●BARGAIN 2●
去年の年末、オレは彼女と別れた――
「これ以上待てない。さようなら」
とよりによってクリスマスにフラれた。
28歳の時から5年も付き合った彼女だった。
3つ年上だから、今年37歳になるのか。
5年も付き合って彼女が37にもなるのに結婚の「け」の字も出さない彼氏――正直フラれて当然だと思う。
もちろん、オレにだって結婚願望はある。
アイツがもっと早く身を固めてくれてたら、オレは去る彼女を追いかけてすぐにでもプロポーズしたことだろう。
アイツが、塔矢が、いつまで経っても結婚しないから、オレもいつまで経っても結婚出来ないんだ――
――そう
オレは塔矢が好きだ――
初めてその気持ちに気付いたのは、まだ佐為がいなくなる前だ。
塔矢を意識しまくるオレを佐為に何度笑われたか分からない。
15歳の時、「好きだ、僕と付き合ってほしい」と彼女に告られた時は驚いたが、めちゃくちゃ嬉しかった。
もちろん即OKした。
…結局一年保たなかったけど。
打つ度に年中喧嘩ばかりしているオレら。
あの日も頭に血が上ってうっかり「もうオマエとなんか別れるからな!」と言ってしまったんだ。
「それはこっちの台詞だ!」と返された時にはショックでしばらく立ち直れなかった。
もう…いいや。
しばらくただのライバルでいよう。
ただのライバルの方が都合のいいこともある。
塔矢に会う度、今日はキス出来るのかな…とか。
ちょっとだけでもエッチしたいな…とか。
そんなことばかり毎日毎日考えてる自分が嫌になってたからだ。
今思えば10代なんだから当然なんだけど、当時は考えすぎて疲れてしまっていたんだ。
ただのライバルの方が絶対棋士として有意義な生活が送れる――そう決定付けた。
実際オレの棋力は群を抜いて上がっていった。
18歳で碁聖を、20歳で本因坊を奪取した。
タイトルを取ると知名度も年収も一気に上がって、ちょっとだけモテ始めた。
塔矢ことは相変わらず好きだったけど、一度別れてる分、また告白する勇気はなかなか出なかった。
21歳の時にオレは同い年の女子大生と付き合い始めることになる。
一方、20代半ばになると塔矢の方にもお見合い話が出てきた。
もちろん、結婚前提の。
「…オマエ結婚するの?」
「まだ分からない。いい人だとは思うけれど…」
「へぇ…」
見たこともない相手に信じられないくらい嫉妬した。
すぐに見合いを断らなかったコイツにもムカついた。
オマエはもうオレのこと好きじゃないんだ?
オレの方はこんなに好きなのに――
「…オレも結婚しようかな」
「そうなの?!お…、おめでとう…」
祝福してくる塔矢にまたムカついた。
その時オレは既に彼女と付き合い始めて5年が経とうとしていた。
いいや……もう。
オレも彼女と結婚して幸せになろう。
そうだ、来月の彼女の誕生日にでもプロポーズしようかな。
うん、そうしよう。
そう決心した矢先――塔矢の見合いが破談になったと噂で聞いた。
あ、そうなんだ。
駄目になったんだ。
可哀想に、残念だったな、と口では何とでも言いながら、本心では万歳しているオレがいた。
一方、誕生日にサプライズするからな!的なことを既に彼女に伝えて期待させていたオレ。
当然彼女はプロポーズを期待していたらしい。
でも塔矢の件が無くなった今、結婚する気も一気に無くなったわけで。
サプライズは豪華なディナーと花束とお高い外資系ホテルでの一夜に変わった。
「ヒカル、私と結婚する気無いでしょ」
と言われて黙ってると怒って、あげた花束をオレに投げつけて出ていった。
後で『さよなら』とメールが届いた。
彼女とはそれきりになった。
その後も塔矢の元には毎年のようにお見合い話がやってきた。
その度にヒヤヒヤしたが、結局いつも断っていた。
一方オレにも新しい恋人が出来た。
年上ってこともあって、甘えさせてくれるし、美人だし、頭もいいし、料理も上手いし、体の相性もいい。
オレにピッタリの最高の相手だと思った。
結婚してもいいかも、と本気で思った。
でも、その後5年付き合うことになるのだが、オレがそれを口に出すことは結局一度もなかった。
塔矢のことが気がかりだったから。
またお見合いを断ったらしい。
30も超えて、相手も勿体ないくらいの好物件だったらしいのに。
塔矢さえ結婚してくれたら、オレも心置きなく彼女と結婚出来るのに。
塔矢がいつまで経っても結婚しないから、オレもいつまで経っても結婚出来ないじゃないか――
「オレ、もう諦めたんだ」
年が明けて、棋聖戦がスタートした。
棋聖のオレに、塔矢が挑戦する今期。
一週おきに日本中を駆け巡って、どちらかが4勝するまで戦い続ける。
ここまで2勝1敗。
明日からの第4戦に向けて、オレは塔矢と共に福岡にやってきた。
羽田でアイツの姿を見つけた時にはもう心は決まっていた。
塔矢にプロポーズする。
売れ残り同士とか、本当はそんな軽いものじゃない。
オレはもう諦めたんだ。
「オマエが結婚するのを待つのを諦めた」
「え…?」
「このまま待ってたって、意味ないだろ。二人ともじーさんばーさんになるだけだ…」
「どういう意味…?」
「オマエだって分かってるだろ?何でお互いいい相手がいたのに結婚しなかったのか」
「……」
「オマエ待ってたんだろ、オレが結婚するのを」
「……!」
オレも同じ気持ちだから分かった。
そう、結婚してくれたら――諦めがついたんだ。
ずっと、もう一度言えなかったこの気持ちを、諦めることが出来たはずだったのに――
「好きだよ…塔矢。別れてからもずっと好きだった…」
早く言えば良かった。
そしたら誰も傷付けずに済んだのに。
諦めれるわけなんてなかったのに――
「うん…そうだね。キミが結婚するのを待ってた。キミが結婚すれば、僕も諦めて結婚する気だった…」
「バカみたいだなオレら…」
「僕も…ずっとキミのことが好きだった。帰りまで…返事待たなくてもいい?」
「いいに決まってる!」
オレは塔矢を抱き締めて、タクシーの中だってのに、これから大一番を戦わなくてはならない好敵手だってのに――18年ぶりのとびきり甘いキスをした。
「塔矢、結婚しよう…」
「うん――」
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