●MAIN BATTLE 19●
「――え?車?」
「そ。熱海だし、2時間もあれば着くだろ?オマエの車で行こうぜ」
水曜日。
明日からの名人戦第五局に向けて、両親は今日が移動日となる。
車で行こうと言い出した父に、母は眉を傾けてくる。
運転が大好きな父と違って、母はどちらかというと公共交通機関もしくはタクシー派なのだ。
「なぜ僕の車なんだ?」
「心配しなくても運転はオレがするから。オマエの車、そろそろ走らせてやらないと、バッテリー上がるぞ」
「そういうことなら…分かったよ」
しぶしぶ母が同意する。
朝食を食べ終えた僕は、
「行ってきます。二人とも頑張って。お父さん、運転気を付けてね」
とだけ言って学校に出発した。
うちのガレージには車が3台止められている。
2台は父の、1台が母の車だ。
父は普段用と、ファミリー用の大きな車の2台持ち。
車に無頓着な母の分も管理しなければならないから大変そうだ。
母の車も弟妹が帰ってきたら必要になるだろうから、手放す訳にはいかないらしい。
尤も、この東京のど真ん中で一家に3台は持ちすぎだと僕は思う。
アクティブな家族ならまだしも、下手したら一日中碁盤の前にいることが一番の幸せだと考えてる僕らだ。
「絶対無駄だよな…」と毒づきながら、僕は学校に向かった。
「おはようさん」
「おはよう、西条」
学校に着くと、いつものように西条が声をかけてきた。
「なぁ、夕方また一局打てへん?」
「いいよ。どこで打つ?」
「進藤んち、行ってもええ?」
「いいよ」
両親は名人戦でいないけどね、と付け足す。
「俺も明日名人戦の予選やねん。景気付けに七番勝負してる家の空気でも吸ってご利益貰っとこう思て」
「何だそれ」と苦笑する。
西条はプロ棋士。
プロの対局は木曜日(もしくは月曜)に棋院で行われている。
もちろん毎週あるわけではなく、人によって対局の数も違う。
勝ち上がればそれだけ対局数も増えていくが、負ければそのタイトルの予選はそこまで。
また次期までお預けだ。
西条の明日の対局は名人戦予選Cの二回戦。
予選BCを全て勝ち抜くと予選Aに進める。
予選Aも勝ち抜くと最終予選に進める。
最終予選も勝ち抜くとやっと挑戦者決定リーグ戦に進める。
そのリーグ戦で勝ち抜いた父が、現名人の母と今七番勝負をしている訳だ。
西条にとっては気が遠くなるくらい上の話である。
でもそんな両親も16年前、同じように名人戦の一次予選の道を通ってきた。
僕も早くその舞台に立ちたいと真に思う――
「ただいま」
「お邪魔しまーす」
夕方、西条と一緒に家に帰ってきた。
先に帰ってきていて、和室の碁盤で棋譜並べをしていたらしい彩が眉を潜めた。
「げ…また来たの?西条さん」
「彩ちゃん、お邪魔するなぁ。お、誰の棋譜並べよん?」
「この前のお兄ちゃんとの一局。やっぱりどう打っても私の負けだね…」
はぁ…と溜め息を吐きながら片付け始めた。
「ねぇ、西条さん。関西棋院のプロ試験ってどんなの?」
彩が西条に尋ねた。
「ん?まぁ受験人数は少ないけど、日本棋院とシステムは一緒やで」
「予選と本戦?」
「そやね。外来と院生5位以下が受ける予選で4位までに入ったら本戦に進める。本戦は院生4位までと予選通った4人の計8人でのリーグ戦や。合格はたった1人やで。今年は誰が受かるんやろなぁ」
関西棋院のプロ試験も現在同時進行で行われている。
もちろん、プロになってしまえばどこでプロになろうが関係ない。
タイトルの頂上を目指すのが棋士の一番の目標だ。
「そっかぁ…。あ、お兄ちゃん達ここで打つ?私は精菜んち行く約束してるから」
「気を付けてな」
「うん。夕飯までには帰る」
西条さんまたね、と彩は外出した。
「やっぱり可愛いなぁ〜彩ちゃん」
「…残念だけど、彩、好きな奴いるみたいだよ?」
「え?!そうなん?!うわぁ…ショックやわぁ…。誰?俺も知ってる奴?」
「知らないと思う」
まだ。
「彩ちゃんと同い年?」
「さぁね」
「え〜〜気になるやん。お兄様教えて〜」
「いいから、もうさっさと打とう」
「へーい…」
ご利益が欲しいという西条の為に、いつも両親が打つ時使っている碁盤で打ってやった。
翌日、『勝ったで!ご利益様々やな!』と西条からメールが来たのは言うまでもない話――
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