●MAIN BATTLE 24●





僕の家に行くには総武線、秋葉原方面へ向かう電車に乗らなければならない。

京田さんの家に行くにはその真逆。

中野方面行きに乗って代々木で乗り換え、3駅先の恵比寿で降りる。

そこから歩くこと約10分ちょっと。

着いたのは、某大使館から目と鼻の先。

ちょっとだけ高台にある、いかにも高級そうな低層マンションの二階だった。


京田さんが僕の家を見て「普通」だと言ったのが当たり前のようなエントランス。

ホテルさながらな一階ロビー。

(もちろんコンシェルジュもいる)

芸能人とか普通に住んでいそうだ。

それか会社経営者。

それか医者、弁護士。



「京田さんのお父さんって何してる人ですか?」

「普通のサラリーマン」


絶対嘘だ、普通のサラリーマンがこんな億ションに住めるものか。

僕が疑いの目を向けていると、

「いや、本当だから。その辺の普通の会社に勤めてる」

と笑ってくる。


「ただ…母さん側のおじいちゃんがちょっと金持ちかな。このマンションもおじいちゃん名義らしいし」

「そうなんですね…」

「進藤君ちにちょっと似てるだろ。塔矢家の方が裕福だもんな」

「確かに父の実家は普通のサラリーマン家庭ですね…」


母は言わずと知れた塔矢元名人の家出身。

でももっとすごいのが祖母の実家。

何年か前に曾祖父が亡くなった時、祖母はかなりの額を相続したらしい。

祖母のあの上品さは生まれながらのお嬢様だからだと思う。


「お互い逆玉な家に生まれたよな」

「まぁ…そうですね」

「あ、俺の家ここ」



京田さんが玄関の鍵を開けた。

入ってすぐ斜め前の部屋が彼の自室らしい。


「お邪魔します」と靴を脱いでいると、

「昭彦さん、帰ったの?」

と奥から女の人(推定40歳)が現れた。


「ただいま。母さん紹介するよ、一緒にプロ試験受けてる進藤君と妹の彩さんと、緒方さん」

「初めまして。あら、こんな可愛い女の子達も受けてるのね」


囲碁のプロ試験って容姿の審査もあるの?と冗談を言ってくる。


「後でケーキ持って行くわね。お飲み物は何がいいかしら。コーヒーより紅茶の方がいい?」

「いいから、母さんは向こうに行ってて。俺達今から検討に集中するから」


母親をリビングに押しやって、京田さんが自分の部屋のドアを開けた。

ちなみに彩は京田さんに「彩さん」と紹介されたことに後ろで一人赤面して盛り上がっていた。


「4人座るにはちょっと狭いんだけど」


京田さんの部屋は8畳の洋室。

モノトーンで統一された、机とベッド、本棚ぐらいしかないシンプルな部屋。

もちろん部屋の中央には碁盤。



「囲碁関係の本もたくさん持ってるんですね…」


本棚にぎっしり並んでいる本の9割方が囲碁関係の本や雑誌だった。

初心者用の入門書から始まって、上級者向けの手筋本まで。

AIの布石定石の新刊もあれば、各棋士著書の本もある。


もちろん――父の本もその中にあった。


「進藤本因坊の詰碁集は永久保存版だね。実は同じのあと2冊持ってる」


すぐに取り出せるよう本棚に置いてあるのは普段用らしい。

付箋がたくさん付いていた。


「こんなに熟読してくれてる人がいるなんて、父も出した甲斐がありましたね…」


父が初めて名人のタイトルを取った時に発売された奇跡集もあった。

まだ若かりし、18歳の時の父が表紙。

でも…既に僕は生まれてたんだよな。

(何せ僕が生まれた12月11日は父が挑戦権を獲得した日だったらしいし)

