●FIRST-STAGE 19●
僕は小さい頃何度か大会に出たことがある。
いつもあっさり優勝してしまうのがつまらなさすぎて、途中から出るのをやめたけど。
僕の最後の大会は小学3年生の時に出た全国子供囲碁大会。
僕は東京代表として参加した。
その大会で西条と戦っていたらしい。
(そういえば海王囲碁部の主将も出てたとか言ってたな…)
「へぇ…西条もあの大会出てたんだ?」
若獅子戦、決勝戦。
僕は西条と向かい合って席につきながら、彼に尋ねた。
「まぁな。お前とは準決勝で当たったんやけど…やっぱりお前は覚えてないみたいやな」
「…ごめん」
「ええんよ。お前にぼろ負けしたんが悔しくて、その後院生でめちゃくちゃ頑張ったお陰でプロになれたけんな」
「……」
「あれから5年近く経ったな。あん時は全然敵わんかったけど、今日は勝つ気でいかせてもらうわ」
西条が真剣な顔で僕に鋭い目を向けた。
「うん…楽しみにしてるよ」
僕の方も母譲りの目で睨む。
立会人からニギるよう声がかかる。
僕が白と決まる。
そして同時に頭を下げた。
「「お願いします」」
西条とは中学で出会って以来、父を除いたら一番打ってきた。
多い時には週4。
もうお互いの手はほぼ知り尽くしている。
彼との勝率は彩と同じ、9割。
10回中9回は僕が勝っている。
でももちろん今までの対局と今日の対局が全く違うことは分かっている。
公式戦とはそういうものだ。
若獅子戦の決勝はもちろん週刊碁にも棋譜が載る。
僕の棋譜が残るのは、新初段シリーズ以来だ。
絶対に負けられない――
西条が17の四に打つと、僕は間髪入れず4の三へと打った。
4の十六、16の十七、3の五、15の三と続く。
しばらく穏やかに盤面は進んだが、西条が12の四を打った瞬間から右上に火の手が上がる。
13の五、12の五、13の七。
そして12の七で彼は左右を擽るつもりなんだろう。
僕は17の八と打ち、激しく応じる。
16の十で右辺は大きな黒地が期待出来る構えに成長する。
(黒が得したか……)
でも10の七で絶妙な場所に飛ぶ。
西条が少しの長考の末放ったのは9の五。
(違うな、キミは9の六を打つべきだった)
次の7の三も気持ちは分かるが弱腰過ぎる。
左上の黒との連絡も遠い話だし、右上の白への圧力も今一つ。
僕が9の三に打つと彼の手が止まる。
考えてもなかった手だったのだろう。
動揺したのか、ここから一気に形勢は傾きだした。
「進藤君…ブレないな」
とギャラリーの誰かが呟いた。
当然だ。
ブレるような碁は教わっていない。
一度形勢を自分のものにすれば、もうこっちのものだ。
既に圧倒的に白優勢。
西条の15の十四の一手に、僕は17の十三と返した。
厳しく打ち過ぎただろうか。
もちろん手を緩める方法もある。
でもきっと彼はそれを望んでいないだろう。
だから僕も必死に食らい付いてくる西条に、まるで優勢を意識してないかのような強打を繰り返した。
17の十一を打って地合いも大差になる。
黒はもう右下の白を捕まえるしかないけど、右辺の黒も薄くてままならない。
もう結果は見えている。
僕は手堅く打ち進め、左下5の十六のツケを凌ぎの決め手にした。
眼形は豊富で、手厚く、どう打たれても残る。
――圧勝――
の二文字を見た人全員が感じたはずだ。
若獅子戦の決勝でこんな戦いをした僕を、皆はどう感じるだろうか。
相手が弱すぎだっただけじゃないかと思うだろうか。
西条は決して弱くない、それは僕が一番分かっている。
確かに二回戦の伊東四段、準々決勝の広岡三段、そして準決勝の東五段――彼らの方が強かったかもしれない。
それはそうだ、彼らの方がプロ棋士としての歴も長いし、全員が全員優勝候補だ。
きっと西条への評価は悪くない。
問題は僕への評価……
「……負けました」
西条が小さく呟く。
「ありがとうございました」
「ありがとう…ございました」
項垂れている。
「あかん…完敗や。5年前と何も変わってへんわ…」
「西条…」
「どこが一番あかんかった?」
「……9の五」
「めっちゃ序盤やん。もうここで既に勝負ついとったわけかいな」
「僕なら9の六に打った」
「あー…そうか、そっちか…」
西条が溜め息を吐く。
「まぁでも、お前に最後まで手ぇ抜かんで打ってもらえただけでも進歩したかな」
「……え?」
「5年前はお前、途中から手ぇ抜いてきたけんな」
「……」
「まぁまたいつかリベンジやな。今日からまた鍛え直しや」
「うん…一緒に頑張ろう」
「そやね」
周りにいたギャラリーも、僕らが石を片付け出したと同時に散っていった。
「進藤君に勝てる奴っているのかよ?」
「低段ではいないだろうね」
「誰が一番最初に彼に黒星を付けさせるのか見ものだな」
口々に言われる。
僕だって人間だ。
調子のいい時もあれば悪い時もある。
きっとそう遠くない未来に、誰かに負けるだろう。
若獅子戦の表彰式で賞状を受け取りながら、僕はその日を楽しみに待つことにした。
――でも
結局年内にそんな日はやって来なかった。
母の26連勝もとうに超えて、30連勝したところで、僕は二段になった。
まだ残暑が残る10月の初めのことだった――
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