうだよヒカル。弟子に志願されるなんて棋士にとって光栄なことなんだから」
「ん、分かった」
そうだよな、光栄なことだもんな…と思い直し始めていた。
僕と母は(上手くいった)と視線を合わせた。
実は僕はさっき、夕飯を作っていた母に頼み込んだのだ。
今のままだと審査が厳しくなってしまう、と。
「確かに彩は京田さんのことが好きだけど、入門出来るかどうかは全く別の話だと思うんだ」
「まぁね…」
「僕は京田さんと父のもとで勉強したい。私情を挟まれたら困るんだよ」
「……」
「京田さんは父を尊敬してる。でも彩のせいで入門出来なかったら、僕にとって損失でしかない。お母さんだってそうでしょ?」
「え?」
「お父さんと打ちたいのに打てない、そのもどかしさはお母さんが一番よく分かってるんじゃない?」
「…そうだね。僕もヒカルに打ってもらえなくて辛かった…」
「だからお母さん、協力してくれないかな?」
お父さんの操り方はお母さんが一番よく分かってるでしょ?――と。
無事成功したみたいでよかった。
僕はホッと胸を撫で下ろした。
「お父さん、ご飯終わったら精菜との一局見てもらえる?」
「もちろん」
「そういえばお父さんも、次の土曜、緒方先生と対局だったよね?」
「ああ、早碁オープンの決勝な。京都行ってくる」
「お父さん、八ツ橋お土産によろしく〜♪」
相変わらず京都=八ツ橋の妹の思考に、僕も両親も苦笑した――
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