●MAIN BATTLE 16●
「盛本五段?知らねぇな…」
夕方帰宅次第、また父に今日の一局を並べた。
今日の相手は盛本五段の息子だと説明してみたが、父は頭を傾げていた。
それもそのはず。
父が初めてタイトルを取ったのは18歳の時。
以来ずっと最低1つはタイトルを保持している。
頂点を極めると予選免除でいきなりリーグ戦、本戦となる場合も多い。
父はタイトルを持ってない棋戦でもほぼ全てのリーグ戦で残留してしまっているし、下の方の予選で敗退するような棋士と打つ機会はあまりないのだ。
「この木曜は芦原先生と対局だったみたいだけどね」
「芦原さんねぇ…」
父が眉を潜めてきた。
同門ということもあってか、母が棋士の中で一番仲がいい芦原先生。
母自身も芦原先生のことを「友達」というほど仲がいい。
父は昔からそれが気に入らない様子。
母の一番は常に自分でありたいのだ。
(僕は芦原先生明るいし面白いから大好きなんだけど…)
「そういえば明日からの女流本因坊の第二戦、解説芦原先生らしいね」
「……え?」
母は今朝、タイトル戦の会場である鳥取に出かけて行った。
初耳だという表情をしてきたので、ちょっと意地悪く父の耳に吹き込む。
「今頃前夜祭で楽しく過ごしてるんだろうね」
「……」
「今回も温泉だもんね。お母さんの浴衣姿綺麗だもんね」
「……」
「芦原先生、奥さんいたってお母さんとの仲はお構い無しだもんね」
「……佐為。黙れ」
父が僕を睨み付けてきた。
ふん、CM撮影とはいえ、他の女性に触って母を不安にさせた罰だ。
すると父が何やら携帯を弄り出した。
まさか母に電話する気?
「…19時15分発か。ギリだな」
ギョッとなる。
まさか飛行機の時間を調べてたのか?!
「ちょっと、鳥取行ってくる」
父が直ぐ様玄関に向かい出したので、慌てて追いかける。
「え、お父さん、冗談でしょ?!今から?!」
「芦原さんなんかにアキラを取られてたまるか!」
「僕が言ったことは冗談だよ?!」
「冗談なもんか!絶対芦原さん、今頃アキラにちょっかい出してるに決まってる!」
「心配しなくてもお母さんは芦原先生のこと、友達以上に思ってないよ…っ」
「その友達ってのが気に入らないんだ!男の友達なんていらねぇんだよっ!」
僕と父の叫び声で、彩が「なに騒いでるの〜?」と二階から降りてきた。
「じゃ、ちょっと行ってくるから。彩も佐為も明日の直接対決頑張れよ!」
オレはちょっと芦原さんと対決してくるから!――と本当に車で羽田に向かってしまった。
玄関で僕も彩も立ち尽くす。
「…お父さん、どこ行ったの?」
「…鳥取」
「鳥取??何で??」
「知らないよ…もう」
「お兄ちゃん…今日の夕飯どうなるの?」
ガクッとなる。
彩の心配はご飯のことだけらしい。
「はぁ…僕が作るよ。お父さん買い物はしてくれてるし…」
仕方なくエプロンを付けて、キッチンに向かった。
「もう!お母さんが負けたらお兄ちゃんのせいだからね!」
「うん…本当にそう思う。お母さんごめん…」
翌日、僕と彩はプロ試験の為に電車で棋院に向かっていた。
昨日のことが気になって、さっき芦原先生に電話してみると、
『うん、進藤君来たよ〜。ビックリだよね〜』
と笑われたのだ。
しかも寝る前にバーで母と芦原先生が少し話していた時のことだったという。
いきなり現れた父は母の手を強引に引っ張って抱き寄せ、「コイツはオレのですから!」と言って拐っていったという。
『さっき控え室にいるアキラを見かけたんだけど、目の下のクマがスゴかったよ。いや〜大変だねぇアキラも。熱い熱い』
それを聞いて僕は、帰ってきたら母に土下座しようと決心した。
きっと寝かせてもらえないほど父に求められたのだろう。
大事なタイトル戦の前に僕はなんてことを父に吹き込んでしまったんだ。
本当に馬鹿だ、悔やんでも悔やみきれない。
『あ。実は今日の大判解説、サプライズゲストで進藤君が聞き手に回ることがさっき決まったんだよ』
「え……父が聞き手、ですか?」
解説ではなく?
『うん、恐いよねぇ。容赦なくツッコまれそう。ま、本因坊の登場で会場は盛り上がるだろうけど』
「はは…」
『じゃ、佐為君もプロ試験頑張ってね〜』
通話が終了した後、隣で聞いていた彩に僕は足を蹴飛ばされた。
「お兄ちゃんのバカ!」と。
本当に馬鹿だと思う…。
「悪いと思ってるなら、今日勝ち譲ってよね!」
「それとこれは話が別だ」
彩がチッと舌打ちした。
いつものように改札を出たところで精菜と合流して棋院に向かった。
「え?おじさん鳥取に行っちゃったの?」
彩が一部始終を面白おかしく精菜に告げ口する。
「相変わらずラブラブだね、おじさんとおばさん」
「はは…」
もう笑うしかない。
9時、5分前。
僕と彩は碁盤を挟んで座った。
今まで何百局、いや何千局と打ったことのある妹との対局。
お互い手を知り尽くしている分、真っ向勝負となるだろう。
彩が恐いくらいに睨んでくる。
昨日の父の顔に似ている。
僕も母譲りの顔で睨み返した。
「「お願いします」」
いざ、勝負だ――
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