●DOUGHTER 1●
「進藤先生って、結婚に興味ないんですか?」
―――名人戦・第五局の二日目。
オレは昨日に引き続き、このタイトル戦の大盤解説の仕事をしていた。
打ちかけの時間になって、オレも昼食を食べていると、同じく横で食べていた聞き手の女の子が尋ねてきた。
彼女の名前は秋月有栖。
まだハタチになったばかりだが、女流タイトルも取ったことがある上、既に七段。
しかも先日ついに本因坊のリーグ入りまで果たした、今囲碁界で最も注目されている天才少女である。
それもそのはず。
だって彼女は………
「…別に興味ないわけじゃないけど、今まで縁がなかったから」
「う・そ。私、知ってるんですよ?」
「…何を?」
一瞬、ギクッとなった。
「色々と。例えば、後援会が持ち掛けてくるお見合いをずっと断ってることとか。でもそれって縁がないんじゃなくて、自分で縁を遠ざけてることになりません?」
「はは…そうなるのかもな」
「しかも断った理由が『顔が好みじゃないから』って聞きましたよ?進藤先生って面食い?理想高すぎなんじゃないですか〜?」
「…かもね」
「じゃあ、どういう顔が好きなんですか?例えば、私の顔とか…どうですか?」
「………」
どうですか?と聞かれて、オレは彼女の顔を改めてまじまじと見つめてみた。
―――綺麗だ
としか言いようがない整った顔。
目も、鼻も、口も、頬も。
更に付け加えると髪型も髪質も―――全部オレの理想そのものだった。
「あ、先生顔赤い♪」
「なわけねーだろっ」
「でも、私の顔…先生の好みでしょ?ね、私と付き合ってみます?」
「…はぁ。生まれた時から知ってる有栖ちゃんが、男にアタックするような歳になるなんてなぁ。オレも年取るはずだよな…」
「なに言ってるんですか、先生まだ39でしょう?今が一番男盛りじゃないですか〜」
ため息をつくオレを見て、彼女がくすくす笑ってくる。
その笑顔が…誰かさんにそっくりで、オレの胸が熱くなるのを感じた。
「…そろそろ再開だな。会場に戻ろうか」
「あ、はーい」
「さて、どうなるかな。塔矢の奴、今が生死の境目だな。果たしてここからどう出るか…」
「ふふ、もうどう出たって緒方先生は断ち切る気ですよ。この第五局はお母さんの負けね」
「はは…有栖ちゃんの予想は結構当たるからなぁ。怖い怖い」
午後の対局が始まった。
再び席に戻ってきた緒方先生と塔矢の姿をモニター越しに確認する。
あんなことを言ってたくせに、小さな声で「お母さん頑張って」とエールを送っている有栖ちゃん。
―――そう
この秋月有栖ちゃんは正真正銘、あの塔矢アキラの一人娘だったりする。
18歳の時に、10歳も年上の音楽家と大恋愛をして、さっさと結婚してしまった塔矢。
本名…秋月アキラ。
(すんげー語呂悪いよな)
この有栖ちゃんを産んだのは、彼女が19歳の時だった。
あれからもう20年。
赤ちゃんだったこの子はもうハタチで、当時の塔矢に驚くほどそっくりに成長していた。
塔矢もこんな感じでよく解説の聞き手の仕事…やってたよなぁ。
声もこの作り笑顔もそっくりだ。
今日の仕事は、まるで昔の塔矢と一緒にしている気分だった。
「ありません」
陽が沈みかけてきた頃――有栖ちゃんの予想通り、塔矢は緒方先生に頭を下げた。
最後に締めの解説をして、公の仕事は終わり。
オレも有栖ちゃんも対局していた部屋に移動して、二人の検討に混ざった。
それを終えると次は夕食会。
塔矢に「お疲れさん」と声をかけた。
「進藤…」
彼女の口から、はぁ…と溜め息が出る。
「読み間違えたよ」
「だな。ま、まだ防衛のチャンスは十分あるし。次頑張れよ」
「ああ。もちろんだ」
今度は改めて塔矢の顔をまじまじと見てみた。
歳の割にはシミもシワも少ない彼女。
確かにこれだと有栖ちゃんと姉妹に間違われるはずだよな…と納得。
「なに?」
「別に〜。やっぱり有栖ちゃんと似てるよなぁって思ってさ」
「そりゃあ親子だからね」