まだこんなに子供っぽさが残る父に子供がいるなんて、やっぱり何だかなぁ…と思ってしまうのだった。




「じゃ、検討始めようか」

「そうですね」


僕と精菜が碁盤を挟んで座り、今日の対局を再現していった。


「迷う場面が多いね」

「そうなんですよね。ここも後から考えたらサガった方が懸命だったのかも…」

「この辺は成功したと思ったんだけどなぁ…」

精菜が溜め息をついた。

「緒方さんも流石だね。中盤まで負けてない」

「でもこの一手で形勢逆転だもん」

「すごいね。絶妙な一手だ」





しばらくして検討も終盤に入ったところで、コンコンと誰かがドアノックしてきた。

「そろそろ休憩したら?」

と京田さんのお母さんがケーキとコーヒーを持って来てくれた。

「ケーキは私の手作りなの」

と言われて驚く。

明らかにアマの領域じゃなかったからだ。

スイーツ大好き女子である彩と精菜は当然大興奮だ。



「毎日のように作るから大変でさ…」

京田さんが小声で僕にぼやいてくる。

「柳なんて来る度に食べさせられて3キロ太ったらしい。だから最近俺んち来てくれなくなったんだよね…」

「でもすごい上手ですよね…。元パティシエとか?」

「本人はなりたかったらしいんだけどね。おじいちゃんに反対されたらしい」


大学卒業後はお嬢様らしく、家事手伝い。

そのまま結婚して今にいたると。


「だから俺が棋士になりたいって言っても反対されなかった点はよかったかな。子供の夢は応援してやりたいらしい」


彩と精菜が京田さんのお母さんを煽てまくったお陰で、僕達にも好印象を持ってもらえたみたいだった。

やはり囲碁界と無縁の親としては、少なからず子供の進路が不安になるところだろう。

(お父さん側のおばあちゃんがそうだったらしいもんな…)

父がプロ試験を合格した後、和谷先生のお母さんにも話を聞きに行ったらしい。



「…そういえば京田さんて、普段の勉強どうしてるんですか?」

「まぁ土日は院生だよな。平日は思いっきり独学かな。碁を始めたばかりの頃からの、行きつけの碁会所に行くことも多いけど」

「その碁会所って、レベルは?」

「まぁまぁかな。マスターはアマ五段だから結構打てるけど、他の客はまちまち。でも雰囲気いいから気に入ってる」

「へぇ…」

「指導碁するのも勉強にもなるしさ。あ、先週は3人相手に多面打ちもしたな」

「面白そうですね」

「進藤君も今度行ってみる?」

「あ、ぜひ…」

「後はそうだな…、去年院生からプロになった瀬戸さんの紹介で、太田九段の研究会には火曜日の夕方だけ参加させてもらってる」

「太田九段門下には窪田七段もいましたよね?」

「うん、よく知ってるね。やっぱり彼は勢いが違うよ。太田九段はもう引退間近のおじいちゃん棋士だけど、窪田七段がいるから彼の考えとかも聞けるし、すごく勉強になる研究会だと思う」


5月の若獅子戦で予想通り優勝した窪田七段。

当時は五段だったけど、8月にあった本因坊戦最終予選を見事突破し、リーグ入りを果たしたから一気に七段に昇格した。

今月からスタートしたリーグ初戦でも倉田先生に勝ったという、今の若手ナンバーワン。

実はまだ19歳だったりする。


ちなみに彼の次の本因坊リーグの対戦相手は――母だ。

今月末に予定されている。


「塔矢名人と窪田七段、確か初対局だよな」

「楽しみですね」

「…その頃には俺らの対局も終わってるな」

「…何なら今から一局打ちます?」


京田さんが「え!」という顔をしてくる。

うーん…と悩みだした。


「…いや、再来週の楽しみに取っておくよ」

「そうですか?」

「打ちたいのは山々だけど、もう5時だし。君との初戦はちゃんとした条件で対局したい」

「そうですね…。じゃあやっぱり19日に」



僕との対局の後に、父の入門試験もある京田さん。

突破して、一緒に父の元で学べる日が早くやってくればいいのにと思った――











NEXT