●MAIN BATTLE 15●
「10時か…今日はもう終わりにするか」
「うん」
父が時計を確認した後、碁石を片付け始めたので僕もそれに続く。
「明日からまたプロ試験だよな。相手は誰だ?」
「明日は合同予選から上がってきた院生の子。明後日は…彩だよ」
「彩か…!」
「うん。来週は精菜との対局もある」
「いよいよ大詰めだな…」
「負けないけどね」
「頑張れよ」
父が先にお風呂に向かったので、僕は学校の宿題をしてしまおうと部屋に戻ることにした。
ふと、ダイニングにいる母が目に入る。
ノートパソコンを開けて、何やら真剣な表情。
「お母さん?」
「え?ああ…勉強終わった?」
「うん。お母さんは?棋譜整理?」
「まぁね」
パタンとPCを閉じている。
「お母さんは…お父さんのあの話、信じれる…?」
「幽霊の佐為の話?もちろん」
「…そうなんだ」
「ヒカルと本当の意味で初対局となったあの名人戦。あの時打って僕はもう気付いていたからね。ヒカルの中には――2人いるって…」
「そうなの?」
「まぁ意味が分からなかったんだけどね。ヒカルがそれから打つ碁…それが全てだと言い聞かせながらも、ずっと僕はモヤモヤしていた…」
「……」
「やっと真実が聞けて、府に落ちたよ。ヒカルには感謝してる…」
「…そう。だから最近お父さんに優しくなったの?」
「まぁ…それもあるかな」
母がもう一度PCを開ける。
手招きしてきたので、僕も覗くと、例の父のCMの動画が映っていた。
「ヒカルには絶対に見るなって念を押されてたんだけどね…」
「お母さんこれ見て…嫌な気しなかった?」
「そりゃあ…少しはね」
自分の夫が他の女性と仲良くドライブデートして、果ては手を繋いだり肩を抱いたりしている光景。
子供の僕でさえこんなに嫌な気分になるんだから、きっと母は――
「…佐為もプロになれば分かるよ」
「何を?」
「一緒のイベントの手伝いに行くのが一番手っ取り早いかな。ヒカルがいかに人気か、ファンの女性達に囲まれてる姿を嫌でも目にすると思うよ」
「……」
「でも僕はヒカルに愛されてる自信があるから、何とも思わないけどね」
「…嘘だよね?」
「ふふ、そうだね。ちょこっとは…嫌かな。でもヒカルとその後話せばすぐに心は落ち着く。あんなに好き好き言ってくれて僕は幸せ者だ」
「だから…最近優しくなったんだ?」
「ヒカルは全てを打ち明けてくれたし、僕もいい加減素直になろうかと思って…」
「お父さんのこと好きなんだね…」
母が笑う――とても綺麗に、美しく。
「だから佐為も、精菜ちゃん大事にしなきゃ駄目だよ?」
「えっ?」
いきなり僕の話になって、思わず声が裏返った。
母にもバレていたのかと恥ずかしくなる。
「不安にさせないように。ちゃんと言葉や態度で示してあげてね」
「うん…分かってる」
「緒方さんの宝物なんだからね、精菜ちゃんは。泣かせたら塔矢門下が許さない」
「う、うん…肝に銘じとく…」
翌日――プロ試験9日目。
僕の今日の相手は院生順位14位の盛本君。
合同予選でも一度戦った僕と同じ中学1年生。
実はプロ棋士、盛本五段の息子だ。
開始5分前、向かい合って座ると盛本君が「おはよう」と気さくに話しかけてきた。
「おはよう。今日はよろしく」
「うん、よろしくー。あ、そういえばさ、この木曜の手合い、お父さん芦原先生とだったんだって」
「そうなんだ」
「芦原先生って塔矢門下だから、進藤君もよく打ってるんでしょ?」
「そうだね。祖父の研究会で必ず会うから、月に1回は絶対打ってるかな」
「進藤君って、もし入段したらどこの門下で登録するの?」
「……」
「やっぱ塔矢門下?えーと、正式には塔矢行洋名誉名人門下?だっけ?」
「――ううん。僕は進藤門下だよ」
「え?」
「進藤ヒカル九段門下」
「そうなんだ〜!」
僕はチラリと横の席に座っている京田さんを見た。
驚いたように目を大きく見開いて、こっちを見ていた。
そうだよ。
僕は進藤門下。
君がこの門下に入れるかどうかは、君次第だ――
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