●FIRST-STAGE 3●
「また一緒のクラスやな。よろしゅうな〜」
「うん。よろしく西条」
新学期が始まった。
海王中は一学年8クラス。
それなのに西条とまた同じクラスになれたのは奇跡と言えるだろう。
「来週、奈央と対局なんやってな」
「うん」
「まぁ手加減してやってな」
「まさか。本気でいかせてもらうよ」
「そう言うと思ったわ…」
西条が溜め息を吐いた。
西条が金森女流二段のことをファーストネーム(奈央)で呼び始めたのは先月の中頃くらいだろうか。
交際は順調らしい。
都内の女子高に進学した金森女流。
西条からしょっちゅう惚気話は聞かされているので、既に知り合いな気がしていたが、実は全く知らないことに今頃気が付く。
会ったことも、もちろん打ったこともない。
来週西条の彼女の顔が拝めるのが楽しみだ。
「進藤君、西条君、たまには囲碁部にも指導碁来てよ」
呼ばれて振り返ると、別宮さんが仁王立ちしていた。
そういえばこの人とも同じクラスになってしまったんだった…と溜め息が出た。
「あ、今嫌そうな顔した」
「…別にしてないけど」
「じゃあ来てくれる?」
「嫌だ」
「えーケチ。進藤本因坊と大違い」
「……え?」
いきなり父の名前が出てきて眉がピクッと反応する。
「葉瀬中の友だちが言ってたもん。進藤本因坊に去年指導碁来て貰ったって」
「ああ…そういえば」
そういえば去年、合同予選の後だっただろうか、父が彩と葉瀬中に指導碁に行ったことを思い出した。
帰ってきた父に「今度は佐為も行こうぜ!」と誘われたんだった。
「指導碁も勉強になるよ〜?それとも何?進藤君、実は多面打ち出来ないとか?プロのくせに」
ムカ…
「出来るよ」
「じゃあ論より証拠。出来るとこ見せてよ」
「分かった。今日の放課後でいい?」
「もっちろん!じゃあ待ってるからね!」
ご機嫌に別宮さんが教室を出て行った。
西条が「はぁ…」と溜め息を吐く。
「なにノせられとんねん…」
「別に。多面打ちくらい出来ることを証明しに行くだけだよ」
「ほんまバカ真面目…」
「西条も来いよ」
「えー…マジかいな」
「来なかったら金森女流二段との一局、再起不能になるくらいコテンパンにやっつけてやる」
「卑怯やでお前…ブラック王子やな」
「なんとでも」
こうして放課後、西条と東棟2階、囲碁部の部室にやって来た。
ドアを開けた瞬間に「きゃーー!!」と悲鳴を上げられたけど。
「進藤君、西条君、今日はすみません」
囲碁部顧問の高森先生にお礼を言われる。
「いえ、去年はプロ試験で忙しくて来れなくてすみませんでした」
「改めて入段おめでとうございます」
「ありがとうございます」
高森先生に指導碁をする生徒の前に案内された。
僕の相手は今の主将、副将、三将らしい。
(西条は四番手以降5人を相手するらしい)
全員三年生、先輩だ。
「部長の大桑です。よろしくお願いします」
と主将に挨拶される。
「こちらこそ。棋力はどのくらいですか?」
「多面打ちなら俺は互先でいいかと。副将、三将は二子置かせます」
「分かりました。じゃあお願いします」
「「「お願いします」」」
パチッ パチッ
パチッ パチッ
パチッ パチッ……
多面打ちは久しぶりだ。
僕の勉強方法はずっと祖父や祖父の研究会でプロと打つことだったから、もちろん多面打ちなんてすることはなかった。
囲碁サロンでお客さん相手に打ったことは数回ある。
もちろん碁会所のおじいさん客の棋力はそれなり、そこそこだ。
この海王囲碁部の三人の方が遥かに上。
特にこの部長……かなり打てる。
パチッ パチッ パチッ…
多面打ちはゆっくり考えてる暇はない。
瞬時に判断して応対しなければならない。
僕は副将、三将に石を置きながらも、ずっと部長の盤を横目で見ていた。
もちろん負けることはない。
でも部長の思いがけない攻め具合に、僕はわくわくする気持ちを抑えきれなかった。
強い。
楽しい。
多面打ちなのが勿体ない。
次は普通に1対1で打ちたい。
それくらい魅力的な打ち方をする人だと思った。
「ありませんっ」と三将。
「負けましたっ」と副将。
そして数分後、部長も「ありません」と頭を下げてきた。
「…流石ですね」
「いえ、部長もかなり打たれるんですね。院生になられても十分上位に入ると思いますよ」
「もう院生になれる年じゃないけどね」
「…そうですね」
院生の募集資格は中2までだ。
もう3年の部長は院生にはなれない。
では外来で受けてプロになれる力はあるだろうか。
それは正直なところ微妙だと思う。
ちゃんとした師匠について勉強すれば話は別だと思うけど。
今のまま、この囲碁部で打ち続けてもプロ試験合格レベルには到達しないだろう。
素質があるだけに勿体ない。
「プロを目指したりは?」
「小学生の時は目指したこともあったけどね。ある大会である人に負けてから諦めた」
「そうなんですか?」
「小4の時だ。小3の進藤君……君に負けてからね」
――え?
「その頃俺は出場する大会全てで優勝していてね。同年代では敵無しだと思っていた。でも君と打って、それが単なる自惚れだと思い知らされたよ」
「……」
「もちろんあのまま本気でプロを目指していたら、いつかはなれていたかもしれない。でも、プロになっても同じことだ。君には一生勝てない――僕は小4ながらにそう思った」
「僕は……一人の少年の夢を潰してしまってたんですか?」
「そうとも言えるかな。もう時効の話だけどね」
「……」
祖父は母に大会に出ることを禁じていた。
それは母が出ることで同じ大会に出た子供達の芽を摘むことになると考えていたからだ。
でも僕の両親は特に禁止しなかった。
だから僕は昔出たこともある。
あっさり勝ちすぎて面白くなかったから、すぐにやめてしまったけれど。
でも、やっぱり祖父が正しかったのかもしれない。
僕が出なければ…この部長は真っ直ぐプロを目指していたかもしれないのに――
「今日君ともう一度打ててよかった。やっぱり……一生勝てないな」
「…すみません」
「謝る必要はない。今は他にも夢があるしね。これからの君のプロ棋士として活躍を楽しみにしているよ」
「ありがとうございます…」
西条も指導碁を終え、僕らは部室を後にした。
「結構おもろかったなぁ」
「…まぁな」
「何や、テンション低いなぁ。大丈夫か?」
「ああ……もちろん」
僕のせいで夢を諦めた人達の為にも、僕は頑張らなければならない。
ひたすら上を目指さなければならない――
きっと一生、棋士を続ける限り――
「西条、今から一局打つぞ」
「え?マジで?俺もうへとへとなんやけど…」
「僕の家に行こう」
「えー…」
「父とも打たせてやるから」
「え?本因坊おるん?ほな行く行くー♪」
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