●MAIN BATTLE 17●





僕と彩は忙しかった両親に代わって、祖父から囲碁を教わった。

彩が2歳になって打つようになってからは、祖父はいつも二面打ちをしていた。

僕と彩が初めて19路盤で、誰の助けもなく一局打ちきったのは、僕が5歳、彩が4歳になった夏だった。


「まけたぁー」


彩が悔しそうに泣く声と、庭のセミが同調していたのを今でも覚えている。

でも「もういっかいうとう?」と誘うと、彩は涙をぬぐって直ぐ様碁盤の前に座った。


「「おねがいします」」












16の十、17の十一、16の十一、18の十三……


50手まで盤面が進む。

右上の攻防は僕の勝ち、左は彩が陣地を広げている。

徐々に中央の対決に移動していくこととなる。

10の十、12の十一、そして15の十を打ったところで僕は一気に攻めだす。

手加減はしない。

妹だからこそ容赦なく打ちのめす。


「………」


彩が珍しく長考し出した。

何を考えているんだろう。

生きる手があると思っているのだろうか。

中央右の白はもう死んでいる。


パチッ


彩が長考の末放ったのは12の十。

意外?

いや、何かあるはずだと直ぐ様僕はあらゆる手を考え出す。

父にこの一週間鍛えられたお陰でヨミの力が格段に上がった気がする。

特に今のような接近戦では効果絶大。

11の九に石を放つと、彩がぎゅっと唇を噛んだ。

思惑を破られたからだろう。

そのあと「打ち掛けにして下さい」と白川先生が声をかけるまで、彩はずっと盤を睨んでいた――











「進藤、どんな感じ?」


僕らが控え室で昼食を食べ終えた頃、京田さんが彩に話しかけてきた。


「はぁ…京田さんはいいよね、全勝で…」

「ずいぶん弱気なんだな」

「だってお兄ちゃんに勝てるわけないもん…」

「でも勝ったことだってあるんだろ?」

「10回に1回くらいはね…。今日は残りの9回の日」

「ふーん」


京田さんがチラリとこっちを見てくる。


「…進藤君、昨日盛本と話してた話って本当?」

「……」


本当に父の門下になったのか聞き出したいらしい。


「本当ですよ」

「へぇ…。進藤本因坊、どういう心境の変化?この前までまだ弟子を取らないって言ってたのに」

「さぁ?気が変わったんじゃないんですか?」


本当は僕が頼んだからなんだけど、それは絶対に言わない。


「…進藤本因坊の弟子第一号だなんて羨ましい限りだよ」

「じゃあ京田さん二号になれば〜?」

彩が軽く言う。


「…なれるものならね。ねぇ進藤君?」

「どうでしょうね。でも僕との対局次第で可能かもしれませんよ?」

「――え?」


ニヤリと笑ってやる。

もし僕に勝つことが出来たら、その時は僕から父に頼んであげますよ――と目で訴えた。

この僕に勝つことが出来たらね――


「ふぅん…君との対局が楽しみだ」

「僕もです」


京田さんが対局場に戻っていった。

時計を見ると再開まであと5分。



「彩、僕達も戻ろうか」

「うん…」

「気持ちで負けたら終わりだぞ」

「…うん」

「一生この道を歩くんだろ?お前もプロになるんだろ?なら置いていかれないよう付いてこい」

「分かってる」

「最後まで足掻けよ」

「もちろん」


彩の目が戻る――いつもの勝負師の目に。


父譲りの棋士の目に――











1の十、15の十七、14の十八……


200手を超えると盤上は石で埋め尽くされる。

終局間近だ。


僕が最後の一手、15の十四を打った。

彩がギリ…と小さく歯軋りする。

そして頭を下げた。



「…負けました」


ポタリと雫が一滴盤上に落ちる。

彩と初めて打ちきったあの4歳の時の彼女の涙と同じ、悔し涙だ。

あの時みたいすぐにゴシゴシ拭って。


「お兄ちゃん、最初から並べて検討しよう」

と力強く言ってきた。

「ああ…」

「家に帰ったらもう一局打とう」

「そうだな」

「早碁だからね」

「いいよ」




僕と彩は棋士の家に生まれた。


血統書付きの囲碁馬鹿兄妹だ――












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