●FIRST-STAGE 2●
4月5日。
僕はプロになって初めての対局の日を迎えた。
少しだけ緊張気味に棋院に入って行く。
対局場はプロ試験の時と同じ6階だ。
「おはよう、進藤君」
「あ、おはようございます京田さん」
エレベーターを待っていると、京田さんもやってきた。
彼も今日が初戦だ。
「ちょっと緊張するよな」
「そうですね。京田さんは誰と対局ですか?」
「須藤五段。竜聖の予選」
「五段ですか…」
「うん。普通に負けそうだよな。進藤君は王座戦だっけ?」
「はい。河西三段とです」
「お互い頑張ろうぜ」
6階に着くと既にかなりの人が集まっていて、それぞれに集中力を高めていた。
あ、全然集中してなさそうな人を一人発見。
「おっはよう!佐為君!」
僕の姿を見るなりにこにこ近付いて来たその人は、父の天敵――芦原先生。
「おはようございます」
「いよいよ君も今日からプロだね」
「はい。よろしくお願いします」
「いやぁ、アキラのお腹の中にいた時から知ってるから感慨深いよ何か」
「はは…」
「君も確か初戦だよね。えーと、確か京…」
「京田です。よろしくお願いします」
「そうそう、京田君。進藤君門下なんだよね」
先日の新入段者免状授与式の時。
僕と京田さんは名前の後にもちろん「進藤ヒカル九段門下」と紹介された。
会場が一瞬ざわついた瞬間だった。
父が門下を開いたと、これで棋院中の人が知ったのだ。
母や緒方先生みたいに自分の子供限定ではない、通常の門下を開いたと。
「いや〜あの進藤君が師匠になる日が来るなんてねぇ。彼が初めて囲碁サロンに来てアキラをボロクソに負かした時のことを思うと…何か涙が」
またしても感慨深いのか、目頭を押さえている。
というか、今ものすごく気になることをさらっと言ったなこの人。
「父が…母をボロクソに?」
「そうそう。それでアキラは進藤君一筋になっちゃったんだよね〜。まさか二人の子供が入段する日がこんなにも早く来るなんて…」
またしてもうるうるし出している。
もう勘弁して下さい…。
「あ、プロの説明をしたげようか。京田君は院生だったんだよね?」
「はい」
「じゃあ似てるところもあると思うんだけど、まず来たらロッカーに荷物を預けて、その日の席をここで確認して…」
芦原先生が親切に一通りの流れを教えてくれる。
勝敗表の付け方、店屋物の注文の仕方から、プロにはお茶が付くことまで。
そして対局開始5分前になって、僕は自分の席に向かった。
既に前に座っている河西三段が「おはよう」と挨拶してきた。
「おはようございます」
前々年入段の河西三段。
西条の同期である彼は、17歳の高校生3年生。
「プロ試験、全勝だったんだって?すごいね」
「いえ…」
「ご両親とはよく打つの?」
「父の下で勉強してますので」
「進藤本因坊今絶好調だよね。緒方先生負かして棋聖のタイトルも取ったし、2月のLGで優勝しちゃうし。さすが最優秀棋士賞贈られるだけあるよね」
「本人も今がピークかもとか言ってましたよ」
「はは」
ビーっと開始の合図が鳴る。
対局場にいる全員が一斉に頭を下げた。
「「お願いします」」
僕と京田さんは今日が初戦だけど、精菜と彩は来週の木曜が初戦だ。
今日はまだ春休みだけど、来週は当然学校が始まっている。
手合いのある日は学校を休まなければならない。
まだクラス発表もされてなければ誰が担任の先生になるのかももちろん知らない。
(説明して許可をもらわないとな…)
手合いが詰まってくると月曜日にも対局が入ることもある。
学校を週に二回も休む。
授業についていけるだろうか…。
中学に入ってからも一応クラスで30人中5位以内はキープしてきた。
今年はそうはいかないかもしれない。
学校の勉強をする時間より、棋士としての勉強を優先したいからだ。
父の下で勉強して、いつか今の父のようになりたい。
去年、本因坊のタイトルを筆頭に、NHK杯、TVアジア、早碁オープンを制した父。
更に2月にLG杯を制し、そして3月に、念願の棋聖のタイトルを緒方先生から奪取した。
父にとっては人生初となる棋聖位。
と同時にグランドスラムを達成した。
心の底からすごいと思う。
我が父ながら天晴れだ。
いつか、そんな父のようになりたい。
ひたすら上を向いて行きたい。
だから、今日のこの対局も絶対に負けられない。
僕は碁笥から石を掴むと、10の十二に力強く指した。
相手の顔が曇る。
もう誰がどう見ても勝ち目がないからだ。
しばらくの長考の後――河西三段は頭を下げた。
「…ありません」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
まずは一勝。
次の対局は翌々週。
西条の彼女、金森女流二段との天元の予選だ――
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