「親子ねぇ…。オレと同い年のオマエに、ハタチの娘がいるなんて何だかなぁ…」
「キミもいい加減ふらふらしていないで、そろそろ身を固めたら?結婚に興味ないの?」
「…親子揃って同じこと聞くなよなー。そういうオマエの方こそどうなんだよ?旦那と上手くいってんのか?ずっと海外だって聞いたけど…」
「………」
急に辛そうな表情をしてきた。
ま、上手くいってるはずないよな。
塔矢の旦那は音楽家だ。
ウィーンに拠点を置いてるから、日本に帰ってくるのは年に数回だけらしい。
しかもその数回だって公演の為の帰国だから、家に帰って来ない時もあるとかないとか。
「…あの人と結婚して良かったのは、有栖を授かることが出来たことぐらいだよ」
「離婚秒読み?」
「どうだろうね。新婚当初からずっとこんな状態だから、このままずるずるいくかもしれないし…」
「ふーん…」
「キミの結婚が遅すぎるっていうのなら、僕の結婚は早過ぎたね。…やっぱり18でなんかするんじゃなかったよ」
「塔矢…」
…やめろよ。
オレの前でそんなこと言うな。
弱音吐くな。
助けて…やりたくなるじゃん。
じゃ、オレと人生やり直してみない?って言いたくなるじゃん。
そうだよ、オレは―――塔矢が好きだ。
ずっとずっと好きだった。
大好きだだった。
でもこの気持ちに気付いた時には、塔矢は既に結婚していて……人妻だった。
もう決して打ち明けることが許されない想い。
このまま墓場まで持っていくことに、オレは既に決めていた。
でも決めたくせに、それでもずっと諦めきれなくて、今までずるずる来てしまっていた。
気がついたらもう40手前。
いい加減そろそろ本気で…オレも結婚を考えなくちゃならない歳なのかもしれない。
別に一人でも不自由してないけど…オレは一人っ子だから。
親ももう60過ぎたし。
いい加減身を固めて子供でも作って、安心させてやりたいよな……なんて、正直思う。
塔矢とそれを望むことはやっぱり許されないのかな……
「先生♪」
「有栖ちゃん…」
有栖ちゃんが突然オレと塔矢を裂くように、間に分け入ってきた。
「先生、一緒にバーでお酒飲みましょうよ。私やっと解禁になったんですよ♪」
「え?あー…別にいいけど、塔矢も来るか?」
オレが塔矢を誘うと、有栖ちゃんが
「ダメダメダメ!お母さんは来ちゃダメ!親が一緒だと楽しめないもん!」
と拒否してきた。
クスっと塔矢が笑う。
「行かないから安心して。進藤、有栖のことよろしくね。この子、まだそんなに飲めないくせに、いつもペース早くて倒れてるから見張ってて」
「今日は倒れてもいいもん。進藤先生に介抱してもらうから♪」
……は?
「私、今夜本気で進藤先生に迫っちゃお〜っと♪別にいいよね?お母さん」
「え…?」
有栖ちゃんのこの台詞に、塔矢は一瞬驚いたように目を開け、次にしかめ、オレを睨んできた。
「…有栖に手を出したら、一生許さないからな」
「は…はぁ??出すわけねーじゃん!」
「えー、出してよ先生。でもって責任取って私と付き合って♪」
「有栖、こんなおじさんをからかってないで、もっと年相応の人と交際しなさい」
おじさんって…、塔矢ヒドっ。
じゃあオマエもオバサンじゃん!
「えー、私本気だよ?進藤先生ってカッコイイし優しいし碁も強いし、私の理想そのものだもん。私ももうハタチだし、独身の先生と恋愛しても全然問題ないでしょう?」
いやいやいや。
問題大アリだって。
こんな19も離れた子と恋愛なんか出来るもんか。
しかも好きな女の娘だぞ?
そりゃ…容姿が瓜二つで実は胸がドキドキしちゃってるのは嘘じゃないけど…さ。
「行こ、先生」
「…ああ」
オレは有栖ちゃんに引っ張られるまま一緒にバーに向かうことになってしてしまった。
この時の残された塔矢の表情をもし見ていたら、オレは迷いなくすぐにでも彼女に想いを告げていただろうに―――
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