●FIRST-STAGE 6●
4月26日。
王座戦・予選Bの日を僕は迎えた。
今日は彩も一緒だ。
「彩は誰と?」
「早川女流三段とだよ。女流棋聖の予選」
「へー」
早川女流三段は両親と同年代の棋士だ。
入段してから10年にもなるのに、いまだに三段。
女流棋士の昇段がいかに難しいかを物語る典型的な例だ。
母みたいに九段にまで上り詰める女流は他にいないのだ。
でも、精菜なら……母と同じ道を歩めそうな気がしてならない。
来年あたり、ちゃっかり挑戦者として母の前に座っていそうだ。
「じゃあな、頑張れよ」
「うん、お兄ちゃんもね」
彩と対局場前で別れ、僕は自分の席に座った。
目を閉じて――集中力を高める。
今日の対局相手は六段。
入段して20年になる中堅棋士。
過去の戦績は15年前に新人王で準決勝に進出したくらい。
七大タイトルで一度も本戦への出場を果たしていない、予選止まりの無名棋士だ。
そういう言い方をすれば弱く聞こえるかもしれないけど、六段以下はそういう棋士もありふれている。
勝ち続ければ勝数も増え昇段するし、本戦への道やリーグ戦への道も開ける。
でも逆に言い換えれば、勝たなければ当然タイトル戦の予選すら通らないし、いつまで経っても低段のままだ。
完全なる実力社会。
もちろん僕は前者を目指す。
誰よりも早く上に行きたい。
両親が待つこの世界の頂上に――
ビーっと開始の合図が鳴り、僕は目を開けた。
そして目の前にいる今日の敵に鋭い視線を向けた。
「「お願いします」」
パチッ パチッ パチッ…
早碁が好きなのか、結構早いペースで局面が進む。
お昼休憩に入る頃には既に120手を超えていた。
でもまだ互角か、僕が少しいいか。
ビーっと再び合図が鳴り、僕は盤面から顔を上げた。
鈴木六段と目が合う。
少し気まずそうな顔をして立ち上がり、そのまま対局場から出ていった。
「お兄ちゃん、一緒にお昼行こうよ」
彩が誘いに来たので、僕も対局場を後にして、一緒に駅前のファーストフード店に向かった。
「そういえば今日お父さんも5階にいるんだよね?」
「うん、天元の準々決勝らしいな」
「準々決勝かぁ……何か雲の上って感じ」
「そうか?」
「だって今日勝って、あと2回勝ったら挑戦者だよ?倉田先生と五番勝負だよ?すごくない?」
「まぁな」
「お母さんも先週ちゃっかり本因坊の挑戦者になっちゃうし。うちの両親ってヤバくない?」
「ヤバいな。自分がプロになったら更にそう思うよ…」
「だよね〜」
彩がハンバーガーにかぶりついた。
「そういえばお母さんって4月に入段してから12月まで、負けなしだったらしいよ。この前芦原先生と一緒になってお昼も一緒に行ったんだけど、そんなこと言ってた」
「へぇ…負けなし?」
「26連勝らしいよ」
「……すごいな」
「そんでその年の勝率第1位賞と連勝賞取ったらしいよ」
「すごすぎるな…」
「だよねー」
彩が溜め息をつく。
「……私、今日の対局負けそう。もう結構差が付いちゃってるし」
「……」
「お兄ちゃんは勝てそう?相手六段でしょ?やっぱ強いの?」
「段位と棋力は必ずしも一致するとは限らないよ」
「意外と弱いの?」
「逆かな」
「逆?」
僕は既に三段の西条にもほとんど負けたことはないし、もっと上の高段者にだって全然歯が立たないと思ったこともない。
自分の実力が初段だとは思わない。
今日も絶対に勝つつもりでいる。
「お兄ちゃんならお母さんの記録抜けそうだね‥」
「26連勝?そうだな…やれるとこまでやってみるよ。彩も今日も最後まで諦めずに粘れよ」
「うん…!」
午後からの対局が始まった。
相変わらず打つのが早い鈴木六段。
確かに入段して20年のベテランだけあって、この早さでも厳しい手を連発してくる。
互いの生死を懸けたしのぎを削る展開になる。
でも僕はこの早さゆえに現れる荒さを見逃さなかった。
3の十、一番の急所を見抜いて石を放った――
「……く」
チラリと彼の顔を見る。
母譲りの、鋭い視線を彼に向ける。
「…ありません」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました…」
これで3勝。
母の26連勝にはまだまだ届かないけど、一局一局確実に仕留めていきたいと思う。
次の対局はいよいよ若獅子戦だ――
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