●HAZE 1●





「葉瀬中っておばあちゃんちの近くなんだねー」

「んー、徒歩15分くらいかなぁ」


9月の最終日曜日。

お父さんの母校である葉瀬中に指導碁に行くことになった。

駐車場に着いて車から降りると、日曜だというのに運動部の元気な声があちこちから聞こえてきた。

一つしかないグランドに、野球部やサッカー部、隅の方に陸上部がひしめき合って。

そして体育館にはバスケ部。

初めての中学校訪問にちょっとドキドキする。



「進藤君!」


校舎の玄関から声をかけてくる男の人が一人。

眼鏡をしてる優しそうな(生徒にはちょっとナメられてそうな)先生。

きっとこの人が『筒井さん』。

お父さんの中学時代の囲碁部の先輩。


「筒井さん、久しぶり」

「来てくれてありがとう。忙しいのにごめんね」


お父さんが「娘の彩」と私を紹介してくれる。


「初めまして。囲碁部の顧問の筒井です。彩ちゃんのことはもちろん知ってるよ。院生なんだってね」

「あ、はい。今日はよろしくお願いします!」

「こちらこそ」


囲碁部の部室まで案内してくれる途中、お父さんと筒井先生はずっと近況報告していた。


「年賀状の写真では知ってたけど、進藤君にこんな大きな子がいるなんて改めて驚きだよ」

「はは、ちっちゃいのもいるけどね。筒井さん結婚は?」

「うーん、なかなか縁がなくて」

「そうなんだ」

「あ、佐為君予選通ってたね。おめでとう」

「うん。来週からこの彩と一緒に本戦が始まっちゃうから、今日しか時間取れなかったんだよね」

「名人戦も大詰めだしね」

「いや、全然大詰めじゃないよ。これから巻き返すし!」

「ははは、頑張って」


私の方にも振り返って、「彩ちゃんもプロ試験頑張ってね」と応援してくれた。

「ありがとうございます」


もちろん、頑張る。

お兄ちゃんと精菜と3人でプロになるんだ!




囲碁部の部室は図書室のすぐ横の多目的室だった。

この夏引退した3年生も入れて全員で10人。

「10人もいるのか!」とお父さんはめちゃくちゃ感激していた。

お兄ちゃんから海王の囲碁部は70人くらいいると聞かされていた私は、少なっ!と思ったんだけど……



「進藤先生、今日はありがとうございます。お会い出来て感激です」

と現部長の2年生から代表で激励された。

筒井先生が1年生の内3人が中学から始めた初心者だと説明してくれる。


「じゃ、その3人は彩頼むな」

「うん」

お父さんは残りの7人の多面打ちだ。


「初めまして、娘の彩です。5年生です」と挨拶して、私も三面打ちをスタートする。

多面打ちは大好きだ。

院生になる前に精菜と碁会所巡りをしていた時もよく打っていた。

9子ずつ置いてもらって早速打ち始める。


「彩ちゃんは何歳から打ってるんですか?」と一人目の女の子が打ちながら聞いてきた。

「えっと、2歳くらいかな?」

「今年のプロ試験受けるって本当ですか?」と二人目の男の子が聞いてくる。

「うん、来週末から試験始まるんだ」

「どうやったら大会で勝てますか?」と三人目の男の子が聞いてくる。

「やっぱり自分の棋力を上げないとね。強い人とどんどん打つのが一番の近道だよ」


あんまりおしゃべりばかりしてたから、3人は筒井先生から集中するようにと叱られていた。

でもお父さんの方も談笑しながら7人相手に指導碁を進めている。


「進藤先生、塔矢名人と北区の大会で戦ったんですよね?」

「うん、そう。でも当時オレ囲碁始めて半年くらいでさ、ふざけるなって怒られちゃった」

「えー、でも塔矢名人ってその年にプロ試験受けたんですよね?初心者相手にそれ酷すぎません?」

「んー、まぁ色々あるんだよ。オレが翌年のプロ試験受かったのもそれがあったからだし、今は感謝してるかなぁ」


お父さんとお母さんの馴れ初め話が思わず聞こえてきて、指導碁しながら私の耳はダンボになる。


「塔矢名人と付き合いだしたのって何歳なんですか?」

「17。んで18にもう結婚しちゃった」


キャアと女子から歓声が上がる。

その中の一人がお父さんにおずおずと尋ねる。


「あの、進藤先生って、海王中の進藤佐為君のお父さんなんですよね?」

「うん。佐為のこと知ってるんだ?」

「知ってるどころじゃないです!この辺の中学で知らない子いないって言うか、めっちゃ有名なんですよ!超イケメンだし海王で頭いいし統率力あるし紳士だし!」

「王子だよね〜」と横の女の子も賛同する。


お兄ちゃんが有名なのは私も知っている。

海王小学校でも卒業して半年にもなるのに、今でも同級生はよくウワサしている。

でもまさかこんな他校の人達にまで人気だとは知らなかった。

あのお兄ちゃんの一体どこがそんなにいいんだろう…。

妹には全くもって理解出来ない。


「進藤君って彼女とかいるんですか?」

「あー…どうだろう」


お父さんがチラリと私の方を見た。

余計なこと絶対言わないでよ!と私は人差し指を交差してペケ×を作った。


「はは…ゴメン、分かんない」とお父さんは笑ってごまかしていた――









「進藤君、今日は本当にありがとう」


指導碁は結局2時間くらいで終わって、残りの1時間は検討したり解説したり雑談したりで、夕方お開きになった。

筒井先生が車まで見送りに来てくれる。


「またいつでも声かけてよ。スケジュール調整するし」

「ありがとう」

「あ、今度は佐為連れてくるかな。なんかオレよりよっぽど人気みたいだし…」

ははは…とお父さんは苦笑い。

「皆ミーハーで申し訳ない。今女子の方が多いから恋愛ごとには敏感で…」

「でも筒井さんの作った囲碁部が続いてくれてて感激した」

「僕もこの学校に赴任した時驚いたよ。ずっと存続してほしいよね」

「じゃ、また来るね」

「うん。本当に今日はありがとう。進藤君の活躍、これからも楽しみにしてるね。名人戦頑張って」

「ありがとう」


筒井先生が律儀に私にもお辞儀をしてくれる。

私もペコリと頭を下げて、筒井先生が見えなくなるまで手を振っていた――








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