●MAIN BATTLE 21●
僕の対局が終局したのは14時を回った頃だった。
片付けながら周りを伺う。
彩はまだ対局中。
精菜はもう終局したのか姿無し。
そして――京田さんと柳さんももちろんまだ対局中だ。
出口まで遠回りして、彼らの盤をちょっとチラ見する。
(優勢なのは白…京田さんか)
だいぶ終局図が見えていた。
このままいけば2目半で京田さんの勝ち。
でも順番が読めない。
どういう流れでこんな配置になったんだろうか。
京田さんがまた妙手でも放ったのだろうか。
ちょっと気になったが、長く立ち止まる訳にはいかないので、仕方なく僕はそのまま控え室に戻った。
「あ、佐為。お疲れさま」
「精菜は中押し?」
「うん」
「流石だな」
「明日の佐為との一局に備えて体力温存だよ♪」
「……」
今日のあの二人と同じように、明日は全勝の僕と一敗の精菜との一局がある。
いよいよ大詰め、上位陣の星の潰しあいだ。
一つ落とすとガタガタと崩れる場合もあると聞く。
最後までどうなるか読めない、誰が合格するのか分からない――それがプロ試験だ。
「は〜勝った勝った〜」
彩が帰って来た。
無事勝ったらしい。
「お兄ちゃん、京田さん達も今終わったみたいだよ。検討始めてた」
「へぇ…」
「行かないの?」
「じゃあ…ちょっと見てきてもいい?」
「いいよ〜私も見たいし」
「私も〜」と精菜も付いてくる。
三人で対局場に戻ると、京田さん達の周りには既に何人も集まっていた。
僕らもちょっと覗かせてもらう。
「うーん、ここが読めなかったんだよなぁ。ノビた方が良かった?」
「こっちをツケた後でな」
「この意図もしばらく分からなかった。悪いと思ったんだけど…」
「眼形が乏しくなったと思った?」
「うん」
二人の検討を聞いていて、どういう運びだったのか理解する。
やはり京田さんは読めない先手の妙手を放っていたらしい。
僕には解読出来ただろうか。
(うん…きっと出来る)
なぜなら京田さんの放ったこの一手は、父の一手より遥かに緩い。
僕が口許を緩めていると、それに気付いた京田さんと目が合った。
「進藤君は解けたんだ?」
さすがだね、と付け足してくる。
「君との対局もいよいよ再来週だな」
「いよいよですね」
京田さん達が石を片付け出したので、僕も対局場を後にして、そのまま帰路についた――
「佐為、彩、お帰り〜」
「ただいま」
「ただいま〜」
家に帰ると、予定通り両親が熱海から戻って来ていた。
和室で二人は検討中だ。
前回とは打って変わって、勝った父がご機嫌、母は険しい顔付きで碁盤を睨み続けている。
「アキラ、一旦終わろうぜ。オレも佐為の特訓しなくちゃいけないし…」
「じゃあ続きはまた夜にしよう」
母がガチャガチャと乱暴に碁石を片付け始めた。
「えー…もういいじゃん。夜は他のコトで忙しいし〜」
ギロリと母が父を睨み付ける。
「僕が納得するまで付き合ってくれるまで、触るのは禁止だ!」
と言い放ってプンスカ二階に上がって行ってしまった。
「マジかよ…」
昨日も触らせてくれなかったのに…と、父が項垂れる。
「お父さん、今日の対局見てもらってもいい?」
「ああ…」
既に目が死んでる父。
たかだか2、3日触ってないぐらいで大袈裟だろうこのエロ親父が、と内心突っ込む。
京田さんは今朝父のことを「最高だよ」って言っていたが、もし弟子になってこんな姿を目の当たりにしたら幻滅しないか心配だ。
我が父ながらもうちょっとしっかりしてほしい。
「えーと?相手は院生何位だっけ?」
「8位。海王高校の2年生」
「へぇ…」
パチパチ石を並べていく。
「東大目指してるらしいよ」
「すげぇな…」
まぁこの棋力じゃプロ棋士目指すより東大行った方がよっぽど賢明だよな…と父が続ける。
「オレが北区の大会に出た時海王中で大将だった奴もさ、東大入ったらしい。あ、ソイツも元院生でさ」
「ふーん?」
「卒業後は財務省入ったんだって。アキラが言ってた」
「官僚?すごいね…」
「ま、収入はオレの方が一桁多いけどな」
「今はね。でも20年後は分からないよ。事務次官にもなれば年収って2000万以上あるんでしょ?」
「20年後かぁ〜。確かにオレもどうなってるか分からないな…」
引退して碁会所開いてたりして〜と笑ってくる。
「それか塔矢先生みたいに、孫に碁を教えてたり?」
「え?」
父がニイっと笑う。
僕は少しだけ顔の温度が上がるのが分かった。
「佐為と精菜ちゃんの子供だったら将来有望過ぎるよな〜♪教えがいがありそうだ」
「ぼ、僕より、彩の方が早いかもしれないよ?」
「――え?」
濁点が付きそうなくらいの暗い声が返ってきた。
「…彩にそんな野郎がいるのか?」
父にタイトル戦並の目付きで睨まれる。
…………やばい…………
「や、えっと、知らないけど…、彩も小5だし…好きな人くらい…いるんじゃ…」
「彩っっ!!!」
父が二階にいる妹を叫んだ。
「な〜に〜?」と呑気な返答をしながら、面倒くさそうに階段を降りてくる。
「彩お前、好きな男がいるのか?!」
「え?何いきなり…」
彩の頬が少し赤くなる。
「いるんだな…」
「お、お父さんには関係ないでしょ?」
「連れてこい」
「えっ?」
「お前のことだから、どうせ囲碁を打つ奴なんだろ?オレが打って吟味してやる」
「ば、バカじゃないの?!お父さんには関係ないでしょ!」
「いいから連れてこい!」
「嫌よ!京田さんに迷惑でしょ?!」
「――え?」
「え?あ…!やだ私…」
言っちゃった…と彩が泣きそうになっている。
僕も(彩の馬鹿…)と額に手を当てた。
「京田?今、京田って言ったな?」
「言ってない!知らない知らない!うわーん!お母さーん!」
彩が叫びながら母の部屋へ一目散に逃げていった。
「…佐為は知ってたのか?」
「え?何の話?」
一応しばらっくれてみる。
「知ってたんだな…」
「……」
「この前言ってた京田君の弟子の話、やっぱり無しにしよう」
「え?!」
「お前との最終局が終わり次第ここに連れてこい。オレが直に打ってテストしてやる」
「お父さん…」
「分かったな?絶対連れてこいよ!来なかったら入門は認めない!彩も絶対にやらないからな!!」
「わ、分かったよ…」
京田さんは別に彩に興味はないと思うんだけど…、とは言えなかった……
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