●FIRST-STAGE 15●





窪田七段と碁盤を挟んで向かい合った。


「ニギるね」


今の囲碁界若手ナンバー1との互先。

緊張する。

でもそれ以上に楽しみで仕方がない。

勝手に口元が緩む。



「「お願いします」」





窪田七段が先手、黒。

碁笥から一つ石を挟むと、彼は真っ直ぐ17の四へ指した。

直ぐ様僕も16の十六へ打ち、4の三、3の十六、3の五と続いていく。


(古い布陣だな…)


窪田七段は平成生まれの若手棋士のはずなのに、まるで彼の師匠のような大ベテラン棋士と打ってるような錯覚に陥る。

この最初の布陣も、昭和後期に流行った形だ。

僕が16の五に打つと、最近はカケられるのを嫌う傾向の中で、17の五と平気で受けてきた。

こういう打ち方をする人なんだろうか、それともたまたまか。


しばらく左下の攻防が続く中、5の十二を打たれたところで僕の手が止まる。


(ヨミの入ったいい手だ…)


2の十一のコスミツケで実を結ぶ。

そして1の十二に打たれてしまうと、僕はもう防ぎようがなかった。





―――強い

やはり若手ナンバー1と言われるだけのことはある。


窪田七段は14歳、中3で入段したからプロになって6年目の棋士だ。

一昨年新人王を取った頃から頭角を表し、一気に三大リーグに名前を連ねるようになった。

本因坊リーグも見事残留。

今年か来年あたりには確実に七大タイトルのどれかで挑戦者になるだろうと言われている。


七大タイトルの内、4つは今両親が保持している。

もしかしたら近々挑戦者として両親の前に座るかもしれない人との対局。

研究会での時間制限すらない非公式の対局だけど、僕は全力を出し切りたい――





(でも僕の放った13の五…失着だったかもしれない)


14の四と打たれ、ノビたことにより右上に手を付けにくくなってしまった。

黒が打ちやすくなる。

眼形を奪う変化は難解。

これ以上もがいても上辺の白に悪影響が及び反って大損だ。


僕は18の四と打ち、地合いの均衡を保つ。

窪田七段が優勢だけど、大差ではない。


13の十六へと当て込む――恐らく彼も予想しなかっただろう絶妙な返し技だ。

四子のダメ詰まりと、14の十五の断点を強調し黒を追い込む。

だけど10の十八、9の十九とコウを挑まれ、更に7の十九と彼の底力を見せつけられる。

14の七に14の八と受けると白にはコウ材が無くなる。




(渋いな……)


何というか、窪田七段は棋風が渋い。

自分から仕掛けることがほとんどなく、受けが強い。

おまけにこのヨセの正確さはおそらく国内でもトップクラスだろう。


10の十二とツケられて、右辺の白石を取り込み黒優勢となる。


敗着は4の六か――10の十三と備えていれば良かった……



(窪田七段の勝ちだ…)




「負けました…」

「ありがとうございました」

「ありがとうございました」


窪田七段が「ここはツガずにコウを解消すべきだったよね」と直ぐ様指摘してくる。

「そうですね…用心深すぎました」

「でも、やっぱり評判通りの強さだね、進藤君」

「え?」


窪田七段が顔を上げてきて、ニヤリと笑う。


「君と公式戦で戦う日が楽しみだ」

「ありがとうございます…」

「頑張って上がってこいよ」

「はい――」




その後僕と窪田七段との対局を全員で検討した後、研究会はお開きとなった。

夕飯の為に京田さんと一緒に駅前のチェーンレストランに入る。


「どうだった?窪田七段と打ってみて」

と京田さんが感想を聞いてくる。


「勉強になりました。誘ってくれてありがとうございました」

「また行こうぜ」

「はい、ぜひ」

「合宿もまたしような。昨日楽しかったし。今度は俺んちでもいいよ」

「そういえば…京田さんの妹さん達は打つんですか?」

「いや、全然。きっと囲碁と五目並べの違いも分からないよ」

「そうなんですね…」

「兄妹で打てる進藤君が羨ましいよ」

「でも意外とあんまり彩とは打たないんですよ?」

「あ、そうなの?勿体ない」

「やっぱり祖父や両親と打つ方が勉強になるので」

「はは、そりゃね〜。いいなぁ家族が碁打ちだらけで」

「京田さんも女流棋士と結婚すれば、家族が碁打ちだらけになると思いますよ」

「……えっ」


僕の返しに途端に顔を赤める京田さん。

下を向いてしまった。


「……彩ちゃんから何か聞いた?」

「え?何も…」

「あ、ならいいんだ。忘れて」


誤魔化したいのか、にこっと笑ってくる。

もちろん誤魔化される僕ではない。


「…彩と何かあったんですか?」

「えっ、あー…何も」

「本当ですか?」

「う……ん」

「告られました?」

「ええ?!」



京田さんて分かりやすいな……


男子校だし、あんまり恋愛ごとに免疫ないんだろうな……



「で?断ったんですか?」

「う…ん、一応…」

「一応?」

「さすがに小5の女の子とは付き合えないよ…って」


小5?

ああ…告られたのは昨年ってことか。


「そしたら何か…和谷六段の奥さんも5歳年下で?奥さんが16歳になった時に和谷六段告白されたんだって?」

「ああ…師匠の森下先生の娘さんと結婚したんですよね、和谷先生って」

「だから彩ちゃんも16になったらもう一度告白してくれる…らしいよ?」

「へぇ…。京田さんはそれでいいんですか?」

「え?」

「彩が16になるまで後4年もありますけど?」

「うん…別に待ってもいいかな、とは思ってる」

「そうなんですか?」

「うん…しばらく碁に集中したいし、4年くらいすぐ経ちそうだしな」

「へぇ…へぇぇ…」


知らなかった。

彩の奴、ちゃっかり京田さんを捕まえてるじゃないか。

ビックリだ。

4年待つという京田さんにもビックリだけど。


「あ、でも、もちろん彩ちゃんが途中で心変わりしちゃったら、それはそれで仕方ないとも思ってるよ?」

「それは…あり得ないと思います」

「うん…彩ちゃんも言い切ってた。進藤君もだけど、進藤家の人って皆一途だよな…はは」

「まぁ親がアレですからね…」

「うん…進藤先生も一途だよな」

「じゃあ京田さん、父に勝たないといけませんね。入門テストの時に叫んでましたもんね…」



――オレに勝つまで絶対に認めないからな!――



「うん…頑張るよ。先生に認めて貰えるよう」

「頑張って下さい。僕は京田さんなら全然応援しますから」

「あ、ありがとう…」



和谷先生は奥さんの茂子さんが16歳の時に交際を始めて、7年後にゴールインしている。

京田さんと彩も同じような道を辿るといいなと、僕は密かに思ったのだった――











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