●CHRISTMAS 1●
「はぁ……京田さんって私と結婚する気ないのかなぁ……」
手合いも他の仕事もない、お休みの日の平日。
私は精菜を新宿のホテルのスイーツビュッフェに連れ出して、ひた
さっきから新しいケーキを取りに何度も往復する私を見て、精菜が
「彩……太るよ?」
と呆れている。
「精菜こそもっと食べたら?!このビュッフェ5700円だよ?!
「元取る気なんてないよ…」
「もう!いいよね旦那が高給取りだと余裕で!」
4月に12年の交際の末、お兄ちゃんと結婚した精菜。
その末付けで棋士を辞め、現在は専業主婦だ。
お腹には赤ちゃんもいて、今は幸せなマタニティーライフを送って
私だって結婚したい。
私にだって5年半も付き合ってる彼氏がいる。
でも、その彼氏――京田さんは一向にプロポーズしてくる気配がな
(まさか本気で兄妹は同じ年に結婚しない方がいいっていう迷信を
「京田さん…やっぱり私と結婚する気ないのかも……」
「そんなことないよ。今は名人戦の最中だから、他のこと考える余
「名人戦……」
思い出して、私はガックリと沈んだ。
そう――今は名人戦挑戦手合・七番勝負の真っ最中だ。
今期名人であるお兄ちゃんに挑戦しているのが京田さん。
今日は第4局の1日目が鹿児島のホテルで行われている。
だから昨日から二人して現地入りしているので、お互いパートナー
「どうせお兄ちゃんが防衛するに決まってるよ……さっさと諦めて
「も〜彩が信じてあげなくてどうするの?」
「信じてるよ!でもお兄ちゃんの強さも嫌ってほど分かってるんだ
「彩…」
「どうせ賞金はお兄ちゃんのものでしょ!だいたい3000万って
「…でも佐為だってずっと無双してるわけじゃないよ。防衛は得意
「…まぁ確かに今年は本因坊も棋聖も挑戦どころかリーグ残留がギ
両親も窪田先生も倉田先生も緒方先生も相変わらず強い。
もちろん――京田さんだって強い。
だからリーグを勝ち抜いて挑戦者になって、八段に昇段出来たわけ
「彩は家族が凄すぎて感覚がおかしくなってるんだと思うけど、棋
「……分かってるよ」
同じ棋士としてそのくらい嫌ってほど分かってる。
京田さんはスゴい。
でも、だから、反って不安なのだ。
不動の人気ナンバー1・2のお兄ちゃんと窪田先生が結婚した今、
最近はタイトル戦の前夜祭の様子も配信されたりしている。
つまり見てしまうのだ……京田さんが、現地で女性ファンからきゃ
前夜祭に参加している客層が私とそう変わらない結婚適齢期の女の
その中には私より可愛い子ももちろんいる……
京田さんが目移りしないか心配しすぎて気がおかしくなりそう……
「もしかしてプロポーズしてくれないのは…やっぱり本当に私でい
「もう…そんなわけないでしょ?」
「師匠の娘だから断れなくて付き合ってくれてただけなのかも……
「またそんなこと言って…」
「だって最近……エッチの回数だって減って来たし……」
「5年も付き合ってるんだから普通は減るわよ…」
「お兄ちゃんと精菜は減ってないじゃん!私知ってるんだからね!
「私達だって減ってるわよ。ここ数ヶ月全然だし」
「それは精菜が妊娠中だからでしょ?!どうせ産まれたらまたいっ
「彩……だいぶ煮詰まってるね」
「だって京田さんがプロポーズしてくれないんだもん!!」
「いつかはしてくれるわよ」
「いつかっていつ?!私は今したいの!」
ケーキのやけ食いを再開する。
5700円もしたのに、結局精菜は1個しか食べなくて、私の愚痴
優しい親友だと思う。
お兄ちゃんが精菜を選んだ気持ちも分かる。
私は……京田さんに選ばれるんだろうか……
本当に彼の奥さんになれるんだろうか……
「今日は私が奢ってあげるから元気出して」
「ありがとう…精菜…」
精菜がお会計をしている間、私はホテルのロビーで彼女を待つこと
ふと、コンシェルジュ横のデスクに並ぶチラシが目に入り、手に取
クリスマスの宿泊プランのチラシだった。
そういえばあと2ヶ月もしないうちにクリスマスだ。
「今年はどうしようかな…」
去年は京田さんに関西棋院での対局が入ってしまって、一緒には過
私は私で、これ幸いと冬コミでのコスプレ用の衣装作りに勤しんで
でも今年はとてもじゃないけど冬コミなんて行く気にならない…。
お気に入りのサークルの本だけ後で通販しようかな……なんて。
「彩、お待たせ」
精菜が駐車券を返してくれる。
今日私達は(お母さんの)車で来たのだ。
レストランを利用すると何時間かは無料になるらしい。
「何見てるの?」
精菜が私が手にしていたチラシを覗いてくる。
「クリスマス?京田さんと一緒に泊まるの?」
「はは……まさか」
京田さんと付き合い始めてから、外泊なんてほとんどしたことない
お父さんに遠慮してるのか、とっくに成人した今でも彼は私をちゃ
私は帰りたくないのに。
一晩中一緒にいたいのに。
ずっと一緒にいたいのに。
だから……早く結婚したいのに……
「送ってくれてありがとう」
「ううん。またね…」
「元気出して。京田さんもきっとちゃんと彩のこと考えてくれてる
「うん……そうだといいけど」
精菜を家にまで送り届けた後、私はそのまま京田さんの家に向かっ
もちろん彼は今鹿児島だから留守だけど。
でも、彼の家はこの5年半…もしかしたら自宅の自分の部屋よりも
いつの間にか私が一番落ち着く場所になってるんだ。
京田さんちにいつものように合鍵で入った後、私はカバンから携帯
そしてお母さんに電話した。
「今日京田さんちに泊まるから」と伝える為に。
『え?でも京田さんいないんじゃ…?』
「いいの!京田さんちで一人で応援したいの!」
『分かった。まぁヒカルも解説で現地に行ってるしね』
「いいよね…私も行きたい。傍で応援したい」
『京田さん…勝つといいね』
「うん――」
精菜にはあんな風に言っちゃったけど、本当は私は京田さんの勝利
いつだって祈ってる。
もうすぐ封じ手の時間だ。
明日は一日ここで中継を見て応援しようと思う――